第29話 あなたに、何が言えるというのです
宣誓の間は、天井が高く、窓が大きい。
声がよく通るように造られている。
四百年前、この国が一度割れたあと、最初に建てられた部屋だと聞いた。
わたしにとっては、ただ明るいだけの部屋だった。
高い窓から、朝の光がまっすぐ落ちてくる。床が白い石で、それが光を跳ね返して天井まで届いていた。影の落ちる場所がない。
明るい。
よく、読める。
部屋の中央に、床より一段低い場所がある。
そこに宣誓する者が立つ。周りを取り囲むように席があり、そこに聞く者が座る。
王の名代が正面。大神殿の声詠み統括が右手。書記が二人、左手。
ラングレー侯爵家の席に、オーギュストが座っていた。
こちら側の席に、ヴァイスとテオドールが座った。
ノエルとリリアは、証人の控えに立った。
わたしは、席の端にいた。
審議が始まった。
議題は、王暦四〇七年、ライナルト・カルネイドに対してなされた宣誓の再審議。
最初に、大神殿の統括が立った。
名を、バルトロメといった。六十を過ぎた男で、声は聞こえないが、口の開き方が大きい。荘重に喋る人らしい。
「宣誓の場において、面を上げ、口元を覆わぬこと」
彼はそう読み上げた。
この部屋にいる全員が、顔を上げた。
扇はない。手も上げない。誰も、口元を隠していない。
読める。全員が、読める。
四百年前、誰かがこの規則を作った。
声を偽らぬ証として、宣誓の場では顔を晒せと。
その誰かは、耳を持っていた。持っていたから、これがどういう意味を持つ部屋になるかを、考えなかった。
オーギュストが、三人を呼んだ。
五年前の証人だった。
一人は五十がらみの男。一人は痩せた男。一人は、太った男だった。
三人は順に述べた。
わたしはその全部を読んだ。
言っていることは、三人ともほぼ同じだった。同じすぎた。人が別々に思い出した記憶は、こうはならない。
けれど、それは証拠にならない。
同じすぎることは、疑いにはなる。疑いは、宣誓を覆さない。
五年前、ライナルト・カルネイドの前にも、この三人が並んだ。同じ言葉を、同じ順で述べたのだろう。
テオドールが立った。
彼は油紙を解き、麻布を外し、四〇七年夏の控帳を卓に置いた。
「王暦四〇七年、六の月の分でございます」
彼はゆっくり喋る。この部屋でも同じ速さだった。
「宣誓がなされたのは、六の月の十日でございます。証人三名の名がございます」
彼は頁を示した。
「うち二名は、六の月の八日から十四日まで、王都におりませぬ」
テオドールは、もう一冊を開いた。
「東の関の通行の控えでございます。名がございます。日付もございます」
部屋の中で、人が動いた。
「宿の控えもございます。辺境伯家が代々使う宿でございます。ライナルト様は、隣国の使いと会われたとされる日、その宿におられました。控帳に名がございます」
テオドールは、そこで一度切った。
「書いておらぬことは、ございませんでした」
リリアが立った。
妹は正面を向いて、はっきりと口を動かした。
速くない。この娘は、ゆっくり喋ることを覚えた。
「わたくしは、ヴィオレ伯爵家のリリアと申します」
彼女の指が震えている。喉も動いている。
「五年前、母が宣誓の場に立ちました。わたくしは七つでした。母は、お仕事だと申しました」
妹は言い切った。
「母は、その日、屋敷におりませんでした」
ノエルが立った。
「侍女のノエルと申します。二十を過ぎておりますので、証人の資格がございます」
彼女は前掛けを握っていない。今日は握るものを持っていない。
「あたくしは、その日、屋敷におりました。奥様がお出かけになるのを見ております」
部屋の空気が、変わった。
人の顔が、動いた。書記が二人とも羽根ペンを動かしている。
王の名代が、身を乗り出した。
勝ったと思った。
テオドールが、控帳の縁を押さえている。
ヴァイスは動かない。膝の上で手を組んだまま、正面を見ている。五年、この人はこの部屋のことを考え続けてきたはずだ。
わたしは、席の端で息を詰めていた。
オーギュストが、立ち上がった。
彼は急がなかった。
立ち上がって、袖を直して、顎を一度引いた。人に話しかける前の、あの動きだ。
口を、開いた。
「よく聞きなさい」
ゆっくり。粒を揃えて。
「四百年前、この国は文書を信じて割れました。三通の偽勅が出回り、三年、内戦が続きました」
誰も、動かなかった。
この人が喋ると、部屋が静かになるのだと分かる。人の顔が全部、同じ方向を向いた。
「以来この国は、声を主とし、書き付けを控えといたしました。声は、あとから作れませぬ。紙は、誰にでも作れます」
彼は、テオドールの控帳を見た。
「その控帳が本物である証を、あなたはお持ちですか」
テオドールが何か答えた。背中だから読めない。
オーギュストは、それを聞いて、少し首を傾けた。
「では、その控帳が正しく、三名の証人の耳が誤っていると。そう申されるのですね」
彼は王の名代のほうへ体を向けた。
「規則は、わたしが作ったものではございません。四百年、この国を保ってきたものでございます」
彼は、次にリリアを見た。
「ヴィオレ伯爵家のご息女。あなたは当時、七つでいらした」
リリアの肩が上がった。
「証人資格は、成年に達した者に与えられます。七つの記憶は、証言にはなりませぬ」
次に、ノエルを見た。
「侍女殿。資格をお持ちなのは、そのとおりです」
彼はゆっくり言った。
「ですが、貴族三名の宣誓に対して、平民一名では、重みが足りませぬ」
彼は席に戻らなかった。
立ったまま、こう続けた。
「わたしは、規則を守っているだけです」
わたしは、その一文を読んだ。
この人は、嘘を言っていない。
規則を破っているのではない。規則を、いちばん上手に使っているだけだ。
だから、正面から崩せない。崩すには、四百年を崩さねばならない。
バルトロメが、頭を垂れた。
王の名代が、書記に何か言った。
書記の一人が、頁を閉じかけた。
審議が、終わろうとしていた。
テオドールが立ち上がりかけて、止まった。言うことが、もうない。
リリアが両手で口を押さえている。ノエルは背筋を伸ばしたまま、瞬きをしていない。
材料は、全部出した。
出して、届かなかった。
ヴァイスが、立ち上がろうとした。
わたしは、その前に立った。
立ち上がったのは、わたしのほうが早かった。
部屋の全員が、こちらを向いた。
誰も、わたしを見ていなかった。
十八年、ずっとそうだった。
今、全員が見ている。
王の名代が。書記の二人が。大神殿の統括が。
五年前の証人三名が。ヴァイスが。テオドールが。ノエルが。妹が。
全員が、こちらの顔を見ていた。
オーギュストが、こちらへ体を向けた。
この人が、正面に立った。
八年、同じ広間にいて、一度もしなかったことだ。
彼の唇が、動いた。
「気の毒に」
ゆっくり。粒を揃えて。
「あなたに、何が言えるというのです」
わたしは、その唇を読んだ。
一語も、落ちなかった。
息を、吸った。
十二の年、人前で声を出した。広間の笑いが床を震わせた。
それきり、六年、人前で口を開いていない。
わたしは自分の声を知らない。
高いのか低いのか、大きいのか小さいのか、生まれてから一度も確かめられたことがない。
母だけが知っていた。母は、もういない。
喉に指を当てた。
震えていない。まだ。
六年ぶりに、わたしは口を開いた。




