旅は始まる
トレーラーの後方から、銃を持った男たちが彼女に近づいてきていた。二人の男は、スュン教幹部からの命を示す肩章と、それぞれ拳銃と、サフランの銃よりもよほど威力のありそうなショットガンを持っていた。
ドアを開けて中から飛び出しそうな弟を蹴飛ばして止め、サフランは用心深くミニトレーラーの天井の窓を開いた。
男たちは弱い者を捕まえるときの人間らしい、緩んだ笑みを見せていた。これから彼女を嬲ることも、殺すこともできる、優位に立った人間の顔だ。それでいてサフランの側のことも用心深く見ており、ショットガンはこちらを向き、拳銃はデビーの背中に当てられた。
「出て来い」
男の一人がサフランに声をかけた。
「行ってよ!」
デビーは叫び、わなわなと唇を震わせた。本当は死ぬことが怖いのかもしれない。それだけでなく、これから男たちにされることに怯えているのかもしれない。
サフランはトレーラーから出た。両手を上げ、拳銃を地面に置き、ゆっくりとひざまずく。
「もう一人女がいただろう」
男がトレーラーのほうに首をしゃくって言う。
「行ってって言ったのに……」
デビーは泣き出した。少年は飛び出したが、姉の状況を見て現実を受け入れられないような呆然とした表情でサフランに倣った。
「お前ら、どこかに行くつもりだったのか」
ショットガンの男の質問にサフランは黙り、他の二人も答えない。
「お前ら馬鹿なのか? 何か言えよ」
デビーに拳銃を突きつける男が言い、笑う。
「ま、いいや。女三人確保。小さいほうの女、こっち来い。デカいほうの女は前を行けよ」
拳銃のほうが少年に呼びかけた。震えながら、少年は従う。サフランも少年と並んで歩き出した。前を行くショットガンの男とサフランが並んだ時、男たちがサフランを見て口笛を吹いた。二人は気を抜いて目を見合わせた。その瞬間、サフランは男のショットガンを持つ手をひねりあげて、その脇腹に細いナイフを突き刺していた。男がうめいてひざまずき、血を吐く。がくがくと震える。拳銃の男は驚いて銃の照準をサフランに合わせようとしたが、彼女はその前に男の懐に飛び込むかのような動きで走り込み、拳銃の砲身を握って押さえつけた。そして男を抱き締めるように頭を包み、その手で男の首筋に同じナイフを刺した。頸動脈から血が漏れ、彼女の顔を濡らす。ショットガンの男がサフランを撃とうと震える手で引き金を引いた。思い切りひねられた手は男の思い通りに動かず、弾は見当違いの、ホテルの前のアスファルトに当たって穴をあけた。無理だよ、とサフランはつぶやき、男を足元から勢いよく蹴り倒す。そして胸倉を掴んで左胸の同じ個所にずぶずぶと二回、ナイフを深く刺す。サフランは死んだ男を割れた地面に放り出した。血液は勢いよくひっくり返したたらいの水のように溢れ、男たちはもううめくこともなくなった。
血のついた手を、死体の服でふき取る。いっそ海に飛び込んで洗い落としたいくらいだ。辺りを見回す。立ち尽くした姉弟は怯えたような顔をしていたが、
「もう大丈夫だよ」
とサフランがあえて平気な声を出すと、ほっと一息ついた。
「ヤバいくらい汚れちゃったね。あんた何か布切れ持ってきてよ」
少年に指示を出すと、彼は大急ぎでトレーラーに向かって走り出した。自分の拳銃を拾い、サフランはデビーを見る。
「行こうよ、一緒に」
彼女の言葉に、デビーはうなずく。それから立ち上がり、サフランについてくる。サフランが少年の差し出すぼろきれを受け取っていると、デビーは笑った。
「確かに私、自分勝手だったかも。こいつのこと考えてなかった」
サフランはトレーラーに乗り込み、中から手を差し出した。デビーは手を握った。二人で笑い合い、――次の瞬間乾いた銃声がした。
サフランはデビーを見た。デビーはうつろに笑っていた。それから糸の切れたマリオネットのように、くずおれた。
サフランはドアを閉めた。
「今の、何だよ。デビーは?」
サフランは勢いよく上の窓を開こうとした。銃弾がそこをかすめた。マイクの元に行く。
「ミセス・エヴァンズ。旋回して」
途端にミセス・エヴァンズが立ち上がり、ガシャガシャと勢いよく走り出した。トレーラーが傾きながらぐるりと移動する。中でしっかりと踏ん張り、上の窓を何度か開くが、何度も撃たれそうになる。円形や八の字に回るトレーラーの中心に立っていた第三の男は、ぐるぐる回るトレーラーにリボルバーを向けていた。しかし、予想のつかないトレーラーの動きに視点の置き場が散漫になる。最後には、男の視線は自分のほうを向く拳銃の銃口に釘づけとなった。サフランはドアから身を乗り出していた。それが男の死の直前の光景とも気づく暇もなく、男は眉根を寄せてサフランを睨みつける。
殺人鬼め。
男の口がそう動いた瞬間、サフランは男の眉間を撃ち抜いた。男がデビーの頭を撃ち抜いたときのように、男はくたくたと地面に倒れた。
トレーラーから飛び出し、今度こそと辺りを確認する。それからデビーの元へと走った。急いだところで覆った容器はもう戻らない。両腕を下敷きにしてうつぶせに倒れたデビーは、生命を宿していない。サフランは彼女を仰向けにし、その開いたままの目を閉じた。単に見つめられているのが辛かったからだ。
少年が遅れて歩いてきた。そばで立ち止まった彼に、彼女は「ごめん」とささやいた。
「警戒が足りなかった」
「いいよ。依頼にはデビーの安全は含まれてないだろ」
サフランは驚いて彼を見つめる。彼は泣いていなかった。男たちに姉を嬲られることを何よりも恐れていた少年は、少し残念そうな顔をしているだけで、悲しんでなどいなかった。
「何で? あんたのお姉さんは死んだよ」
「わかってるよ」
「なら何で?」
少年は、ふう、とため息をついた。
「また会える」
どういうことだろう? サフランは少年を見つめ続けた。少年は、つむじの位置でまとめた長い黒髪を潮風になびかせ、
「だから、いいんだよ」
と言った。
サフランは混乱しつつも、それによって少し救われた気がした。スュン教の「よき者なら天国に行ける」という考えとは違う、彼らの考え方は、親しみの持てる、血の通ったものだと感じた。
「それよりも、デビーの体が奴らの仲間に見つかる前に、することがあるよ」
少年は姉の体の下に腕を入れ、横抱きに持ち上げた。ぐにゃりと力の抜けた体はまだ死後硬直も始まっていない。彼は姉の亡骸を抱いたまま、道路の向こう側に開けたビーチに向かって歩き出した。サフランも辺りを見回しながら付き従う。波が何度も浜辺に打ち寄せ、砂浜を濡らしている。少年はスニーカーが濡れるのも構わず、海へ入った。ざぶ、ざぶ、と彼が進むたびに海の水が抵抗する。少年は姉を海に浮かべた。最初は浮いていたデビーは、波に揺られながら次第に沈んでいった。このまま遠くへ運ばれていくのだろう。
サフランはそれを見つめ続けた。朝の浜辺は美しい。まるで彼女の葬式のように静謐だ。
少年が戻ってきた。ワンピースが濡れているため、彼は思い切りそれをたぐって絞った。濡れた長い髪を犬のように振り払う。震えながら、少年はサフランのトレーラーに戻った。大きなリュックサックから衣類を取り出すと、
「着替えるからちょっとそこにいて」
とサフランに向かって大声を出した。サフランはその通りにしたが、着替えた彼は緩やかな灰色のスウェットのようなものを着ていて、彼女は少し驚いた。
「何だよ」
少年はサフランの表情にムッとした様子で唇を尖らせた。
「ワンピース着ないの?」
「着ない。もうデビーがいないから。僕がワンピース着て髪を伸ばして、女みたいな恰好をしても許してくれる人が」
あれは少年の矜持の表明のようなものだったのだ。自分は好きなように振舞う、という。
「あたしはワンピースなんて着ないけど、それはあたしが着たくないから。髪を短くしてきついジーンズしか着ないのは、それが好きだからだよ。だから、何とも思わないよ。同じだから」
サフランは微笑んだ。初めて自分と同じ人間を見つけた気がした。スュン教の女性たちは皆ワンピースかスカートしか着ない。髪も伸ばすし、柔らかな態度を示す。彼女がそれに対抗するような恰好をしているのは、同じようにしていては一人で生きていくことはできないというのもあるが、それだけではない。彼女の矜持だ。
「あたしたち、いいデコボココンビじゃん。着なよ、ワンピース」
少年はしばらく黙ったあと、
「強要されて着るもんでもない」
と叫び、次に出て来たときにはまたワンピースにズボンを合わせていた。サフランはにっこり笑った。
「あんた、名前は?」
少年は黙った。それから彼女を上目遣いににらんだ。彼女はにこにこ笑い、
「あたしはもちろんサフランって本名じゃない」
「正直だな」
「あんたも偽名でいいよ」
少年は、しばらく考え込み、植物の名前をいくつか口の中で唱えてから、
「……ルー」
と言った。サフランは大きくうなずき、
「いいね」
と笑った。
呆気ないほどに明るい、潮風吹く午前中のビーチ。サフランとルーの旅は、ここから始まる。




