第28話 あなたが宣誓なさったのです
継母は、わたしを見ずにこう言った。
「この子の代わりに申し上げますと――」
その先が、続かなかった。
ヴィオレ伯爵邸の広間。
昨日、リリアが階段を下りてきて、同じ文を途中で折った。
今日は、継母が自分で止まった。
彼女は、卓の向こうに立っている。
半年前より、装いが地味だった。
銀糸の入った扇は持っていない。手には何も持っていない。
扇がなければ、口元は隠れない。この人がそれを知らないのは、知る理由がなかったからだ。
「セレーヌ。おかしなことをお聞きしました」
継母は言い直した。
「宣誓の場に、リリアを立たせるとか。あの子はまだ十六です。何も分かっておりません」
わたしは紙を出した。
『十六でも、証人資格はあります』
「資格の話ではございません」
継母の唇が、少し速くなった。
「わたくしは、あの子の母です。あの子のことは、わたくしが決めます。それに――あなたのことも」
彼女はそこで、こちらへ手を伸ばしかけた。
「あなたのことも、わたくしが。困ったことがあれば、すぐにお知らせなさいと申し上げましたでしょう。手紙も差し上げました」
わたしは、その手紙を持っていた。
袂から出して、卓に置いた。
半年前、カルネイドの部屋で読んだものだ。装飾の多い字。読みにくい。
継母は、それを見た。
「まあ。取っておいてくださったの」
わたしは、書いた紙を横に置いた。
手紙の一節を、書き写してある。
『困ったことがあれば、すぐにお知らせなさい。わたくしが代わりに申し上げます』
『あなたは何もお決めにならなくて結構です』
継母は、二枚を見比べた。
「ええ。そう書きました。何かおかしいことでも」
おかしくはない。
この人は、何ひとつ間違ったことを書いていない。
後見人が被後見人に代わって意思を述べる。証人資格を持たない者の言葉は、そうやって法に届く。
十二年、この人は制度どおりに動いた。一度も、違法なことをしていない。
だから、告発できない。
わたしは、二枚目を書いた。
『後見人の代弁は、被後見人にのみ及びます』
継母が読んだ。
「存じております。わたくしはあなたの後見人ですもの」
わたしは、三枚目を書いた。
『後見は、婚姻によって終わります』
継母の目が、紙の上で止まった。
「それは」
彼女の唇が、そこで一度動きを失った。
「それは、形式の話でしょう。わたくしはあなたを育てました。十二年です」
わたしは、四枚目を書いた。
書くのに、少し時間がかかった。文字を選んだからではない。手が、思ったより落ち着かなかった。
『九の月五日、ヴィオレ伯爵邸の大広間で、あなたは宣誓なさいました。
ヴィオレ伯爵家の長女セレーヌを、カルネイド辺境伯家へ嫁がせる、と。
三人の証人の前で。声に出して』
継母は、それを読んだ。
読んで、動かなかった。
わたしは、五枚目を置いた。
『わたしを後見の外へ出したのは、あなたです』
この国では、声に出されたものだけが本物になる。
継母は、その規則を十二年使った。
わたしの言葉を、自分の口から出した。わたしの婚約を、わたしのいない部屋で始めて、わたしのいない部屋で終わらせた。わたしの嫁ぎ先を、扉の外に立たせたまま決めた。
それは全部、正しかった。
正しかったから、覆せない。
同じ理由で、あの日の宣誓も覆せない。
わたしは、あの日、扉の隙間から見ていた。
父の唇の右半分しか見えなかった。角度が悪く、断片しか取れなかった。
二度目に、父が証人のほうへ向き直った。顎が動いて、唇の左側が影から出た。
そのとき、全部読めた。
わたしを縛っていた規則が、あの一度だけ、こちらを向いた。
あの日、わたしは控えの間の床を見ていた。
扉の隙間から落ちた光の帯が、人が横切るたびに一度切れた。切れた回数で、向こうに何人いるかを数えた。六人。
数えたところで、何にもならないと思っていた。
継母は、卓に手をついた。
その手が、紙の端に触れた。触れて、離れた。
「……あなたは」
彼女の唇が動く。
「あなたは、そんなことを考える子ではなかったでしょう」
わたしは、その一文を読んだ。
そんなことを考える子ではなかった。
この人は、十二年、わたしが何を考えているかを一度も尋ねなかった。
尋ねなかった人が、考えていないと決めた。
わたしは、書かなかった。
書くことは、いくらでもあった。四十枚のうちの何枚かは、この人のことを書いた紙だ。父に借財の額を偽ったときの、口ごもった数字まで書いてある。
出さなかった。
これは、そういう場ではない。
広間の扉が開いて、ユリウスが入ってきた。
昨日より、髪が乱れている。外套も着ていない。
彼は継母を見て、それから卓の紙を見た。
「マルグリット夫人」
彼の唇が動く。速い。
「伯父上が、私を外されました。侯爵家の名代を、従弟に。あなたのご息女との婚約も、白紙にすると」
継母が振り向いた。
「そんな話は聞いておりません」
「今朝、決まったのです」
ユリウスの唇が、崩れ始めた。
「そもそも、あなたが姉君を差し出したのでしょう。妹君を東へやりたくないと。私はそのお願いを聞いただけだ」
「あなたが破棄なさったのでしょう」
継母の唇が、速くなる。
「うちに恥をかかせておいて。あの子を東の果てへ追いやったのは、ラングレー家のご都合ではございませんか」
「僕は悪くない」
「わたくしも悪くございません」
二人は、互いのほうを向いて喋っていた。
どちらも、正面から。
どちらも、はっきりと。
わたしは、そこに立って見ていた。
書きもしなかった。
言いもしなかった。
この二人は、わたしが読めることを知らない。
知らないまま、わたしの前で、互いの言ったことを並べていた。
半年前、この二人はわたしを東へやると決めた。
決めた部屋に、わたしはいなかった。今日は、いる。
いても、誰も気にしない。それだけは、半年前と同じだった。
階段の上に、リリアがいた。
妹は手すりを握って、下を見ていた。
母を見て、婚約者を見て、それから顔を背けた。
背けて、階段を上っていった。
母を見捨てたのではないと思う。
もう、見ていられなかったのだ。
ヴァイスが、広間の入口に立っていた。
彼はわたしの正面に回り込んで、口を開いた。
「王城から返答が来た」
速くない。
「五年前の宣誓について、再審議の請求が受理された」
彼はそこで一度切った。
「三日後だ。宣誓の間で」
わたしは、書いた。
『受理させたのは』
ヴァイスは紙を読んで、答えた。
「向こうだ」
彼の顎が、わずかに動いた。
「宰相が、自分で通した」
わたしは書いた。
『なぜ』
ヴァイスは紙を読んで、しばらく黙った。
「勝てると思っているからだ」
彼はそれだけ言った。
言ったことは、たぶん正しい。あの人は、五年前に一度、同じ手で勝っている。
テオドールが、控帳を抱えて立っていた。
油紙で二重に包み、麻布を巻いたままだ。
彼は帳面の背に、指の腹を添わせた。
「書いておらぬことは、ございませんでした」
いつもの言葉だった。
三日後。王城の、宣誓の間。
声だけが、真実になる場所へ。




