第二話『にぎやか』
翌朝。カーテンの隙間から差し込む朝日に、ソフィアはうっすらと目を向けた。
「ソフィアさん、朝だよ」
枕元から聞こえる声に、ソフィアは「ウーン……」と小さく声を漏らしながら、眠い目をこすって起き上がる。
「ソフィアでいーよ……」
まだ半分夢の中にいるソフィアは、自身の薄い黄金色の髪を大雑把に手で払いながら呟いた。年齢は十四から十六歳といったところ。
ソフィアは白亜と同じ部屋で寝ていた。
そこへ、部屋の扉が勢いよく開いた。
「朝食ができてるぞ」
入ってきたのは、ソフィアと同じ薄い黄金色の髪を持つ好青年――兄のルーカスだった。彼はそれだけ言うと、すぐにせっかちそうに部屋を出て行ってしまった。
ソフィアは白亜と一緒にリビングへ下り、ハンナの作った温かい朝食をいただいた。その後、ルーカスに「ちょっと面を貸せ」と促され、白亜は庭へと出た。ソフィアは窓に張り付き、その様子をじっと眺めている。
緑の芝生が広がる庭で、ルーカスが腕を組んで白亜を振り返った。
「昨日、自分は戦えるって言ってただろ? 実際、どんなことができるのか教えてもらっていいか?」
白亜は視線を落とさず、淡々と答える。
「私は、おそらく氷系の魔法が使える。それと……刀も」
「へえ、刀ね。ちょっと見せてみろよ」
ルーカスはそう言うと、手元で魔力を走らせ、一本の訓練用の剣を実体化させて白亜に手渡した。
白亜はそれを受け取ると、重さを確かめるように小さく重心を揺らし、「悪くない」と呟いた。
直後、しなやかな身体が躍動する。白亜の手の中で、剣が風を切り裂くような鋭い音を立てて華麗に振り回された。無駄のない美しい軌道。
窓から見ていたソフィアは思わず息を呑んだ。
(うわ、なんかめちゃくちゃ強そう……!)
ルーカスも驚いたように目を丸くしている。
「すごいね。これなら、旅に出てもある程度は安心かもな」
白亜は剣をピタリと止め、ルーカスに向き直った。
「ルーカスの力も教えて」
「俺の得意な魔法は武器生成さ。今お前に渡した剣も、俺の魔力で作ったものだ。俺は基本的に、こうやって作った武器を使い回して前線で戦う。ちなみに魔法の器用さに関しては、ソフィアの方が上だぞ」
ルーカスは爽やかに笑い、白亜から剣を受け取って消滅させた。
「まあ、実力は分かったし、これ以上確かめることもないな。家に戻ろう。すぐ出発するんだろ?」
「ああ」
玄関先では、ハンナがカバンを白亜に手渡していた。
「本当に急なんだから。これ、旅に必要な物をいくつか詰めておいたから、困ったら中を探してみてね」
「分かった。ありがとう」
ルーカスがカバンを背負い、母を振り返る。
「母さん、行ってってくるよ」
「いってらっしゃい。本当に気をつけるのよ」
いつもの朝のような、何気ない会話。しかし、それが三人の壮大な旅の始まりだった。
道中、遮るもののない青空の下を三人は歩いていた。
「ここら辺は、結構自然が多いんだね……」
白亜が珍しそうにあたりを見回す。
「ああ、ネルトリンゲンは田舎の方だからな。その中でもこの辺りはかなり自然が手つかずの場所だ」
「まずは、どこへ行くの?」
「まずは大都市のベルリンを目指す。そこから転移魔法を使ってポルトガルへ一気に跳んで、俺たちのおじさんに会いに行く予定だ」
「へえ……」
「おじさんはすげーんだぞ! なんたって妖擊士団の幹部なんだからな!」
ルーカスが自慢げに鼻を高くする。白亜は興味を惹かれたように彼を見た。
「そうだ。妖擊士団のこと、詳しく教えてほしい」
「そうだな」ルーカスは待ってましたと言わんばかりに語り出した。「妖擊士団ってのは、昨日も言った通り対人外専用の防衛組織だ。人間の中でも選りすぐりの強い奴らが集まるところでな。俺は今年で二十歳だし、そろそろ入団するつもりだったんだ。ちなみに団内には明確な階級があってさ」
ルーカスは指を一本ずつ立てていく。
「一番下が『一般クラス』。ほとんどの団員はここから始まる。二番目が『兵士クラス』。ここらはかなり手強い奴らが多いぞ、ぶっちゃけ常人から見たら化け物レベルだ。で、三番目が『貴嗣クラス』。俺たちのおじさんはココだ。マジで尊敬するぜ。そして最後が――『至高クラス』」
ルーカスの声が少し低くなる。
「このクラスは、人間だと世界に四人しかいない。妖擊士団の団長と副団長、それと二人の幹部だ。……まあ、同じレベルにヤバい化け物も世界には何体かいるらしいけどな。世界って広いよなー」
後ろを歩いていたソフィアは、内心でハラハラしていた。
(お兄ちゃん、喋りすぎじゃない? 妖擊士団の情報って結構内密な感じだった気がするんだけど……)
そんなソフィアの心配を余所に、白亜が尋ねる。
「ルーカスは、どれくらい強いの?」
「はっはっは! 俺は運が良くて、一応兵士クラスの実力はあるって言われてるぜ!」
すかさずソフィアが横からツッコミを入れる。
「何言ってるの。運が良くても一般クラスの間違いでしょ」
「いやいや! でもいつかは絶対におじさんを追い抜いて、貴嗣クラスになってやるからな!」
白亜はクスリと笑った。
「頑張ってね」
それからしばらく、三人は歩き続けた。足の疲れを感じないのは、ソフィアが仕掛けた補助魔法のおかげだ。
「いつ頃に着く予定?」
「うーん、あと一日は歩き通しだな」
「私の魔法で、歩くスピードを約三倍にしてるからね」とソフィアが胸を張る。
「思っているよりも遠いんだね。ということは、今日は野宿?」
「新鮮で面白いと思うぜ?」
「野宿なんて久しぶりだー!」
ソフィアの気分は一気に高まった。まるでピクニックの延長のようだ。
昼にハンナ特製の弁当を食べ、やがて日は大きく傾き、周囲に夜の帳が下りてきた。
「今日はここまでだな。宿があればベストだけど、とりあえずあそこに生えてる大きな木、あるだろ。あそこで夜を明かそう」
三人は大木の下へ移動し、ルーカスが手際よく火を起こした。
パチパチと爆ぜる焚き火の光に照らされながら、夕食の干し肉を齧っていたソフィアが、ふと気になっていたことを口にした。
「ねえ、白亜は何でそんなに髪が白いの?」
「生まれ持った体質……かな」白亜は自分の髪を一本指に巻き付けながら、逆に問い返した。「逆に、そっちも何でそんな綺麗な黄金色をしてるんだ? ハンナさんは茶髪だったはずだけど」
「この髪色は、親父と一緒なのさ」
ルーカスが寂しげに笑う。
「親父さんは……?」
「死んだよ。悪魔に殺されたらしい。……それが、俺が妖擊士団を目指すことになったきっかけなんだ」
「いいお父さんだったんだけどね」ソフィアも火を見つめながら静かに言った。
白亜はハッとして、気まずそうに視線を彷徨わせる。
「そう……ごめん、嫌なことを聞いた」
「いや、いいさ。親父も覚悟の上で妖擊士団に入ったんだ。俺はただ、親父の遺志を継ぎたいだけだからな」
しんみりとした空気を振り払うように、ルーカスは立ち上がった。
「よし、明日に備えてさっさと寝床を作って寝るぞ!」
翌朝。東の空が白み始めた頃、白亜は一人静かに目を覚ました。まだ火の消えたキャンプ跡で、色々とこれからの考えを巡らせる。
「朝早いんだな。もう起きてるとは思わなかったぞ」
背後から、あくびを噛み殺しながらルーカスが歩いてきた。
「ああ。昔から早起きでね」
「あれ?」ルーカスが片眉を上げた。「記憶、戻ったのか?」
白亜はしまっ、という顔をして、一瞬だけ慌てた。
「いや……だが、身体が覚えていることもある。自分の名前を覚えているのも、その一つだろう」
「そうか。これ、お前の記憶探しの旅でもあるんだもんな」
「ああ、そうだね」
「それにしてもさ」ルーカスがじっと白亜の顔を覗き込む。「お前、ちょっと大人っぽいよな。話し方とか、雰囲気がさ」
白亜はふっと不敵に微笑み、胸を張った。
「精神年齢が高い、と言ってほしいな」
「……やっぱ、その大人っぽいっての却下で」
「えっ」
ルーカスは笑いながら、まだ毛布に包まっているソフィアを起こしに行ってしまった。
朝食を済ませた一行は、再びベルリンへと向かって歩き出す。道中、ルーカスによるおじさんの自慢話がこれでもかと続き、ソフィアは呆れ、白亜は律儀に相槌を打っていた。
そんな和やかな空気は、突如として破られた。
(――ッ!? 何かが、来る!)
ソフィアが肌を刺すような悪寒を覚えたのと同時、白亜が鋭い声でルーカスを呼んだ。
「ルーカス!」
「ああ、分かってる! ソフィア、防御魔法を!」
(やっぱり敵だ! なんて運が悪いの!)
ソフィアはすぐさま両手を合わせ、胸の前で印を結んだ。
「――“シルフガード”!」
刹那、三人の周囲に猛烈な竜巻のような風が吹き荒れ、不可視の頑強な障壁を作り出す。
「おや、気づくのがお早いことで」
風の壁の向こう、木々の影から、人ならざる悍ましい気配を纏った「何か」が姿を現した。
緑色の髪に、側頭部から一本の禍々しい角が生えている。背の低い、人間の女性に似た姿をしたその存在は、不気味な笑みを浮かべていた。
ルーカスが武器を構えながら鋭く睨みつける。
「お前、何者だ」
「我が名は、悪魔ロズ様に仕える眷属――ツォレと申します」
「そんな連中が俺たちに何の用だ。っていうか、名前言いにくいな」
緊迫した状況だというのに、ルーカスは真顔でツッコミを入れた。実際、本当に言いにくい名前だった。
ツォレはクスクスと肩を揺らす。
「いえいえ、ただロズ様への今夜の夕食を何にしようか考えておりましてね。今日は一段と豪華にする予定だったのですよ。人間の肉は魔力が豊富でとても美味しい。特に子供のものは柔らかい……そう、君たちのような“半熟”がベストです。あまり食材を傷つけたくありません。すぐに死んでくれるとありがたいのですが?」
(うわぁ……なんというかテンプレみたいな敵キャラが出てきちゃった……)
ソフィアは心の中で引きつつも、魔法の維持に集中する。
「残念だったな」ルーカスが不敵に笑う。「俺たちはそう簡単には食われないぜ。お前の思い通りにはいかないな」
一方、白亜は冷徹な瞳でその悪魔を見据えていた。
「お前の名は聞いたことがないが……ロズか。そっちも聞いたことがないな」
そう言いながら、白亜もまた完全に臨戦態勢に入る。
その言葉に、ソフィアは一瞬の違和感を覚えた。
(……聞いたことがない? 普通、悪魔の名前なんて一般人は一体も知らないはずなのに)
「君たちに拒否権などないよ」
ツォレが手のひらを前に突き出す。
「――“フラム”!」
叫びと共に、彼女の手のひらから凄まじい業火が噴き出し、一直線に三人へ向かって襲いかかった。激しい熱風が周囲の草木を焦がす。
しかし――。
(弱い。)
ソフィアが冷静に見極めた通り、その炎はソフィアの展開したシルフガードの暴風に触れた瞬間、あっけなく霧散して消えた。
「なっ、何!? 私の魔法が効かないだと!?」
ツォレが動揺して目を見開いた、その一瞬の隙。
「――俺の妹は、すげーんだよ!」
頭上からの声に、ツォレが仰仰しく見上げる。そこには、いつの間にか武器を生成し、真上から奇襲を仕掛けるルーカスの姿があった。
ルーカスは容赦なく剣をツォレめがけて振り下ろす。ツォレは間一髪で体を捻って急所を避けたが、凄まじい衝撃と共にその片腕が根元から斬り飛ばされた。
「ぎゃああああああっ!?」
激痛に悲鳴を上げ、ツォレは形勢不利と見て猛スピードで逃げ出そうと反転する。
しかし、その逃げ道の正面には――すでに、白亜が立っていた。
白亜の手には、いつの間にか白く光を放つ刀が握られており、静かに抜刀の構えをとっていた。
「どけぇ! 邪魔だ人間のガキがぁ!」
ツォレは狂乱しながら、残った魔力を全開にして白亜を押し潰そうと放つ。
だが、白亜の呼吸は乱れない。冷徹な声が、戦場に響いた。
「――“氷華光斬”」
極光のような一閃。
白亜が刀を振り抜いた瞬間、ツォレが放った魔力ごと、その身体が真っ二つに両断された。それだけではない。刃の走った軌跡に沿って、約十メートル先までの地面と木々が、またたく間に美しい氷の結晶に覆われ、凍りついていく。
「おのれ……私が、こんな人間のガキ如きに……!」
ツォレは恨みがましい声を上げながら、まるで幽霊が霧散するように、サラサラと塵になって消えていった。悪魔は死ぬと、この世界から跡形もなく消滅する。
(強い……! それに、今日初めて一緒に戦ったのに、なんであんなに綺麗に連携が取れるの!?)
ソフィアが驚愕していると、ルーカスと白亜がこちらへ戻ってきた。
「白亜、お前の剣術すげーな! しかも氷魔法を剣に込めるなんて高等技術まで……っていうか、その刀、どこから出したんだよ? さっきまで持ってなかっただろ!」
「普通、こんな街道で悪魔に遭遇することなんてないんだけど……とにかく、怪我人がゼロで良かった」
ソフィアは胸をなでおろしながら、先ほど感じた違和感をあえて思考の奥に押し込んだ。自分が気づく程度の違和感だ、鋭いルーカスなら、もうとっくに白亜の「異常さ」に気づいているはずだからだ。
白亜はカチンと音を立てて刀を鞘に納め、背中に背負い直した。
「これは、他人に知覚できなくさせる結界を纏った刀。最初から持っていた。奇襲に使えるから、わざわざ言う必要はないと思って。……それに、君たちこそ凄かった。その若さであれだけの防御魔法を展開できるソフィアも、ルーカスの身のこなしも、見事だった」
「その若さって……お前、もしかして見た目だけで、中身はめちゃくちゃ年寄りなんじゃねえの?」
ルーカスの軽口に、白亜は少し頬を赤くして「うるさいな、早く行こう」と歩き出した。
「おい」
「何だ」
「……道、こっちだぞ」
ルーカスが反対方向を指差すと、白亜はピタリと足を止め、「えっ」と声を漏らした。
(白亜、本当に強かったな。お兄ちゃんが彼女に興味を持った理由、私もようやく分かったかも)
ソフィアは小さく笑うと、方向転換した白亜の後に続いた。
とある、荒涼とした荒れ地。
不気味な紫色の霧が立ち込める中、数体の影がそこに集まっていた。
「ロズ様、我らを招集するとは、一体いかがなされましたか?」
暗がりの奥から、低く重々しい声が響く。
「――ツォレが、人間に殺された。街道で人間を襲ったところ、返り討ちに遭ったらしい」
その報告に、別の影が小馬鹿にしたような笑い声を上げた。
「ハッ、仕方ありませんよ。所詮ツォレは我らの中でも最弱。そもそも、あいつはただの料理人でしょう?」
「問題は、そのやられ方だ。反撃する間もなく、一瞬で屠られたという」
「……それは、いささかダサいですね」
闇の奥で、赤い二つの瞳がギラリと光った。
「相手の人間は、まだ若いガキどものようだ。料理人がいなくなっては困る。……敵討ちも含め、こちらから『狩り』に行こうではないか」
影たちは一斉に、邪悪な笑みを浮かべて頭を垂れた。
「「――はっ」」




