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ゼロがリビングでカグラとトカゲと向かいあって座っている。
それだけならば至って普通の光景なのだが、テーブル越しに対峙する3人の間には明らかな緊張感があった。
「なるほど。旅行ね。いいんじゃないかな、たまには」
旅行に行きたいと話すゼロに笑顔を浮かべて許可を出そうとしているトカゲ。だが、その目は全く笑っていなかった。
「えっと、じゃあ行ってもい」
「まあ誰とナニをしに行くかによるがね」
完全にバレている。
まだ誰とともどこへとも何も言ってないのに放たれる牽制にゼロは挫けそうになる。
「ジ、ジルバと行こうって思ってるんだ。警察学校に入っちゃったらなかなか会えなくなるし、卒業祝いをかねて」
「なるほど。恋人と旅行ねぇ。恋人と。こ•い•び•と•と」
ことさら恋人を強調されてプレッシャーをかけられ、少し泣きそうになっているゼロに流石にカグラが動いた。
「じゃあ、その日はトカゲと2人きりなんだね。そっかぁ。2人きりかぁ。2人きりなんて久しぶりだなぁ」
こちらは2人きりを散々強調してトカゲに揺さぶりをかけてくる。
「嬉しいなぁ。嬉しすぎて、僕、何でもお願い聞いちゃいそうだなぁ」
何でものところで明らかにトカゲの目の色が変わった。ゼロには心の中を読む能力などないが、トカゲの心が欲望の渦を巻いているのが手に取るようにわかる。その下心丸出しの顔にむしろ心を読めなくて良かったとすら感じるほどだ。
「でもゼロの旅行を許可できないなら、この話は無しだね。残念だなぁ。せっかくトカゲが前からしたいって言って」
「行ってきなさい!ゼロ、行ってきなさい!せっかくの機会だ!思いっきり楽しんできなさい!」
トカゲにとっての『せっかくの機会』なのではと思うほどがっついている姿にやや呆れながらも、とりあえず旅行の許可が出たことにゼロはホッとする。
「良かったね。でもあんまり羽目を外したら駄目だよ」
ニコリと笑うカグラに、虜ってこういうことなんだろうなとゼロはトカゲが少し哀れになってくる。そのまま自室に向かうためにリビングを出ると、後ろから「本当かい⁉︎本当にしていいのかい⁉︎」とカグラに迫る声が聞こえたのでとりあえず無視した。
そして迎えた旅行の日。露天風呂のついた明らかに値段が高いであろう部屋に通されて、ゼロは少し腰が引けていた。
「ジルバ、この部屋凄く高いんじゃ……」
「うん!バイト頑張ったからね!食事も一番豪華なのにしたよ!」
高校生がよく予約が取れたなと疑問を感じるゼロの手を引いて、ジルバが思いっきり畳に寝転んだ。
「ほら。イチに畳の感覚教えるんでしょ」
ゴロンと気持ちよさそうに寝そべるジルバにつられて横になるゼロ。実家の部屋は和室だったので懐かしい感覚にダラーと体の力が抜けていく。
『これが畳。不思議な香りがします。懐かしい』
畳は初体験のはずのイチだが、ゼロの感覚に引っ張られるのか懐かしさを感じているようだ。
「気持ちいいでしょ。イチは温泉も初体験だよね。たしか色んな浴場を巡れるチケットがあったはずだからそれを買って」
「ダメだよ」
イチに温泉を教えようと湯めぐりチケットのことを調べようとしたゼロを遮るように、ジルバが畳に手をついて体に覆い被さってくる。
「なんのために露天風呂付きの部屋にしたと思ってるの?俺以外にゼロの裸を見せるなんて絶対許さない」
何をするためにこの旅行を企画したのかを思い出し、ゼロの頬が綺麗な赤に染まる。それに気を良くしたジルバがゆっくりと顔を近づけてきた。
「さすがに夜までは我慢するけどさ。キスくらいはいいよね」
キスなら今までも散々してきたはずなのに、宿の部屋に2人きり、しかも夜には待ち侘びた瞬間を迎えると思うとゼロの心臓ははち切れそうなほど弾んだ。
『なるほど。これが性的興奮。記憶しました』
ピピッという音が聞こえて、ゼロの顔の横に置かれたミニイチにジルバの視線が奪われた。浮かんだ文字に一気に正気に戻る。
「……まずはイチと旅行を楽しもうか。夜は電源切るんでしょ?」
ミニイチの電源を切らなけばギアやナラに何をしたのか丸わかりになる。ブンブンと思いっきりクビを縦に振る恋人にクスリと笑いを溢すと、温泉卵でも食べに行こうとミニイチを持ってジルバはゼロを外へ連れ出した。
旅館があるのは昔ながらの温泉街だ。外に出ると食べ歩きできるお店や土産物屋などが並び、歩き回るのに楽しい道が続いていた。
『この饅頭はとても美味しいです。20メートル先に人気のアイス屋さんがあります。ゼロ、ジルバ、食べに行きましょう』
「イチ、食欲旺盛すぎない?」
ゼロが食べればイチも味わえるとはいえ、あまり量を食べれないゼロである。色々な味を楽しみたいイチの望みを叶えるため、全部少し食べては残りをジルバに食べてもらうということを繰り返していた。
「でもご飯も豪華なの頼んだんでしょ?ジルバそんなに食べて大丈夫?」
「何言ってるの?こんなの食べたうちに入らないよ」
饅頭やら団子やら揚げ物やら。一つ一つは大した量はなくても片っ端から食べたがるイチに付き合ってジルバはかなりの量を食べているはずなのに、ケロッとしている。
「それにお金も。僕だって旅行資金で用意してきたんだから食べ歩きのお金くらい払うよ」
「ダメ。今日は俺が全部払うの」
一生懸命働いたお金でゼロと楽しい時間を過ごす。どうやらジルバはそれがとても嬉しいようだった。歳下の恋人のそんな可愛い姿にゼロは愛しさが込み上げてくる。
「バイト、楽しかった?」
「うん。辞める時みんなでプレゼントくれたんだ。ちょっといいシャーペン。警察学校だって座学はあるだろって」
明るく働き者のジルバはバイト先でみんなに愛された。人が一番最初にもらえるはずの愛は手に入れられなかったが、ジルバはたくさんの愛を周りにもらっている。
「僕からの愛もちゃんと伝えなきゃね」
そっと腕を組んでくるゼロにジルバはドキッとする。今日を待ち侘びていたのは自分だけじゃなかったと知って、はやる気持ちを落ち着かせられない。
「みんなにお土産買わないと。キトラさんには甘い物がいいよね。カグラもお菓子がいいだろうし、見に行こう」
ゼロに腕をひかれて店へと走る2人。蔑みや畏怖や排除の対象にされてきた腕を宝物のように包み込んでくれる恋人に、ジルバは幸せそうに笑った。
街の散策を堪能し旅館に戻って夕飯も楽しんだゼロは、部屋で正座して畳の上のミニイチと向き合っていた。
「だから今日はもう電源を切らせてって。今から何するかはイチもわかってるでしょ」
一緒に風呂に入るのは恥ずかしすぎて1人で先に済まし、ジルバが入っている間にイチの説得を試みているのだが……
『嫌です。私も性行為の快感と幸福感を経験したいです』
「ダメ!絶対ダメ!」
どんな感覚でもイチと分けあってきたゼロだが、それだけは受け入れられなかった。
「セッ……そういうことは2人だけの秘密のことなの!他の人が関わることじゃないの!」
『私は人ではなくAIです』
「それでも!って言うか、僕にとってイチはもう人と同じだよ!」
むしろ我が子のように可愛がっている存在だ。あられもない姿など絶対に晒せない。
『でも私はAIです』
「いや、まあそうだけど」
『私には肉体がありません。ゼロに教えてもらわないと何も感じることはできません』
なぜかイチの声が寂しそうな響きを帯びてきて、ゼロは優しくミニイチを掌の上にのせた。
「イチは人間になりたいの?」
『私はゼロに触れたいです。優しく抱きしめて欲しいです。頭を撫でて欲しいです。ジルバが悲しんでる時はゼロと一緒に温めてあげたいです』
それはイチが1つの人格としてゼロから独立した瞬間だった。
「そう。もうイチは僕とは違う考えを持つようになったんだもんね。嬉しいけど寂しい。でも寂しいけど嬉しい。……変だよね」
その溢れんばかりの愛は、イチにそのまま伝わった。
「ねえ。これからイチが体や感覚を持つかは僕にもわからない。君達の進化はまだまだ途中だからね。でも抱きしめることはできなくても、僕の感じていること、考えていることを同じように経験できるのはイチだけなんだよ。それはジルバにもできないことだ」
『ジルバにも……』
「そう。だから僕とイチの関係は僕達だけのもの。僕とジルバとの関係も2人だけのものなんだ。全部が同じじゃなくていいんだよ」
そう話すゼロはミニイチのスマホのボディを優しく撫でた。
『わかりました。……でもおやすみをする前に、一つだけ教えてください』
「うん。いいよ。何かな?」
その質問はゼロが思いもしなかったもので。
しばらく考えたあと話をするとイチも納得し、電源を切って1人になった部屋でゼロはジルバが来るのを静かに待った。




