続編 第一話「残響」
京都の朝は、うるさい。
車の音、人の気配、遠くの工事。
すべてが“はっきりしすぎている”。
浮浪雲晴明は、目を覚ました瞬間に眉をひそめた。
「……濃いな」
天井を見たまま、呟く。
世界が、濃すぎる。
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起き上がり、水を飲む。
そして、鏡を見る。
いつも通りの顔。
だが――
「……一個、減っとるな」
感覚的な違和感。
何かが“薄く”なっている。
名前にできない何かが。
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そのまま腕立て伏せを始める。
20回。30回。50回。
呼吸が整うにつれ、頭がクリアになる。
「……まだ、人間やな」
小さく笑う。
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だが、そのとき。
視界の端で――
“消えた”。
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テーブルの上の灰皿が、一瞬だけ。
完全に。
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「……おいおい」
動きを止める。
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近づく。
触る。
ある。
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「見えんようになった、か」
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高野山での出来事が、頭をよぎる。
“認識から外す力”。
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「……持って帰ってもうたな」
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苦笑する。
だが、その目は笑っていない。
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スマホが鳴る。
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「……はい」
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『浮浪雲さん?』
女の声。
落ち着いているが、どこか緊張している。
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『紹介でお電話しました。少し……奇妙な件で』
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「奇妙なんは、いつものことや」
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短く返す。
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『人が……“消える”んです』
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沈黙。
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「……死ぬんやなくて?」
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『いえ。
本当に、“いなくなる”んです』
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浮浪雲の目が、細くなる。
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『しかも、誰も覚えていないんです』
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空気が変わった。
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「……場所は」
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『大阪です』
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女は、少し間を置いてから言った。
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『黒門市場の近くです』
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人が多すぎる場所。
雑多で、記憶が混ざる場所。
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「……最悪やな」
小さく呟く。
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電話を切る。
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浮浪雲は、ゆっくりと座った。
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(“空”が、外に出とる)
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自分の中にあるはずのもの。
それが――外でも起きている。
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「……漏れとるんか」
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それとも。
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「……増えとるんか」
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そのとき。
ふと、思い出す。
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高野山で最後に聞いた声。
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――「満ちる」
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「……あれ、終わりやなかったんやな」
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立ち上がる。
上着を羽織る。
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ポケットに酒。
そして、無意識に。
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“何かを一つ、消した”。
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机の上のメモ。
そこに書かれていた内容を。
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「……やばいな、これ」
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自分でやって、自分で苦笑する。
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「便利やけど、ろくなもんちゃう」
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玄関を出る。
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京都の空気が、少しだけ薄くなった気がした。
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「……次は大阪か」
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歩きながら、呟く。
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「人が消える街、ね」
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そのとき。
すれ違った男が――
一瞬だけ、輪郭を失った。
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そして。
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“戻った”。
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浮浪雲は、立ち止まる。
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「……始まっとるな」
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ゆっくりと笑う。
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「ええやん」
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その目は、少しだけ変わっていた。
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「どこまで行けるか、試したろやないか」
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人混みの中へ、歩き出す。
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その背中は、どこか軽い。
そして――
ほんの少しだけ、“薄かった”。




