Ⅲ 第七章 第8話
どんよりとした曇りの昼、木枯らしが吹く中庭にローズはいた。散歩がてら連れて来られたコタロウは、四阿の柱に繋がれて丸まっている。いつもの中庭の巡回ルートを辿っておやつも貰い、満足そうで大人しい。
「コタロウはもふもふだから、寒くないわねえ」
首に巻いていた大判のマフラーを広げて肩にかけたローズは、本殿へ通じる扉が開いてランスロットが出てくるのを見た。背筋を伸ばして真っすぐ四阿へ向かってくるランスロットの足取りは淀みない。怜悧に見える灰色の瞳がローズに近づくにつれて僅かに濁る。
「……お呼び立てして、申し訳ありません」
出勤してすぐにターニャからランスロットの伝言を聞いたローズは、気もそぞろなまま午前の仕事を終えて、中庭を訪れた。
「ううん、座る?」
「失礼します」
斜め向かいに腰を下ろしたランスロットは、短く息を吐き出した後で、拳を握って彼女を見つめる。ローズは落ち着きなくあちこちへ視線を流した。ランスロットに気づいたコタロウが首をもたげたが、二人の間を流れる緊張した空気を感じ取ったのか、再び顔を伏せた。
「ええと……学園の事件、特捜としての捜査はもう終わったんだよね」
「はい、大きな事件ですので、デビット・スローリーの身柄は司法部へ引き渡しました」
「ダイ君以外の二人の生徒も、翼廊から突き落としたって認めたの?」
「認めた、と言うべきか……。彼の中では犯行全てが正当な行為だったと変換されているようです。先の二人に関しては、期待を裏切った方が悪い。ダイ殿は、邪魔をしたのが悪い。我々が辿り着いた真実を肯定されて苦い気分になるとは思いませんでした」
労せず続けられる話題があって助かったとばかりに、ランスロットは饒舌に語る。
「……どこかで思考がねじ曲がってしまって戻れなくなったのかもね。パーシバルさんも、潔癖なところはあったけど真面目な少年だったって言ってたし……あ」
パーシバルの名を出したローズは、変化のわかりにくい灰色の瞳をじっと見つめた。
「ローズせんせい、その、時間が経ってしまいましたが……謝罪を、させてください」
彼女の視線に耐え切れず目を伏せたランスロットが、声を潜める。
「もう、今さらって感じだけど」
「申し訳ありませんでした」
「うん、いいよ。ランスさんが苦言を呈したくなるくらい、私が男好きに見えるってことはわかった」
胸を反らして堂々と返された言葉に、ランスロットは僅かに目を見開いた。
「いえ、そんなことは!」
「節度が足りないって陰口叩かれたこともある。品がない女医だって」
「やめてください!」
大きな声に反応してコタロウがむくりと起き上がる。
「ワン!」
一声吠えて足元へ寄って来た柴犬のクルリとした尻尾にそっと触れ、彼女は微笑んだ。
「ああ、ごめんね、コタロウ。今のは私が悪い……ランスさんもごめんなさい」
「いえ、ローズせんせい、俺が……醜く嫉妬しただけで、あなたは何も……」
身を乗り出して主張するランスロットの手の甲を、ローズが静かに押しやる。
「嬉しかったわ、ランスさんがランちゃんで、慕ってくれてるんだろうなって。でも、ごめんね、私はこうだから。変われないんじゃないかなって? ランスさんの気持ちは嬉しいけど」
言葉の途中でローズは口を閉じた。ランスロットの灰色の瞳から光が消えてしまったのを見て、大きな罪悪感が押し寄せた。
「……っ、あのね、私はこれからも、傷つけると思う。無意識にランスさんのことを……だから」
俯いて用意してきた台詞を最後まで言い切ろうと努力する彼女の前に影が差す。すぐ目の前へ移動してきた彼が彼女の頭を掴んで上向かせた。息を飲む彼女の唇に長く骨ばった男の指が触れる。
「言わないでくれ――それ以上聞きたくない……」
「あ……ラン……んんっ」
押し付けられた唇は冷えて乾いていた。ローズは抵抗せず受け入れた。彼女の頬を一筋雫が零れて行った。
「すまない……失礼、します」
ランスロットはローズの頬を流れた雫を拭ってから、踵を返して立ち去った。脱力して背もたれに寄りかかるローズのふくらはぎに、温かな毛が触れて寄り添った。
中庭へ通じる扉を押し開けて早足で本殿へ戻ったランスロットは、途中で方向転換した。身体がどんよりと重たく、思考は堂々巡りに自己への嫌悪を訴え続けるが、傍目には普段と変わらぬように見える。
「少し庭へ出ます」
表庭へ通じる出入口の黒狼騎士に告げて渡された帳面にサインをする。外へ出た彼は整えられた小径を進んだ。寒空の下で王都一般民の来訪者はいない。当て所なく歩いた彼は瀟洒な四阿へ辿り着いた。中庭のそれより新しく表庭の景色を楽しめる立地だが、ここにも誰もいない。
「……ああ……」
低い嘆きが零れ落ちる。崩れ落ちるよう腰を下ろした彼は、頭を抱えた。昼の休憩時間が終わる頃、ランスロットはポケットから懐中時計を出して時間を確認し、のろのろと立ち上がる。
常より幾分か丸まった背で詰所へ戻ったランスロットは、何食わぬ顔で引き出しを開けた。
「お、ランス、戻ったか……真っ青じゃねえか、どうした?」
「外にいた」
「ああ? こんな寒い中なんでまた……医局で診て貰えるよう予約取るか?」
「……いや、帰る」
「おう、隊長とチェリには言っとく。なんかやって置くことはあるか」
「ない……」
幽鬼のように顔色を失くしたランスロットは、大人しく宿舎へ戻った。
メルヴィンは食堂で作ってもらったバゲットサンドの包みを手に、ランスロットの部屋を訪ねた。
「ランス、起きてっか」
まだ青ざめた顔をのぞかせたランスロットは、メルヴィンが持った包みを見て軽く頭を下げる。
「助かる」
「おう、だいたいの体調不良は食っておけば治る」
「ふ、メルの理屈は突飛だ」
言いながらランスロットは彼を部屋へ招き入れ、ランタンに火を入れた。メルヴィンは頑丈な造りの椅子に腰を下ろし、ランスロットは窓辺にある一人用の食卓に着いた。
「まだ、顔色が悪いな」
「……そうか」
「おう、明日診て貰え。てか、ナックルせんせい呼ぶか?」
「いや、どこも悪くない」
答えてもそもそとバゲットサンドを齧るランスロットを、メルヴィンはじっと観察する。
「なんかあったか? またローズせんせいと喧嘩か」
「……いや……俺はもう」
手を止めてランスロットはじっと机を睨んだ。
「寝てもいねえ男に嫉妬されても困るって言ってたぞ。さっさと謝って許して貰え」
メルヴィンの明るい声が虚しく響く。落ち込んだ親友を励まそうとして失敗を悟ったメルヴィンは更に言った。
「ごちゃごちゃ考えてねえで、さっさと手え出してモノにしろ」
「……あの人には、俺なんかより、メルの方が……いい」
低く紡がれた泣き言に、メルヴィンは椅子の背もたれを叩いて立ち上がる。
「はあ?」
「お前ならくだらない嫉妬で彼女を困らせたりしない」
「……嫉妬しっぱなしだっつうの。クソが」
「どういう、意味だ」
「ああ? そのままの意味だ。ランスがいらねえなら、遠慮しねえぞ……他に渡すくらいなら俺が貰う」
驚いて固まるランスロットのテーブルを指で軽く叩いて、メルヴィンはもう一度言った。
「後悔すんなよ」




