砂漠の街にて
砂漠の街、フェニックスはすっかり廃墟だった。大きな家々も、コンドミニアムも、巨大ショッピングセンターも、学校も、ビルも全て風雨に晒されて動物の住処になっていた。アメリカの街は規則正しく作られているから余計に寂寥感を感じる。これほど広い街に人がいないとは、とても信じられない。人間たちが突然消え失せたかのように、街はすっきりと整い、暴徒に破壊された様子も少ない。店のショウウインドウも割られていない。この辺りは戦争に関連する暴動もなかったらしい。もっとも、治安が悪かったらしい地区は雑然とした街並みで、壁のスプレーアートの落書きが砂嵐に晒されて色が落ちながらも残っていたが。
ここには勤め人も、子供も、大人も、不良少年や少女も、老人もホームレスもいたのだと思うと不思議な気分だった。サフランはミセス・エヴァンズにトレーラーを引かせながら、日がな一日フェニックスの街を散策して回った。
乾いた風が土埃を巻き込んで吹き、この辺りを延々移動しているらしいアブのような昆虫が飛んでいる。いつもなら野生動物を標的にしているこのアブは、サフランが開いた天窓から中に侵入し、サフランとルーという新たな敵を見つけ、ブンブンとうるさく飛び回る。サフランは手でそれをはたき落とし、足で踏みにじってから、しみじみと言った。
「みーんな、《冬眠者》になっちゃったんだねえ」
サフランがつぶやくと、ルーは「そうだよ」とぶっきらぼうに答えた。昨日のやり取りがまだ効いているらしい。
「ここらの《冬眠者》はどこに眠ってるの?」
「多分フラッグスタッフだね。そこに大規模な冷凍睡眠施設があるから」
サフランが訊くと、ルーは逐一答える。会話をやめる気はないらしい。
「ここらは夏になると暑いだろうし、そりゃ正解だね。今でも充分暖かいもん。フラッグスタッフは涼しいから」
サフランは高級住宅街にミセス・エヴァンズを停めた。大きな道路の両側に、瀟洒であったであろう見事な大邸宅が立ち並ぶ地域だ。トレーラーから降りるとルーがついてくる。
「ちょっと、何するの?」
サフランは答えずに大きな鉄の門を押した。錆びたような音を立て、それはゆっくりと開いた。そのままサフランは邸宅の庭に入る。プールだった場所はコンクリートが割れて草や木が隙間から生えていた。大きなパロベルデの木が、最初は程よいサイズだったはずが家を乗っ取るような高さに成長し、家を一部破壊していた。植物はここでも強かった。
「何か物資をもらおうよ。こういう家には大体シェルターがあってさ、うまく入れたら缶詰とかの上等な肉が手に入るかも」
「肉? 鶏肉じゃなく?」
「牛や豚の肉。うまいんだよ。あたしたちは見たことも食べたこともないけどさ」
《冬眠者》たちは冷凍睡眠が始まる少し前から多くの家畜を育てなくなっていた。きっとそれは環境問題に関わることなのだろうが、自然が蘇り噂にしかそれらのことを訊くことのないサフランたちの時代の人間には、何だかおいしそうな幻の食材としか感じられない。
「《冬眠者》たちは肉が大好きなのに、CO2削減のために法律で畜産業を制限したんだって。その直前に缶詰がたくさん作られたはずなんだ」
サフランは邸宅に入り、あちこちを探して回った。どれも風化し、ボロボロになり、布は繊維として再利用することはできてもそのまま使うことはできない。焚火のための資材としてカーテンを何枚か外して持って行くことにした。スュン教では正当な理由なく焚火をすることは禁じられ、《冬眠者》が残した暖房器具を使うことが推奨されるが、サフランはスュン教徒ではないしここに人の目はない。
広いリビングには十人掛けのソファー、キッチンには巨大冷蔵庫、寝室の朽ちたベッドはキングサイズかクイーンサイズ、各寝室に必ずバスルームがついていて、
「裕福だったんだね、この《冬眠者》は」
とサフランはつぶやく。でも、全てのものに埃は積み上がり、歩くたびにそれが舞った。二階は床が抜けそうなので行かないほうがよさそうだ。
「格差がひどかったらしいよ。戦争でそれもひどくなって、やがて全員ほぼ食えなくなって冷凍睡眠に入ったんだ。やけっぱちにしてもいい考えとは思えないね。残されたスュン教徒は家を荒らすし、到底行儀がいいとは言えないしね……」
ルーが答える。でも、《残されし者》に門やドアを開くように決まっていたからこうしてサフランたちは家々から物資を持ち去ることができる。風化した家の扱いに文句を言うほど、《冬眠者》たちは吝嗇ではない。
「何もかも汚いからいいや。次の家に行こうか」
サフランの提案で庭に出て、ルーがきょろきょろしていると「あっ」とつぶやいた。サフランが訊くと、
「あれはシェルターの入口だよ。扉の鍵が開いてるかも」
とサフラン以上にうきうきした様子で走り出した。彼女から聞いた肉の缶詰の話に火をつけられたらしい。高級車が並んだガレージの横に、土の上のコンクリートに斜めに取りつけられた扉があり、ルーは取っ手を掴んでぐっと持ち上げた。サフランが手伝い、その分厚い鉄の扉はゆっくりと開き、汗みずくの二人は人生で初めてと言ってもいいくらい清潔な空間を目にした。
息が詰まりそうに狭い、白い壁の階段。そこを降りていくと、物資を置くための物置がある。奥に寝室。誰もいない。誰もいないが、物もない。よく見ると床は足跡だらけで、先に来た何者かが物資を根こそぎ持ち去ってしまったらしい。
「がっかりだね」
サフランはそう言いつつも、物置の隅にある新品らしい毛布が使えそうだったので持って行くことにした。石鹸がいくつかあったのでそれももらった。お、歯磨き粉があるじゃん、とチューブを二本失敬する。ルーはがっかりしているが、クッキーバーで食事は事足りるサフランにとっては大収穫だった。
「スュン教徒め……」
恨めしそうにつぶやくルーを、「早く行こうよ」と急き立て、サフランはシェルターの外に出た。そして、すぐに人の気配を察知した。しゃべり出そうとしたルーの服を掴んでしゃがませ、二人はにじって進みながらこっそりと道を見た。




