表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「どうせ聞こえない」と、あなた方は私の目の前で全部おっしゃいました  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/30

第25話 同じことを、二度

 来たときと、同じ十二日。


 同じ街道、同じ宿。

 違うのは、荷の中に控帳があることだった。


 四〇七年の夏の分。テオドールが自分で抱えて、馬車に乗せた。

 膝の上から離さない。宿でも、抱えたまま眠っているらしい。

 油紙で二重に包み、その上から麻布を巻いてある。雨に濡らさないためだ。この人は控帳を、赤子のように運ぶ。



 雪解けの道は、来たときより悪かった。


 土が緩んで、車輪が沈む。一日に進める距離が短い。

 三日目には、荷車を一台置いていくことになった。


 わたしは窓から外を見ていた。


 枝の先に、小さな芽がついている。

 この土地の春は遅いと聞いたが、それでも来るらしい。

 六十日、白いものしか見ていなかった。緑を見ると、目の奥が少し疲れる。使っていなかった場所を使うからだろう。



 東の関で、報せが入った。


 関所の役人がヴァイスに何か告げ、ヴァイスが表情を変えないまま聞いていた。

 やがて彼は馬車のところへ来て、扉を開け、正面に立った。


「王都で、請願が出ている」


 速くない。


「ラングレー侯爵家からだ。カルネイド領の交易権を、王家の直轄に移せと」


 わたしは紙を出した。


『理由は』


 彼は紙を読んで、答えた。


「辺境伯家は、隣国と通じている疑いがある」


 わたしは、その一行を読んだ。


 隣国と、通じている。


 五年前、彼の兄が処断されたときの理由と、同じだった。


 一度で通った手を、そのまま二度使う。

 効いたものを変える必要はない。変えないのは、相手を侮っているからだ。侮る根拠もある。一度目は、通ったのだから。



「同じことを、二度やる気だ」


 ヴァイスは言った。


「――分かるか」


 わたしは指を一本立てた。


 彼はそれを見て、扉を閉めようとして、止めた。

 止めて、もう一度開けた。


「五年前は、兄が一人で王都にいた」


 彼は言った。


「今度は、こっちに味方がいる」


 彼はそこで一度、こちらの目を見た。

 味方、という言葉をこの人が使うのを、聞いたことがなかった。


 それだけ言って、扉を閉めた。



 その夜、宿の一室に四人で集まった。


 ヴァイス、テオドール、ノエル、わたし。

 卓に紙を広げた。


 テオドールが、要るものを順に挙げていった。


 一つ。平民の証人が一名。ノエルが立つ。

 二つ。爵位のある証人が一名。心当たりは一人。

 三つ。四〇七年夏の控帳。手元にある。


 四つ目のところで、テオドールの指が止まった。


「奥様の御覧になったもの」


 彼はそう書いて、その下に線を引いた。線の下に、何も書かなかった。


 わたしの証言は、法の上では存在しない。

 何を見ていても、証人資格を持たない者は、何も見ていないことになる。


 五年前、庭の長椅子で、わたしは四人の男を見た。

 あの日あの庭にいた人間のうち、いまも生きていて、あの会話を全部知っているのは、白髪の男と、わたしだけかもしれない。

 そのうち一人は、法の上では、その場にいなかったことになっている。


 三つは揃う。四つ目が、揃わない。


 三つで足りるなら、この五年で誰かが動いていただろう。

 足りないから、五年動かなかった。



 ノエルが口を開いた。


「奥様が、証人におなりになる手立ては」


 テオドールは首を横に振った。


「四百年、動いておりませぬ」


 彼はゆっくり言った。


「洗礼名を授かれば、と申す者もございましょう。ですが、名は資格ではございませぬ。神殿の帳面に載るだけでございます」


 わたしは、卓の上の紙を見ていた。



 やがてテオドールが、こちらへ体を向けた。


 彼は少し考えてから、口を開いた。


「奥様」


 一語ずつ。


「証言なさる必要は、ないのかもしれませぬ」


 わたしは顔を上げた。


 テオドールは、それ以上言わなかった。

 言わずに、控帳を膝の上に抱え直した。


 紙の背に、指の腹を添わせている。



 わたしは書いた。


『どういう意味ですか』


 テオドールは紙を読んだ。


 読んで、こう答えた。


「まだ、申し上げられませぬ」


 彼は目を伏せなかった。


「分かったことだけを申し上げます。それが、書記の作法でございますので」


 ヴァイスがテオドールを見た。

 テオドールは、その視線を受けて、控帳を抱え直しただけだった。


 この人が「まだ」と言うときは、本当に「まだ」なのだと思う。

 十一日、署名を待った人だ。急がせて出てくるものは、この人の中には入っていない。



 王都に着いたのは、十三日目の午後だった。


 城門を抜けると、石畳が始まる。

 車輪の震えが、急に細かく硬くなった。


 この震え方を、体が覚えていた。

 十八年、この震えの上を歩いた。半年離れていただけで、懐かしいとも思わない。ただ、知っている。



 街は、何も変わっていなかった。


 同じ通り、同じ屋根、同じ人の流れ。

 わたしが出て行った日と、何ひとつ違わない。


 半年で、街は変わらない。

 変わったのは、こちらだけだ。


 半年前、この街を出るとき、わたしは十八だった。

 今は十九になっている。それを知っているのは、東の果ての帳面と、わたしだけだ。



 馬車の窓から、通りを歩く人を見た。


 誰も、こちらを見ない。

 王都の人は、他人を見ない。見ないふりをする。


 カルネイドでは、用があれば見た。用がなければ見なかった。

 ここでは、用があっても見ない。


 人の唇が、いくつも視界を横切っていく。

 半年ぶりに、全部が読める。


 この街の言葉は、わたしの言葉だ。

 読めるのに、届かない。


 カルネイドでは、読めないことが多かった。六つの言葉が混じり、訛りがあり、知らない語がいくらでもあった。

 それでも、通じた。板に書けば通じた。指を四本立てれば通じた。


 ここでは、全部読める。読めて、何も通じない。



 ラングレー侯爵邸の前を通った。


 門は閉まっていた。

 壁の上に、紋がある。盾を二つ重ねて、上に星を一つ。


 半年前、あの門をくぐった。

 広間で、婚約が終わった。三人の証人がそれを聞いた。継母が代わりに承知した。

 その手続きが済んだあと、ユリウスは従僕に向かって、わたしの正面で口を動かした。

 あの唇の形を、わたしはまだ持っている。


 わたしは一言も発しなかった。


 いまも、発せない。

 この街で、わたしの言葉は存在しない。



 膝の上に、控帳の一冊があった。


 テオドールが「奥様がお持ちください」と言って渡したものだ。

 四〇七年の夏の分ではない。麻布三十反の、あの控帳だった。


 最初の頁に、わたしの署名がある。


 字が歪んでいる。二画目が長すぎる。

 インクが滲んで、最初の一画の縁が広がっている。


 この紙の上でだけ、わたしは存在していた。


 膝の上の控帳を、両手で押さえた。

 馬車が石畳を踏むたび、震えが腕まで上がってくる。この街の震え方だ。



 宿に着いた。

 王城に近い、辺境伯家が代々使う宿だという。五年前、ヴァイスの兄もここに泊まった。宿の控帳に名が残っているのは、この宿のものだ。


 ヴァイスが馬車の扉を開け、正面に立って、言った。


「明日、ヴィオレ伯爵邸へ行く」


 わたしは知っている。


 妹に、会いに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ