5 Those were the days
「どうしてあなたはそんなふうに物事を乗り越えられるの?」
サンジは昔、ある女性にそう訊かれたことがある。
その当時のサンジはいまよりずっと率直だったから、訊かれたことには答えなければいけないと思っていた。
思いつくままにいろいろな説明を試みたけれど、彼女を納得させることはできなかった。
きっと、錬金術みたいな秘密でもあるのならそのおこぼれにあずかりたいと彼女は考えたのだろう。その時はそう思っていた。
ほんとうは違っていて、サンジはただこう答えればよかったのだ。
「そんなふうに見えるかい?」
みんな、恋人と別れなければならなくなった時にどうしているのだろうか。
それには人それぞれの流儀があって、大声で怒鳴り合ったり、なぐり合ったりする豪快なカップルもいる。
以前、ひとりの友人がその当時の彼女に回し蹴りを喰らわせるのを見たことがあって、それは普段から練習していたんだろうなと思わせるあざやかなフォームだった。
サンジは「おれの目の前でそんなことはするな」と彼を止めたのだが、興奮していた彼は「おまえにはわからないんだ」と叫ぶように言った。
確かにわかるはずはないが、少しは気づいていた。
彼は男兄弟で育ったせいか、ある種の女性に特有のちょっとした意地悪とか、責任を転嫁する言い逃れとかに免疫がなかったのだ。
サンジの女性に対するこういう見方については、また別の問題があるかもしれない。
次の日の朝、彼女と仲直りした彼から謝罪の電話がかかってきたのは憶えている。
サンジに「どうしてそんなふうに物事を乗り越えられるのか」と訊いたのは、回し蹴りを喰らったほうの女性だった。
回し蹴りの男とつき合っていたレイコは自然と友人の一人になっていた。
共通の知り合いの結婚式に出た時のことだ。
新郎新婦を送り出し、二次会の流れで居酒屋にたどり着いたら、彼女のほうからサンジに話しかけてきた。
レイコがサンジにその質問をしてきたのは、サンジがその前の数年のうちに両親の離婚、彼らとの死別、義弟の自死などを経験しているのを知っていたからだ。
ちなみに、これらフルコースについてサンジがあらためて口にすることはない。
答えようがなかった。サンジは何も乗り越えていないのだ。
「乗り越えるって……そんな大層なもんじゃないし、ただ平気そうな顔をしてるだけだよ」
「それじゃ、どうして平気な顔ができるの?」
レイコは食い下がってきた。
彼女自身が片親で、それでも仕事などの面では決して人に負けまいとする自信家で……サンジに興味があったらしい。
「いいトシして、泣きながら他人に訴えたってしょうがないだろう? あのね、宗教とか哲学とかそんな大げさなもんじゃなくてさ、人間は何かを乗り越える準備ができたら自然にそうなっていくもんだと思うんだ、それまでは無理しないほうがいい、それは言えるかもしれない」
「納得できないなあ、なにか秘密があるんだよ」
まるで、サンジがそのひとことで人生を変えてしまうようなキーワードを持っていて、それを後生大事に隠しているような言われ方だった。
そんなものはどこにもない。
「役に立てなくてすまないけど、そんなもんじゃないかなあ。レイコちゃんもいろいろ悩みとかあるだろうけど、お風呂に入ってひと晩寝たり、髪を切りにいったりとかさ、そんなことで気分って変わるじゃないか。そういうことが大事なんだと思うよ。おれは洗濯が好きなんだよね、洗濯物が回るのを見ているのが好きで……」
「聞きたくない」
レイコは持っていたグラスを、どん、という感じでテーブルに置いて叫んだ。
「そんなことが聞きたいんじゃないんだよっ」
サンジたちはすでにかなりの量の酒を飲んでいた。そのせいもあるが、サンジも腹が立ってきた。
「聞きたくないって、世の中の人みんながキミの聞きたがってるように答えてくれるわけじゃないだろう?
おれはレイコちゃんが訊くから、ちゃんと考えて答えてるんだよ、それはないと思うな」
「ちゃんはやめてよ、同い年だよ、そうやってあんたもあたしのことをバカにして、一人前扱いしようとしないんだよ」
「そんなこと言ってないだろう……」
女だからとは言いたくない。
けれど、話が違う方向に行って、要するに彼女は自分のグチが言いたいんだろうとサンジは判断した。
お互いに酔っているし、この話はこれで終わったなと思った。
同席した友人の中にはもちろん、回し蹴りの男もいた。
サンジは(おまえがしっかりしていないから彼女がこんなになっちゃうんだぞ)という思いをこめて彼を見た。
充分に意味は通じたようで、彼は身の置きどころがないという感じになっていた。
酔っていたからあまり細かいところまでは憶えていない。
そのあとレイコがぶつぶつと語り続けたのは、その当時に流行っていたエコロジーとかボランティアとかあらゆるものに彼女が興味を持っていて、いくつかは実際に活動に参加していること。
そのほかにも動物愛護とか死刑制度廃止とか、そういうものには必ず同調しているということだった。
(見境がないな)とサンジは思った。
冷たすぎる言い方になるが、別にけんかのようになったからではなくて……サンジには彼女が抱える問題が少しはわかった気がした。
彼女には、何でもいいから自分を正当化してくれるものが必要で、何でもいいから自分以外の何かになりたいのだ。
それにはいろいろと理由があるのだろうけれど。
彼女が疲れて話をやめた。
ほかの人間の会話も途切れて、静かになった。
サンジは余計に反感を買うのかもしれないなと思いながら、口を開いた。
「言っても無理かもしれないけど、もっとラクにしたほうがいいんじゃないかなあ。そんな簡単に何かの答えが見つかるわけじゃないし、自分を全面的に許してくれる人なんか最初からいないんだから……そう考えて気を楽にっていうのもヘンだけど、それしかないような気がするけどな、おれは」
「ふーん」
サンジはレイコから、そのあとの人生で何度となく女性から聞かされることになる台詞を言われた。
「要するにあんたは、何もわかっていないのよ」
いま、回し蹴りの男はアメ横の雑貨屋に勤めている。時々会う。
彼とレイコは結婚もしたのだが、別れた。ありがちなことだが、サンジとレイコの交流はそこで終わった。
彼女とは最後まで、接触すれば口げんかみたいになってしまうことの繰り返しだった。
いまではわかるのだが、別に彼女が異性としてサンジを好きだったというのではないけれど……彼女はサンジに近づきたかったのだろうと思う。ただ、どうしていいかわからなかっただけだ。
そんなふうにサンジが考えているのを知られたら、また彼女に抗議されてしまうか。
それだけ自分たちは不器用で、いまよりは若かった。
“Those Were the Days” Mary Hopkin, 1968




