『第六話:踏み込む者(ダルマの門)』
夜は、音を失っていた。
晴明は、古びた資料室の奥で一枚の記録を見つめていた。
そこには、戦時中の異常な報告が並んでいる。
――「敵機、視認不能」
――「上空に存在するはずの機影、突如消失」
単なる誤認では片付かない頻度。
そして、そのすべてに共通していた記述。
「祝詞の奏上と同時刻」
製麺の喉が、わずかに鳴った。
(まさか……本当に“干渉”しているのか?)
脳裏に浮かぶのは、ある物理学者の言葉。
「観測とは、世界を固定する行為だ」
量子は、観測されるまで“確定しない”。
ならば――
観測の仕方を変えれば、現実そのものを書き換えられるのではないか。
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「……違う」
背後から声がした。
振り向くと、そこにいたのは一人の男。
年齢も、立場もわからない。
ただ異様に“現実感”が薄い。
「君はまだ、“現象”を追っている」
男は静かに笑った。
「問題はそこじゃない。
現象を起こしている“構造”だ」
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晴明の頭が、嫌な音を立てて軋む。
「構造……?」
「そうだ」
男は机の上の記録を指でなぞった。
「祝詞も、祈りも、観測も――全部“同じこと”だ」
「……何を言っている」
「簡単だよ」
男は、はっきりと言った。
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「現実は、社会によって合意された“幻想”だ」
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その瞬間、晴明の視界が揺れた。
壁が歪む。
床が遠ざかる。
「ば、馬鹿な……そんなことが……」
「起きているだろう?」
男は淡々としている。
「君は“現実は客観的に存在する”と信じている。
だがそれは教育され、共有され、固定されたものに過ぎない」
「じゃあ……戦争も、死も……」
「もちろん“現象”としてはある」
男は少しだけ近づいた。
「だが、その意味も、重さも、形すらも――
社会が決めている」
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晴明の呼吸が乱れる。
(違う……違う……)
頭では否定しているのに、
身体が、世界の“軽さ”を感じ始めている。
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「昭和天皇の話も同じだ」
男が静かに続ける。
「“見えなくなった”のではない。
“見えないという現実に書き換えた”んだ」
「そんなこと……人間にできるわけが――」
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男は、遮った。
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「できる。だからやった」
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沈黙。
長い、長い沈黙。
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「……じゃあ、お前は何なんだ」
晴明は震える声で言った。
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男は、少しだけ笑った。
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「ラスボスだよ」
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「……ふざけるな」
「ふざけていない」
男の目が、初めて“重さ”を持った。
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「世界を書き換えているのは、神じゃない」
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一歩、近づく。
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「人間だ」
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その瞬間。
晴明の中で、何かが“音を立てて壊れた”。
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(じゃあ俺は……今まで何を信じて……)
(現実って……何なんだ……)
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視界が白く飛ぶ。
呼吸ができない。
心臓の音だけが、やけに大きい。
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男の声が、遠くから響いた。
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「いいところまで来たな」
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そして、最後の一言。
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「ここから先は、“戻れない”」




