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第7話 幼馴染は免罪符ではない

第7話 幼馴染は免罪符ではない


 後悔というものは、失ってからしか見えないらしい。


 拓海は薄暗い社長室で一人そう思っていた。


 机の上には未処理の書類が山積みになっている。


 取引先からの契約解除通知。


 銀行からの督促。


 職人の退職届。


 そして栞から送られてきた八百万円を超える請求書。


 以前は広く感じていた社長室が、今は妙に狭かった。


 窓の外では夕立が降っている。


 激しい雨音がガラスを叩いていた。


 会社は静かだった。


 いや、正確には違う。


 活気が消えたのだ。


 以前は聞こえていた職人たちの笑い声。


 機械の規則正しい稼働音。


 それらが少しずつ減っている。


 まるで会社そのものが弱っているようだった。


「社長」


 佐々木工場長が入ってきた。


 その顔は疲れ切っている。


「どうした」


「退職届です」


 まただった。


 今月だけで五人目だ。


 しかもベテランばかり。


 拓海は書類を見つめた。


 名前に見覚えがある。


 父親の代から働いてくれていた職人だった。


「何でだよ……」


「皆、不安なんです」


「不安?」


「給料の遅配が噂になっています」


 拓海は顔をしかめた。


「まだ遅れてないだろ」


「まだ、です」


 その言葉に何も言えなかった。


 佐々木は静かに続ける。


「社長」


「何だ」


「高瀬さんに会ってください」


 拓海は顔を上げる。


「は?」


「もう意地を張っている場合じゃありません」


 その言葉は痛かった。


 だが否定できない。


 結局その日の夜。


 拓海は栞に連絡した。


 何十回も無視され続けた電話。


 だが今回は違った。


 黒川弁護士から連絡が入ったのである。


「高瀬さんが面談には応じるそうです」


 拓海は安堵した。


 まだ間に合う。


 そう思った。


 翌日。


 都内の会計事務所。


 高層ビルの二十階。


 窓からは街並みが一望できる。


 受付はホテルのように綺麗だった。


 磨かれた床。


 ほのかなコーヒーの香り。


 静かなクラシック音楽。


 以前、自分が知っていた栞の世界ではない。


 そう感じた。


 会議室へ案内される。


 しばらくすると扉が開いた。


 栞だった。


 ネイビーのスーツ。


 白いブラウス。


 シンプルな腕時計。


 無駄のない装い。


 それなのに驚くほど綺麗だった。


 拓海は思わず立ち上がった。


「栞」


「お久しぶりです」


 声は穏やかだった。


 しかし昔のような親しさはない。


 仕事相手を見る目だった。


 それが妙に苦しかった。


「座って」


 栞は向かいの席を示した。


 拓海は言われるまま腰を下ろす。


 しばらく沈黙が流れる。


 やがて拓海が口を開いた。


「助けてくれ」


 情けない声だった。


 自分でもそう思う。


 だが他に言葉が出なかった。


「会社がやばいんだ」


 栞は何も言わない。


「頼む」


「……」


「昔から一緒だっただろ」


 栞の表情が少しだけ動いた。


 だがそれだけだった。


「栞」


「何ですか」


「俺たち幼馴染じゃないか」


 拓海は必死だった。


「子供の頃からずっと一緒だった」


「そうですね」


「だったら」


 栞は静かに息を吐いた。


 窓の外に目を向ける。


 青空が広がっている。


 そしてゆっくりと拓海を見た。


「私が助けていた十年間は見えなかったの?」


 その一言で言葉が止まった。


 胸を殴られたような気がした。


「え……」


「資金繰り表を作ったのは誰ですか」


「……」


「銀行対応をしていたのは?」


「……」


「決算書をまとめていたのは?」


 拓海は答えられない。


 全部。


 全部栞だった。


「あなたは私を地味だと言いました」


 栞の声は静かだった。


「何の役にも立たないとも言いました」


「違う」


「違いません」


 栞は首を横に振った。


「録音がありますから」


 拓海の顔色が変わる。


 会場での発言。


 創業記念パーティー。


 社員たちの前で笑った自分。


 全部思い出した。


 胃が痛くなる。


「俺は……」


「もう終わった話です」


 栞は机の上に分厚いファイルを置いた。


「これを見てください」


 拓海は震える手で開く。


 そこには数字が並んでいた。


 売上推移。


 資金繰り。


 銀行評価。


 顧客離反率。


 そして。


 美香のカード利用履歴。


「なっ……」


 拓海は息を呑んだ。


 百二十万円。


 ブランド品。


 エステ。


 高級ホテル。


 旅行。


 全て会社負担になっている。


「これ何だよ」


「あなたの会社の支出です」


「嘘だろ」


「証拠があります」


 ページがめくられる。


 さらに顧客情報流出の調査結果。


 取引先への営業記録。


 データ持ち出しの痕跡。


 拓海の額に汗が滲む。


「美香が?」


「可能性が高いです」


「そんな……」


「まだあります」


 栞は次の資料を開いた。


「税務リスクです」


 帳簿の不整合。


 経費の私的利用。


 請求漏れ。


 売掛金管理ミス。


 税務署が入れば問題になる箇所ばかりだった。


「相沢製作所は現在」


 栞は資料を閉じた。


「経営破綻寸前です」


 静かな声だった。


 だが現実そのものだった。


 拓海は言葉を失う。


 何も反論できない。


 数字が全て証明している。


「どうして……」


 ようやく絞り出した声だった。


「どうしてこんなことに」


 栞は少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「本当に分からないんですか?」


 その問いに答えられなかった。


 分かっていたからだ。


 自分が栞を失ったから。


 自分が軽んじたから。


 自分が追い出したから。


 会議室には静寂だけが残る。


 窓の外では夏の日差しが街を照らしていた。


 だが拓海には、これから訪れる暗闇しか見えていなかった。



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