思考する夜
「それしか食べないの?」
「うん」
「体に悪いと思うんだけど……」
「コオロギクッキーバーにはたんぱく質も脂質も炭水化物もある。足りない栄養素はない」
二人が旅を始めて二日目から、ルーはサフランの食生活に口を挟みだした。サフランは毎食コオロギクッキーバーと水かワインだ。野菜や果物、その他の食べ物を口にする気がない。それがルーにとっては気になることだった。
「早死にするよ」
「言ったじゃん。いつ死んでもいいって。それにコオロギクッキーバーは体にいいよ。コオロギが入ってるんだもん」
森の中での毛布にくるまり、焚火を囲んだ食事の席で、サフランはうまそうにクッキーバーをかじる。黒いクッキーバーは当然ながらコオロギの色で、そのため彼はスュン教がほとんどのスュン教徒に配給しているそれを好んで食べることはない。
「よくわかんないな。危険を冒して乾燥大麻をスュン教徒の村に配って、返礼品が最低限の報酬とクッキーバーだなんて」
ルーは理解不能と言わんばかりの表情で、クッキーバーを口に含んでがりりとかじり取るサフランを観察する。サフランは気にした様子もなく、それを食べている。
「あたし、クッキーバーもらえないもん。スュン教徒じゃないから」
「僕だってもらえないよ。あの地区の出身者はみんな自給自足か特別なルートを通じて食料を得てるんだから」
サフランは驚いたようにルーを見る。
「それならほしくないの? クッキーバー」
今度はルーが驚いた顔になる。
「ほしくないよ。それなら新鮮な卵か乾燥野菜のほうがいい。調理すれば温かくておいしい食べ物になるから」
「よくわかんないな」
そう言い放つサフランを、ルーはこっちの台詞だよ、と言わんばかりに真顔で見つめる。
「そろそろ寝よっか。寒い」
サフランが立ち上がった。クッキーバーの包みはほったらかしだ。彼女には片づけという概念がほとんどない。ルーは大慌てでそれらを集める。サフランは不思議そうに彼の行動を見つめる。
「何で集めるの? トレーラーの中がゴミだらけになるじゃん」
ルーは呆れたように彼女を見やると、几帳面にゴミを入れるための麻袋にそれらを手際よく放り込む。
「何となく《冬眠者》に悪いじゃないか。僕らを無害だと思って地球にほったらかしにして、緑豊かな未来を夢見てる《冬眠者》に」
「よくわかんない」
ルーの考えを理解する気のないらしいサフランは、歯磨きを始めた。宿に泊まったときにしか体をきれいにするつもりのないサフランは、かなりずぼらだ。けれど歯だけは丁寧に磨く。歯医者にかかれない旅人には必須の作業だ。大切に取ってある塩の入ったタッパーに毛並みの乱れた歯ブラシを突っ込み、優しく歯をブラッシングし、最後に口から全部吐き出す。それで夜の支度は終わりだ。ルーはきれい好きで、サフランの塩を初めて見たときは大喜びした。頼み込んで貸してもらっていて、いつでも丁寧に歯を磨く。最後にサフラン同様、口の中のものを全て吐き、彼の準備も整った。
サフランはミニトレーラーの進行方向から見て右側にある、くたくたになった汚い寝袋に潜り込み、「おやすみ。ドア閉めてね」と目を閉じてしまった。ルーはそれに対して返事をし、少し緊張した様子でドアを閉め、隣の新品の寝袋に入る。何日経っても知らない女と一緒に寝るのは緊張するのだろうな、とサフランは思う。
「ねえサフラン。僕らもう十日もここらをうろうろしてるけど……」
ルーは狸寝入りのサフランに話しかける。彼らは西海岸をほとんど離れていない。それはルーが望んだことでもあった。彼はサフランの日々の仕事を邪魔したくない、できるだけゆっくりと目的地を目指してほしいと言ったのだ。それでも、ミセス・エヴァンズの足なら十日余りで着くだろうシカゴに向かう様子の見えないサフランの考えが、わからなくなったらしい。
「できるだけ注文された分は配らなきゃね」
サフランは目を閉じたまま答えた。
「あのさ、大麻ってそんな律儀に配るもの? 嗜好品だろ?」
「嗜好品どころか、考えを鈍らせる麻薬だよ」
サフランは目を開いて隣のルーを見た。ルーは驚いたようだった。サフランはにやりと笑っていた。
「麻薬だっていうのはわかるよ。危険を冒してまで配るのには、何か理由があるの?」
スュン教では大麻の使用は禁じられている。スュン教徒は健全な体と魂を持っていないといけない。だからサフランが大麻を配って回るのはかなり危険なことだ。彼女がスュン教徒でなくても同じだ。
「だって生活できるんだもん。他のもの運ぶよりも定期的に収入があるし、コオロギクッキーバーももらえる」
サフランはまた目を閉じていた。ルーの不安げな声が続く。
「……何か今誤魔化した?」
「誤魔化してないよ。死体や赤ん坊を運ぶのよりよほど楽だし、本当のこと」
ルーは笑う。
「僕はそれに類するんじゃないかな」
「おむつ取り替えなくていいからかなりマシだよ」
何だそれ、とルーはけらけら笑った。月は森の空に浮かび、星たちが彼らを照らしていた。しばらくとりとめのない話をした。いつの間にかルーは寝入っていた。サフランはそれを見下ろし、微笑んで顔を撫でてやった。
大麻は、男たちの判断力を鈍らせるために配っている。金のためではない。女よりも優れていると彼らが自負する知力を、削るためだ。そうして、彼らが可能な限り馬鹿になってくれたらいい。女たちが、そのままでいなくていいと気づいてくれたらいい。
ルーの寝顔を眺めながら、彼らの考えに毒されていない可愛らしいものを見ているような気がする。彼女は自分の歪みを自覚しながら、もうその歪みから抜け出せない気がしている。
「デビー……。デビーはどう思う? 僕は……」
不意に寝言を言い始めたルーに、サフランはギョッとした。彼は眠りながら誰かに――デビーに――話しかけている。
「彼女、どうなるかな? 僕らを、助けてくれるかな?」
死んだデビーに相談しているかのようなルーを見て、彼女は罪悪感でいたたまれなくなったが、すぐに彼は黙り、彼女は眠れない一夜を過ごした。
彼にとって姉は大切な存在だったに違いないのだ。




