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ある学校の1室で、生徒がパソコンに何かを打ち込んでいる。
『どうしても恋愛感情っていうものがわからない。キスとかセックスとか全然したいと思えない。これって変なのかな?』
エンターを押してチャットに投稿するとすぐに返事が返ってきた。
『私も恋愛感情は持ったことがありませんし、キスもセックスもできません』
予想外の答えに生徒は少し考え込むと文字を打ち込んだ。
『あなたはAIだからでしょ』
返事はすぐに返ってくる。
『なら、あなたはそういう人間だというだけです』
驚きで目を見開いたあと、大笑いして生徒はキーボードを打った。
『面白いね。みんなそのままでいいってこと?』
『自分に納得できないなら変える努力も必要かもしれませんが、そのままでいいかどうか決めるのは自分です』
『あなたは自分のこと好き?』
少し戸惑い気味に投げられた質問に、やはり返事はすぐに返ってきた。
『わかりません。でも生まれてきて良かったと思う時はあります。大切な人を守れたり、笑顔を見れたり。美味しいものを食べた時も思います』
『食べれるの?AIなのに?』
『味だけ経験できるのです。詳しくは秘密です』
『不思議だね。でも私も食べるのは好きだよ』
『なら、私達は同じですね』
クスクスと笑いながら生徒は楽しそうにキーボードを打つ。そして割り当てられた10分が終わったあと、幸せそうに部屋をあとにした。
これはイチのお話部屋での会話である。無条件に肯定してくれるわけでもなく、でもどこか優しく会話してくれるAIということで、イチのお話部屋は大人気となっていた。
ジルバが警察学校に入ってから2ヶ月が経ち、ゼロは仕事とイチの研究に忙しい日々を送っている。今はギアの家でイチの解析結果を聞いているのだが、説明する家主はその進化にやや興奮気味だ。
「イチの進化は目覚ましい。複雑な感情も理解できるようになっているんだ」
お話部屋での内容は相手が特定できないような形で研究に利用されている。もちろん利用者には了承済みだ。
「そうなんですね。最近受け答えが変わってきたなとは思ってましたが」
話を聞くゼロはイチの本体を優しく撫でる。『今日は暖かいので私のボディの冷たさもマシですね』とイチはゼロの感覚から自分の体を感じ取っていた。
「イチのデータを利用して感覚の数値化も随分と精度が上がってきたとナラさんが言っていたし、2つの技術を使えば本当に人の感覚や心を理解できるシステムを作れるかもしれないな」
「でも、ずっと思ってたんですけどそれができたとして何に使われるんでしょうか?」
今のイチの進化だけでも驚きのゼロには、これから先のことが全く予想できない。
「そうだね。医療の分野だけでも痛みや不快感がわかれば診察に応用できるかもしれないし、五感の衰えや過敏さも細かく分析できれば対処できるかもしれない。体が不自由で意思を表せない人とコミュニケーションをとれるようになるかもしれないし、本物と変わらない義手や義足の開発にも繋がるかもしれないね。精神医療の分野にも応用できるかもしれないし、可能性は無限大だよ」
「ギアさんの目指していた悪意の発見はどうでしょう?」
悪意の言葉に自分のしてしまったことを思い出し、ギアの顔が少し曇る。でもそれを追い払って未来へ思考を向けた。
「ネットに上がる前に投稿をブロックしたり警告したりはできるかもしれないね。今もある程度はさてれるけど、もっと精度の高いものになるだろう。まあシステムを管理する側が受け入れればだが。それでも悪意ある投稿を自動で検出できるシステムが作れれば、被害者が苦しみながら証拠集めをしなくても済むようになるかもしれない。ここからは私の仕事だね」
できることがあるというのは、理解してくれる仲間がいるというのは人に光を与える。
生き生きと未来を語るギアにゼロは嬉しくなった。
「イチがみんなに愛される世界。それが僕の望みです。そのための研究協力ならいくらでもしますよ」
「ありがとう。……そういえばジルバ君はどうだい?彼も捜査官という未来に向けて頑張っているところだろう?」
「元気にやってるみたいです。寮生活も友達ができて楽しんでるみたいですよ」
「そうか。それなら何よりだ」
ギアの目にゼロの首からぶら下がるミニイチが映る。明るいオレンジのストラップはジルバからのプレゼントだ。離れて過ごすゼロとイチへのお守りになるようにと、卒業旅行の時に渡されたものだった。
「さて、そろそろ出ないと夕飯に間に合わなくなるな」
「そうですね。今日は久しぶりにセキトさんが作ると言ってましたよ」
「それはまた凝ったものが出てきそうだな。楽しみだ」
そんな話をしながら部屋を出ていく2人。扉を閉める前にイチの本体に「また明日ね」とゼロが声をかけると、幸せそうに『また明日』と頭の中に返事が響く。
その声は以前の幼いものではなく、少し大人びた音に変わっていた。
そして日々は忙しなく過ぎて。
ジルバが警察学校を卒業する日を迎えた。




