↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サフラン・ノート  作者: 酒田青
サフラン・ノート2
21/40

本当の目的

 天井の都市ばかりを見る毎日だが、ちょくちょくデビーが来てくれる。彼女を抱き上げ、頬ずりをしたり、天井の都市を指さして色の変わっていくうろこ張りの建物について何か言ったりする。天井の都市は道路が明るいピンク色で、見ているだけで楽しい気分になる。


「サフランが大きくなって歩けるようになったら、もうあの街に行けると思うんだ」


 あの街に行ける? 本当に? そう思ってサフランは嬉しくてキャッキャと笑ってしまう。美しいあの街に行けるのはとても嬉しい。


「あの街に行くと、できることがたくさんあるんだ。情報を交換したり、混ざったり、薄めたり、得たり」


 意味がわからないけれど、楽しみだ。あの街は無人なのに何だかとても賑やかで、楽しそうな感じがする。デビーは嬉しそうに笑うサフランをあやしながらルーを呼んだ。ルーは現れてすぐにサフランを抱き、頬にキスをした。サフランは濡れた頬の感触にまた笑う。


「サフランはいつもご機嫌。かわいいね」


 ルーが彼女の頬をつつくと、サフランは唇を尖らせて鳴らす。何だか急に不満の波が押し寄せてきたのだ。デビーがそれを察知してルーからサフランを受け取って抱き直す。ルーは微笑みながらこうつぶやいた。


「サフランのことが知りたいな」


 風景は変わらない。辺りはただ白い靄に包まれ、天井の都市は様々な色のタイルでうろこのように光るだけ。サフランはデビーに抱かれながら、全ての美しいものは、赦されていることによってそう感じるのだとかすかに思った。ルーはそんなサフランを覗き込みながら、


「君は全てを変えるために、手助けをしてくれてるんだ」


 とサフランの頬を指で撫でた。




 朝日が昇ると同時に、ネッドが起き出して仕事を始めた。大した音ではないのだけれど、ルーが目を覚まし、サフランも同時に起きた。二人でそっと外に出て、ネッドの仕事ぶりを眺めることにした。ネッドは眠そうな様子も見せずに作業に没頭していた。多分寝ていないのだろう。


 ネッドの整備工場でもあるガレージには、多くの機械類と部品が所狭しと並んでいる。昔からネッドはここで機械の修理を依頼されて、報酬を得て生活していた。青いコンテナの中には小型の機械と部品の山、工具や機械油のような消耗品が分類されて置かれている。整然としている印象を与えるが、それはネッドが几帳面だからだ。


 サフランはネッドが依頼されたヒーターの熱線の交換をする間、彼の横でネッドと自分がメキシコまでミセス・エヴァンズを捕まえに行った話をした。ルーは興味津々に聞いた。どうやって行ったのか、どうやって捕まえたのか、ミセス・エヴァンズとは何なのか――。


「要はミセス・エヴァンズっていうのは物資輸送のロボットなんだよね」


 サフランは説明した。ミセス・エヴァンズにおんぼろのノートPCを繋げて様々に調べてみたところ、これがアメリカ陸軍の開発したロボットであることがわかった。ロボットはウィアー大佐という男に何かを届けている最中らしい。恐らくウィアー大佐は百年以上前に亡くなっているに違いないのだけど。


 うずくまって動かないロボットに手を触れようとすると、むくむくと起き上がろうとする動きを見せた。しかし力尽きてそのまま動かなくなった。ネッドはその隙に彼女にノートPCを接続して命令をねじ込んでしまった。陸軍の命令は書き換えられないけれど、その前にやる仕事としてサフランの命令通りに動く仕事を与えてから故障個所を直してやると、その通りになった。


「足が絡まって動かなくなってたんだ。あと、体の一部に石ころがいくつも混ざり込んでた。銃で撃たれて傷めた個所も。そういうのを簡単に直して、掃除してみたら何とかうまく行った。だってサフランが家を出るって言って聞かないからね。移動手段兼相棒みたいなのが必要だなって」


 ネッドが壊れたヒーターから取り出した針金のような熱線を依頼のヒーターに取りつけていく。ルーは熱心に見守り、ふと尋ねる。


「サフランってめちゃくちゃ強いけどさ、あれってネッドが教えたの? 銃とかナイフとか」


 ネッドは立ち上がり、腕を上げて伸びをした。


「そうだよ」


 サフランは微笑み、


「ネッドもすごい人生送ってるからね。今度訊いてみて。面白いよ」


 ネッドは微笑み、昨日から変わらない悲しげな目でサフランを見て言った。


「お前に比べたら相当平坦な人生だよ」


 サフランはにっこりと微笑んだ。




 トンボ婆は、サフランが持ってきた大玉のカボチャを力の強いネッドに包丁で割らせてスープを作ってくれた。皿の数が足りなくなるほどに品数が出て、皆驚いている。何もかも豪華だ。煮込み野菜には大豆が混ざっており、コオロギクッキーバーには蜂蜜がかけられている。


「僕、こんなに豪華な朝食を見たことがないよ」


 ルーがつぶやくと、ネッドは苦笑いをした。


「これは食糧庫がどうなってるのか確認したいところだな」


 トンボ婆は気にも留めずに皆に食事を促す。一品一品説明したりするようなことはしないが、サフランに食べてほしがって落ち着きがない。サフランはクッキーバーにかぶりついた。トンボ婆がそれをじっと見つめながらオムレツを口に運んでいる。


「おいしいよ、トンボ婆! 蜂蜜なんて久しぶりに食べた」


 トンボ婆はようやく目を離し、ふん、と鼻を鳴らした。ルーはどの品も初めて食べるような感動を目に浮かべていた。それから時折サリヴァンに目を向ける。この家の家主であるサリヴァンが何者なのか、気になって仕方がないのだろう。豊富な食料に大きな整えられた家、畑仕事もしない様子。そうなるのは当然だ。


「サリヴァンさんはね、ルー、元々スュン教の司祭なんだよ」


 サフランの言葉に、ルーの口元がぽかんと開いた。それから慌てて水を飲む。


「サリヴァンさんは司祭を辞めてからずっとここにいるんだ。元々の信者が食料を特別に持ってきてくれてる。もうスュン教自体に関わってないんだけどね」


 サリヴァンはルーに微笑みかけた。ルーはぎこちなく笑みを返し、意外だな、などとつぶやいている。本当は不安で仕方がない癖に。


 サリヴァンはスュン教が拡大することに貢献した強力な司祭だった。彼は本気でスュン教が《残されし者》の人生をよくするものだと思っていた。実際、そういう部分もあるだろう。スュン教の教えを救いとしたまま死んでいった人たちもいたのだから。


 サリヴァンはスュン教の運営の在り方に疑問を抱いて、信じること自体辞めてしまった。今は何も信じていないという。ただ、人々を助けたいという思いはやめられずにいるから、こうしてラベンダーとローズマリーのような母娘や若い人々を家にかくまっている。


「サリヴァンさんはね、本当に素敵な人だから大丈夫。ルーは怖がらなくていい」


 サフランは笑う。実際、サフランは助けられてきたのだ。この場所は、ホームだ。サリヴァンは父で、トンボ婆は祖母だ。その気持ちは何も変わらない。


 食後、トンボ婆に言われてすぐに歯を磨いた。歯磨き粉のチューブを見せて、一本を皆にあげると言うと、特にラベンダーに大喜びされた。過去の時代の工業製品は、誰もが喜ぶ。


 荷物をまとめていると、ネッドが部屋を訪ねてきた。持っているのは小さな懐中時計だ。しかも壊れている。


「これ、時計を修理しようと思ってたけど直らなくてさ。でも肌身離さず持っててくれよ」


 サフランは首を傾げるが、ネッドが詳しく説明すると笑って受け取った。


「大事にするよ。ありがと」


 ネッドはルーのほうも見た。鋭い目だ。ルーは意外にも押し負けない目で彼を見つめ返した。


「サフランが無茶をしそうになったら、君が何とかしてやってくれ」

「わかってるよ」


 ルーはそのままの表情で唇の端を上げた。


 壊れたキャリーケースのタイヤはネッドが修理してくれた。もう妙な音は鳴らない。サフランは家を出て、サリヴァン、ラベンダー、ローズマリー、ネッド、トンボ婆の順に挨拶をしていく。皆心配を目に浮かべている。トンボ婆以外は。トンボ婆に抱き着こうとすると、彼女はサフランを突っぱねた。


「いちいちハグなんてしなくていい。あんたはまた帰って来るんだから」


 サフランは少し泣きそうになった。トンボ婆には話していないのに、どうしてこんなにもいつもと違うことをするのだろう。トンボ婆なら、質素な食事を作り、食料を倹約し、サフランが風呂に入る手伝いも成長してからはしなかったし、こうして別れるときにハグを嫌がったりすることもなかった。


 サフランは無理矢理トンボ婆を抱き締めた。トンボ婆は嫌がったが、それでも暴れてまではやめさせようとしなかった。


「うん、帰って来る」


 サフランは小さな声で言った。サフランが体を離すと、トンボ婆はすっかり元気がなくなっていた。


 家を去る。大きくて温かいバラの咲く庭から。温かいホームから。トンボ婆から。サフランは歩き出す。キャリーケースに目一杯の武器を詰めて。ルーを警護するという目的に大きな目標を積み木として重ねて突き進む。きっとサフランは無傷ではいられない。目標は、スュン教の現司祭、ヴァン聖人を殺すことなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。