説得
「で、私たち、十年前の《災厄》をまともに受けてしまった世代で――要は《石持ち》なわけ。ほら」
少女は髪を持ち上げて後ろを見るように首をねじり、こともなげに襟足を見せた。サフランは息を呑んだ。《災厄》のあった土地の出身である証のように、彼らは一つか複数の黒い石を体に埋め込まれている。その石は艶がなく、海の中の丸い石のように滑らかに沈み込み、体に馴染んでいる。
「この石の存在に気づかれると、私たちあっという間に異端者の烙印を押されて殺されちゃうんだよね。だから弟だけでもシカゴの仲間の元に連れて行ってほしい」
シカゴ? サフランは思考停止した。シカゴ。彼女がずっと近寄らないようにしてきたスュン教本部のある都市。――いや、それよりも。
「その子、男の子なんだ」
視線をポニーテールの少女、いや、少年に移した。少年は真顔のまま、「そうだけど。何か悪い?」と低い声で訊いた。
「……女の子だと思ってただけ。ごめん、何も悪くない」
少年は不愛想に視線を落とすと、
「僕はいいんだけどな」
と小さくつぶやいた。
「何?」
少女は少年に苛立ったような顔をした。どうやら少女は本当に少年の姉のようだ。仕草や表情がそれらしい。
「デビーと一緒に旅して、終わりが来れば終わり、でいいよ。こんなよくわかんない女とシカゴに行くよりは」
サフランの目が冷たく光る前に、デビーと呼ばれた姉が「いい加減にして」と突き放すような声を出した。
「もう話は充分したでしょ」
少年はティーンらしいいじけた顔で、何もないほうを横目に見た。
「サフラン」
デビーは、サフランの目をしっかりと見つめた。サフランは距離を詰めてくる彼女を拒まなかった。
「私はもう目をつけられてるの。弟は私と一緒にいたら私の身内で、弟で、同じ《災厄》の影響を受けたサンフランシスコ北部の人間ってすぐばれちゃう」
要はデビーが求めているのは弟の保護だった。父親を殺されても平気な少女は、弟が殺されることを避けていた。理由はわからなかったが、共感はできる。自分より弱い者が自分の目の前で辱めに遭い、殺されてしまうのは、言いようのないほど辛い。
「報酬次第」
サフランの言葉に、姉は黙り込み弟は「ほら見ろ」とばかりにあざけりの表情を見せる。
「コオロギクッキーバー。あと旧通貨。旧通貨は一千ドルでいいや」
少年は驚いた顔をした。千ドルでは小さな宝石を一つ買うことすらできない。
「何で?」
「あたしの主食は基本的にコオロギクッキーバー。旅してるから自分から要求しなきゃもらえないの。あと、あたしもあんたたち同様、いつ死んでもいいと思ってるから、報酬額はそんなにいらない。あたしは天国を信じてないし、無に返る場合はお金なんて無駄になるだけ」
「ヴァン紙幣と、あと旧通貨百二十ドルしかないんだけど」
デビーが差し出した金はしわくちゃだった。サフランは片手でそれを受け取る。
「いいよ。ヴァン紙幣は嫌いだけど、お金としては使えるからね」
「何で嫌いなの? お金はお金でしょ」
怪訝な表情のデビーの言葉に、サフランは無表情に紙幣の一枚をつまんで揺らめかせる。
「あたしはヴァン聖人が嫌い。そんだけ」
紙幣には整えられた長い髭をたくわえた中年の男が描かれていた。ヴァン聖人はスュン教本部の最も名誉ある長老であり、司祭だった。
「……やっぱり嫌だよ。僕はデビーと一緒に死ぬ」
絞り出すような声の元を見ると、少年は爪先を睨みながらワンピースをくしゃくしゃにしながら両手で掴んでいた。デビーがみるみる厳しい顔になる。
「あんたね」
「デビーはわかってるだろ! 若い女がスュン教徒に捕まって、殺されるだけならいいけど他にどういう目に遭うか……」
姉弟のやり取りを、サフランはじっと見つめる。充分にあることだ。スュン教徒の中にはそういう連中もいる。
「だから、私はあんたに守ってもらえるとは思ってないし、どうせ――」
デビーは口をつぐんだ。少年も、サフランを見て黙った。サフランは両腕で自分を抱きながら、「で、どうする?」と訊く。
「僕はデビーと一緒にいるよ。来てもらって悪いけど」
「もう、いい加減にして」
少年の言葉に、姉は心底疲れ切ったような声を出した。これまでもずっと議論してきたことなのだろう。数ヶ月分のため息をついた。
「デビーも来れば? そしたら全部解決しない?」
サフランの提案に、姉弟が固まる。
「急げば数日でシカゴに着くと思う。窮屈だとは思うけどあたしのミニトレーラーは三人分の寝床を確保できるよ」
デビーの表情は奇妙だった。全くありがたいと思っているようには見えない。しかし、彼女はこう言って笑った。
「そうしよっか」
少年の表情が明るくなった。それなら納得できる、とばかりにうなずき、ふてくされた態度は相変わらずだが、鼻歌でも歌いそうな様子に変わった。サフランは微笑ましく思った。
デビーの言う通り、三人は姉弟の簡単な荷物をミニトレーラーに詰め込んだ。トレーラー後部のトランクルームはたちまちいっぱいになり、寝る場所は相当狭くなりそうだった。
サフラン、少年とトレーラーに乗り込み、デビーはのろのろと足をかけた。
「父さんとの旅、楽しかったよね」
デビーは弟に話しかける。少年は姉の腕を引っ張り、「早く乗れよ」と急かす。デビーは「やめてよ」と少し笑い、
「この旅も、楽しいものになるといいね」
と寂しげな表情になる。肩までの髪は潮風になびき、少女の顔を隠す。サフランは予感がした。思わず声をかける。
「早く乗って、デビー」
デビーはそれに逆らい、外からトレーラーの出入り口を勢いよく閉じた。
「何やってんだよデビー……」
少年が中からドアをまた開けようとした。サフランはすぐにそれを止めた。少年が苛立たしげにサフランを見たが、彼女は潮風に髪をなびかせるデビーを窓越しに見つめていた。彼女は、知っていたのか。




