第一話『はじまり?』
第一章[失われた力]
その日、金髪の少女は、自宅の近くで遊んでいた。
ふと、少し離れた野原の向こうに、何か大きめのものが横たわっていることに気づく。
「なんだろう……?」
不思議に思った少女が、確かめるために足早に近づいていく。
それは、人だった。
少女と同じくらいの年齢に見える、白髪の少女が地面に倒れていたのだ。
「大変! 誰かに知らせなきゃ!」
……それから、二週間の時が流れた。
金髪の少女は、あの日見つけた少女の様子を見に行くことにした。ずっと眠り続けたまま、今日で二週間になる。
そっと部屋の扉を開ける。依然として目を閉じ――。
「あ、起きてる!」
少女は飛び上がらんばかりに驚き、廊下に向かって叫んだ。
「お母さん! お兄ちゃん! 目を覚ましたよ!」
ドタドタと騒がしい足音が響き、すぐに二人の人物が部屋に飛び込んできた。女性と青年が一人ずついる。
女性はすぐにベッドの傍らに駆け寄り、倒れていた少女の顔を覗き込む。
「気分はどう?」
「……悪くはないです」
少女は小さく呟くように答えた。
「よかった。あなた、うちの子が連れてきてから、二週間もずっと眠っていたのよ」
女性が安堵の息を漏らすと、少女は俯き、ぽつりと「そう……」と漏らした。それから、警戒と困惑の入り混じった瞳で三人を見上げる。
「あなた方は……一体誰ですか?」
ハンナは安心させるような優しい笑顔を浮かべた。
「ごめんね、名乗るのが遅くなっちゃって。私の名前はハンナ。ハンナ・メルツよ」
彼女は傍らに立つ子供たちを順に指差していく。
「この子がルーカス、そしてこっちの金髪の子がソフィア」
(あ、お母さんに自己紹介取られた……)
ソフィアは心の中で小さく口を尖らせた。
少女は少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「私の名前は白亜。霧生白亜」
白亜、というらしい。どこか異国の響きを持つ名前だった。
「白亜ちゃんね」
ハンナは頷くと、エプロンのポケットから何かを取り出した。
「そうそう。あなたが倒れていたすぐそばに、これが落ちていたらしいんだけど……見覚えはある?」
それは、不気味な輝きを放つ「黒い結晶」のようなものだった。
その瞬間、白亜の目が見開かれた。
「っ……!」
白亜はベッドから身を乗り出し、ハンナの手から奪い取るようにして結晶を掴んだ。その気迫の凄まじさに、ハンナは思わず息を呑む。
(……そんなに大事なものなのかな?)
ソフィアは白亜の手元をじっと見つめた。
「どうしたの、白亜ちゃん?」
ハンナが尋ねるが、白亜はただ結晶を強く握りしめるだけで、何も答えようとはしなかった。
沈黙を破ったのは、兄のルーカスだった。
「それ……写真で見たことある。やっぱり黒魔結晶だよ、それ!」
白亜の視線がルーカスに刺さる。
「黒魔結晶って、何?」
「えっ? いや、俺も写真とか本でしか見たことないから詳しくは知らないけどさ。確か、とんでもない量の魔力が込められてる結晶だって聞いたことがあるぜ」
「魔力……?」
白亜の怪訝そうな復唱に、ルーカスは拍子抜けしたような顔をした。
「お前、魔力も知らないのか? 結構常識だぜ? 魔力っていうのは、魔法を使うためのエネルギーみたいなもんだ。その結晶には、そのエネルギーが詰まってるってことだよ」
「魔法?」
さらに返ってきた疑問に、ルーカスは「そこからかよ」と苦笑した。
「魔法っていうのは、色々便利で、戦いにも使える……なんか、不思議な力だよ。例えば――」
ルーカスがそう言って、白亜に見せるように右手を軽く掲げた。
直後、部屋の隅にあった椅子や机が、重力を失ったかのようにふわりと宙に浮き上がる。
(うわ、お兄ちゃん調子に乗ってる……)
ソフィアはすかさずルーカスの脇腹を小突いた。
「ちょっとやめてよ、危ないでしょ!」
「悪い悪い」
ルーカスは苦笑いしながら手を下ろし、家具を元の位置に静かに戻した。
それを見た白亜は、言葉を失ったように驚愕していた。
「あなたたちは……人間じゃないの?」
「おいおい、ちゃんとした人間だぜ?」
「なら、なんでそんな魔法なんてものが使えるの? あなたたちは、霊媒師とかの家系には見えないのに……」
「よく考えたこともねぇけど、今時の人間ならこれくらい誰でもできるぜ?」
ルーカスはあっけらかんと言い放つ。
(普通はあんなに器用に浮かせられないんだけどね。才能があって、特殊な訓練をしてなきゃ無理なのに……この子、本当に何も知らないんだ)
白亜は真剣な表情のまま、矢継ぎ早に質問を重ねる。
「……今、何年? そして、ここはどこ?」
今度はハンナが答えた。
「今は、西暦3429年の5月18日よ。ここは、ネルトリンゲンという街の近くね」
西暦3429年。その数字を聞いた瞬間、白亜は難しい顔をして深く考え込んでしまった。そして、ポツリと呟く。
「なんで、日本語が通じるの?」
「何言ってんだよ、今の世界の共通言語だろ。喋れなきゃ恥だぜ?」
ルーカスの言葉に、白亜はさらに視線を鋭くした。
「……悪魔とか、妖怪とかって知ってる? もし知ってたら、教えてほしい」
「お前、魔力は知らないのに悪魔は知ってるのか? 悪魔ってのは、世界各地で人攫いとか殺人とかを繰り返してる化け物だよ。まあ、悪さをしてるのは悪魔だけじゃないけどな」
「そんなものがいて、人間は大丈夫なの?」
「大丈夫さ。世界には『妖擊士団』っていう組織があるからな。そういう化け物を退治する、めちゃくちゃ強い奴らが集まってる世界的組織だ。俺ももっと強くなって、そこに入るのが夢なんだぜ!」
ルーカスは誇らしげに胸を張る。
(確かに世界的な組織だけど、普通は一般人は知らない組織なのよ。そもそも今の時代、悪魔や妖怪の実在を本気で信じてる一般人なんてほとんどいないのに……この白亜って子、当たり前みたいに悪魔の存在を前提に話してる……)
ソフィアに違和感が募る。
「悪魔は、弱くない。その人たちは、そんなに強いの?」
白亜の問いに、ルーカスは力強く頷く。
「ああ。人によって違いはあるけど、めちゃくちゃ強い奴らばっかりだぜ」
「その人たちは……人間?」
「ああ、人間だぞ」
白亜はまたしても、信じられないものを見るかのように目を見張った。
会話が一区切りついたところで、ハンナが優しく白亜に語りかける。
「ねえ、白亜ちゃんの話も聞かせてほしいな。なんであんな場所で倒れていたの?」
白亜は再び、何かを隠すような、あるいは本当に困惑しているような顔をした。
「私……倒れる前の記憶が、全然なくて」
「そう……」
ハンナはそれ以上追及せず、白亜の頭を優しく撫でた。
「じゃあ、しばらくこの家にいていいわよ。もしかしたら警察に行方不明者の届け出が出ているかもしれないし、私、少し街で聞いてくるわね」
ハンナはそう言い残し、部屋を出て行った。
残された三人の間に、少し気まずい空気が流れる。
ルーカスがベッドの柵に寄りかかりながら、思い出したように言った。
「そういや、お前『白魔結晶』って知ってるか?」
白亜は無言で首を横に振る。どうやら本当に知らないらしい。
「白魔結晶ってのはな、その黒魔結晶と同じ凄まじい魔力を秘めてるんだけど、魔力の波長みたいなものが全然違うらしいんだぜ」
「黒魔結晶とか、白魔結晶とかって……どこにあるの?」
今度はソフィアが、自分が学校や本で得た知識を披露した。
「なんかね、世界的な大富豪とか、めちゃくちゃ強い権力者が持ってるって聞いたことがあるよ」
「そうそう」とルーカスが言葉を継ぐ。「そもそも、黒魔結晶は世界に4つ、白魔結晶は5つしか見つかってないんだ。資産家が独占するのも当たり前だよな。……そう考えたらさ、お前がそんなヤバいものを持ってるのって、めちゃくちゃ凄いことじゃないか? 一体どこで手に入れたんだよ?」
白亜は視線を落とし、「あんまり……覚えてなくて……」と濁した。
そこへ、街の様子を見に行っていたハンナが戻ってきた。
「白亜ちゃん、ごめんなさいね。警察に聞いてみたんだけど霧生白亜なんて名前の行方不明者はいないって断られちゃったわ」
(霧生白亜……名前の響きからして、日本人なのかな)
ソフィアがそんなことを考えていると、白亜がベッドから静かに足を踏み下ろした。
「別に、大丈夫です」
白亜はハンナを見据え、はっきりとした口調で告げた。
「それよりも私、旅に出ることにします」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
(ええーっ!? 起きたばっかりなのに、もう旅に出るの!?)
ソフィアの心の叫びを代弁するように、ハンナがあたふたと手を振る。
「え、ええ!? それはまた、ずいぶん急ね!?」
「黒魔結晶と白魔結晶の話を聞いて、確信しました。どちらも、私の大切なものです。だから……世界に散らばるそれを、すべて集める旅に出ます」
白亜の言葉に、今度はルーカスが真面目な顔になって腕を組んだ。
「頑張れとは言いたいところだけどさ……白亜、それは絶対に無理だぜ。さっきも言った通り、それを持ってるのは世界トップレベルの強者か、金で全てを解決できるような奴らだけだ。しかも、外には悪魔や妖怪が蔓延ってるんだぞ? お前、戦えるのかよ」
(いやそんなに蔓延ってないけど。お兄ちゃんの言う通りだよ。世界トップレベルの強者に喧嘩を売るようなものじゃない。……でも、白亜にとって大切なものって、一体どういう意味なんだろう?)
ソフィアから見た白亜の第一印象は、「自分と同じくらいの歳のアジアンテイストで可愛い女の子」だった。しかし今、彼女から放たれる雰囲気は、とてもただの女の子には見えなかった。
「1つでもいい。まずは、白魔結晶が欲しい」
白亜はルーカスの静止を無視し、真っ直ぐな瞳で言い切った。
「それに――多分、私は戦える」
ルーカスは大きなため息をつき、頭を掻いた。
「はぁ……心配しかないな。―母さん、俺もついていく」
「えっ?」とソフィアが声を上げる。
「そもそも、あと少ししたら家を出て妖擊士団に入るつもりだったんだ。こいつ、一度決めたら絶対に意志を曲げそうにないし、こういう無謀な奴をほっとくのは寝覚めが悪い」
(……お兄ちゃん、なんか引っかかってるな。いつものお節介とは少し違う気がする。――でも、なんだか面白そう。なら、私も行っちゃおうかな!)
ソフィアはパッと笑顔になり、ハンナを振り返った。
「お兄ちゃんが行くなら、私も行く! 私もついていくよ!」
「ダメよ!」ハンナが鋭く二人を叱りつける。「危ないでしょ! 白亜ちゃん、あなたもそんな危険なことをせずに、ここにいればいいのよ!」
「私の考えは変わりません」白亜は頑なだった。「それに、これ以上皆さんにご迷惑をかけるわけにはいかない。私、一人でも大丈夫ですから」
「母さん、可愛い子には旅をさせよって言うだろ?」ルーカスがハンナを宥めるように肩に手を置いた。「俺はどのみち妖擊士団に入るんだ、そのための予行練習だよ。それに白亜、お前も水臭いぜ。せっかく倒れていたところを助けてやったんだ。 その無謀すぎる目標、気に入ったよ。一緒に行ってやる。ソフィアも来るんだろ?」
「うん! そのために今までお兄ちゃんと一緒に魔法を学んできたんだからね!」
ソフィアは不敵に笑った。何だか、退屈な日常がひっくり返るような、そんなワクワク感が胸の奥で弾けていた。
ハンナは子供たちの表情を見て、完全に諦めたように深いト書きのようなため息をついた。
「……分かったわよ。でも、絶対に無事で帰ってくること。まずは、隣の街にいるあなたたちのおじさんのところに向かいなさい。あそこに着いたら、絶対に連絡をよこすのよ!」
そう言い残し、ハンナは折れる形で部屋を去っていった。
「母さんには、ちょっと悪いことをしちゃったな」
ルーカスが苦笑いすると、白亜が不思議そうに彼を見た。
「本当に、良かったの?」
「ああ、ちょうど旅に出たい気分だったのさ。で、いつ出発するんだ?」
「明日」
「……お前、本当にせっかちだな! 分かったよ。ソフィア、支度するぞ!」
(全然状況が整理できてないけど、まあ、いっか!)
「うん、分かった!」
ソフィアは部屋を出ようとして、ふと思い出した疑問をぶつけてみた。
「ねえ白亜、確認だけど、やっぱり日本人なの?」
「うん、そうだよ」
白亜は短く答えた。どうやらソフィアの勘は当たっていたようだ。
その夜。リビングにて――。
「ねえルーカス。本当に、本当に大丈夫なの?」
ハンナが心配そうに、お茶を淹れながら息子に問いかけた。
昼間の快活な態度とは一転し、ルーカスは真剣な、少し冷めた目をしてソファに深く腰掛けていた。
「多分ね。白亜は、自分の目標がどれだけデカいか、まだ分かってないんだよ。普通、旅に出て最初の壁にぶつかれば、すぐに無謀だって気づいて諦めると思う。……もし、それでも諦めなかったら、あんなことを言った手前、俺も最後まで付き合うつもりさ」
「そうね……。おじさんにはもう連絡しておいたわ。白亜ちゃんのこともね。あの子、二週間もずっと眠っていて、起きたばかりでいきなり無茶をしようとしてる。何があるか分からないから、本当に気をつけてね」
「分かってる。ありがとう、母さん。まずはちゃんとおじさんのところに行くから、心配いらないよ」
ルーカスはそう言って立ち上がり、伸びをした。
「白亜は明日出発って言ってたし、俺ももう寝るよ。……それにさ」
「それに?」
ルーカスは、不敵な笑みを浮かべた。
「俺個人としても、確かめたいことがある。記憶喪失にしては、いろいろとはっきりしすぎてる。……あんなヤバいもん持ってる奴が目の前に現れたんだ、興味が湧かない方がおかしいだろ? まあ、俺ももう大人だし、危ない橋は渡らないさ。大丈夫だよ」
ハンナは息子の背中を見つめ、静かに微笑んだ。
「……そうね。おやすみ、ルーカス」
「おやすみなさーい」
ルーカスはいつもの軽い調子に戻り、リビングを後にした。




