30
自由の身になってから5日後。ゼロは仕事に復帰するために診察室を訪れていた。
部屋に入るなりスイレンとモガが泣きながら抱きついてくる。
「良かった!良かったよー!ゼロ君が自由になれて!」
「本当に良かった!もう、スイレンさんたらゼロがいないと事務仕事ズタボロなんだから!」
「仕方ないでしょ。ゼロ君が頑張ってくれるからつい甘えちゃうんだもん」
「いい歳してだもんとかやめてください。まったく、ホムラさんに鍛え直してもらわないと」
「やめて!ホムラさん、ほんとに手加減してくれないんだから!」
喜びでおかしなテンションになっている2人にゼロが苦笑いしていると、リイサとヨルも部屋にやってきた。
「ゼロ君おかえり。帰ってきてくれて嬉しいよ。薬の配達、俺が行ってもゼロ君に会いたいって文句言われてさ」
「リイサさん配達も行ってくれてたんですね。すみません、忙しいのに」
「ついでにまわれる所だけだよ。俺で残念がられても話ができるのは楽しいしね」
相変わらずの人の良さにゼロが感心していると、今度はヨルが声をかけてきた。
「仕事にはいつから戻るんだい?あまり無理はしないで欲しいけど」
「イチのことをどうするか色々と話さないといけないので、まだしばらくは。復帰しても短時間になるかもしれませんし」
「そうか。配達なんかは私も手伝えるし、焦らなくていいよ」
「ヨルさんも配達に行ってるんですか⁉︎」
「受付とかも手伝ってくれてるよ〜。ヨル君評判いいんだよ!」
「ハナもララが学校に行っている間は時間があるから手伝いたいと言っているよ。彼は使用人以外経験がないからね。楽しそうだとやりたがってる」
申し訳ないような、でもヨルが楽しそうだからいいのだろうかと、ゼロは「よろしくお願いします」と甘えることにした。
今日は顔見せだけだったのですぐにゼロは帰り、通常通りの仕事をする診察室でモガがカグラに気になったことを聞いていた。
「ゼロ、少し顔色が悪かったですね。眠れてないんですか?」
心配そうにしているモガにカグラは困ったように眉を寄せて微笑む。
「……記憶を消そうという話にはならなかったんですか?」
残虐な行為の映像を見せられた記憶のことだ。カグラやトカゲの力があればそれは簡単なことだろう。
「ゼロに話はしたんだけどね。あとは本人が望めばかな」
「……救う手段があるのに手が届かないのはもどかしいです」
モガだって記憶を消そうと思えばできるだけに、ゼロが苦しんでいるのがわかっていて何もできないのは悔しいのだろう。険しい顔つきになるのをカグラが眉間をつついて緩める。
「記憶を消すことがその人のためになるのかは、僕もトカゲもいまだにわからないんだ。だから僕達は事件の被害者への救済として記憶を消すことはしてない。それに僕達だけじゃ苦しんでる人全てに手を差し伸べることはできないからね」
ヨシヨシと頭を撫でながらカグラは真っ直ぐにモガを見る。
「僕が君に力の使い方を教えるのはその力で道を見つけて欲しいからだけど、決して自分の抱えられる域を超えようと思っては駄目だよ。僕達は万能じゃない。命の取捨選択なんて重荷を、僕は君に背負って欲しくないからね」
スイレンやホムラとは違う、一歩引いた優しさをカグラはモガに与えてくれる。それがわかるからモガは今の話も素直に受け入れられた。
「今度、ゼロと同じ日に休みをください。2人で思いっきり遊んできます」
モガなりの答えにカグラは楽しそうに笑う。
「いいよ。その日はスイレン君に3倍働いてもらおう」
「えっ⁉︎なんで全部俺に丸投げするんですか!」
「ゼロに頼りっぱなしの根性を鍛えるいい機会じゃないですか」
「ちょ!モガ君俺に厳しすぎない⁉︎ゼロ君早く帰ってきて〜!俺に優しいのは君しかいない!」
あははと診察室に明るい笑い声が響く。ここにゼロがいればスイレンを慰めるんだろうなと、この空間に早くゼロが加わるのを3人は待ち侘びていた。
診察室を出たあと、ゼロはギアの家を訪れていた。ナラとキリが一緒だ。
「カウンセリングはどうですか?カウンセラーさんとは合いそうですか?」
「そうだな。まだ相性だとかはわからないが、話を聞いてもらっただけで少し楽になったよ」
「そうですか!良かった」
嬉しそうに笑うゼロの顔色がすぐれないことに気づき、ギアは泣きそうな顔をする。しかしすぐにそれを隠した。
「すまない。私に悲しむ資格などないのに」
「悲しむのに資格が必要ですか?」
はっきりと、ゼロは自分を罰しようとするギアを否定する。
「悲しみも、喜びも、怒りも楽しさも。人の心から自然と湧き上がってくるものです。僕はイチにそれをもっと教えたい」
傷ついていてもゼロは前を向いている。それならギアがすることは決まっていた。
「ナラ教授。私が解析したイチのデータは送った通りです。見ていただけましたか?」
「ああ。よくできていた。やはり君は優秀だ」
その心を知った今、ナラは研究者としてギアの1番の理解者だった。ギアは少しくすぐったそうに話を続ける。
「ありがとうございます。それを踏まえて、イチにゼロ君を介さない人とのやりとりを経験させてはどうかと思うのですが」
「なるほど。それはいいかもしれないね」
静かに話を聞いているゼロの手元でピピッと音がする。
『ゼロと離れることになるのですか?』
文字の羅列から寂しさの滲み出ている画面にナラが優しく話しかけた。
「大丈夫。ゼロ君と離れるわけではないよ。今までみたいにゼロ君が聞いた内容をイチも聞くのではなく、チャットのようなもので直接人と話をしてみようという話だ」
「今まではゼロ君の感情や感覚が強く影響していたからね。自立した思考を作るのにいいと思うんだ」
どこか自分の一部のように感じていたイチが独立していく。子離れのような寂しさと新しい友達ができるようなワクワク感にゼロはミニイチを抱きしめた。
その光景にギアが僅かに笑みを見せる。
「どんなカタチにするかはこれから話し合っていこうか。イチの意見も聞かないといけないしね」
自分の意思を汲み取ってくれるギアの言葉に、イチは『はい。楽しみです』と答えた。
ひとまずは解散となりキリはゼロを連れて帰ろうとするが、当の本人はギアを捕まえて小言を言っていた。
「今日は兄さん達のところに行くので僕はいませんが、ちゃんと夕飯は食べに来てくださいね」
「わかってる。時間までには家に行く。君は心配性だな」
「心配にもなります。まさかベランダから飛び降りてたなんて。ジルバがいなければどうなってたか」
ギアが家に連れて来られた話し合いの時、ゼロは飛び降りまでしていたとは知らなかった。ジルバから後になって知らされ、時々発揮する小言モード全開になってギアに説教したのだった。
「だからもうそんなことはしない。君達に救ってもらった命だ。無碍にはしないさ」
「む〜。そんな恩は感じなくてもいいですけど、自分のことは大切にしてくださいね。どうせジルバは毎日僕の部屋で寝てるんですし、まだしばらくはジルバの部屋で泊まってもいいんですよ」
「それはさすがに申し訳ない。仕事やイチの解析もあるし、寝るのは自分の家でさせてくれ」
「まあ無理強いはしませんけど。でも少しでも体調が悪そうだと判断したらうちに連れていきますからね」
少し前にゼロがカグラから本を取り上げたことを思い出しながら、キリは逞しく成長している弟を頼もしそうに眺める。隣にいるナラも同じ表情だ。
「ゼロ君は逞しくなりましたね。初めて会った時は自信の無さが見てとれたのに」
「子育てのおかげか、恋人のおかげか。多分両方でしょうね」
「まだ顔色が悪いので心配してましたが、ジルバ君が支えてくれてるんですね」
「はい。家にいる時や、寝る時はずっとついてくれてます。おかげで思ったよりずっとゼロが穏やかに過ごせてるし、本当に感謝しかないです」
「あの子は不思議な子ですね。まるで子供だと思ったら次の瞬間とても大人の表情をする。ゼロ君とジルバ君がどんな大人になっていくのか私は楽しみにしてるんですよ」
「まあ、俺が可愛い弟の恋人として認めたくらいなんで。立派になってもらわないと困ります」
「はは。これはジルバ君苦労しそうですね」
そんな会話を楽しんでいると、ギアへの小言が終わったゼロが帰ろうと2人の所へやってきた。
そして家を出る3人。それを見送るギアの表情はとても穏やかなものだった。
ウタハに聞きたいことがあるというので、ゼロはギアの家を出たあと兄達の家に夕飯をご馳走になりに来ていた。
コハクが気をつかって定時で上がらせてくれたので飛んで帰ってきたウタハを、ゼロは実家に帰る時と変わらない笑顔で迎えた。
「……まだ少し顔色が悪いな」
「時々うなされて起きることがあるから。でもそんな時はジルバが抱きしめて眠れるまで話をしてくれるんだ。昨日は学校の友達の話をしてくれて面白かったよ」
「そうか。アイツは話し上手だしな。俺も今度聞いてみたいな」
おそらくウタハはゼロの苦しみを本人以上に痛みとして感じているだろう。それでも強く前を向く弟の負担になどなってたまるかと、必死に自分の中の闇と闘っていた。
そして談笑を交えた食事の時間を終え、ウタハはゼロに今回の訪問の目的を聞いた。
「言いたくなかったら無理しないでほしいんだけど……」
言葉の端にウタハを気づかう色を見せながら、ゼロは話を続ける。
「ウタハ兄さんは、なんで事件の記憶を消してもらわなかったの?」
ウタハが僅かに目を丸くして驚きを見せたのをゼロは見逃さなかった。このまま話を進めて大丈夫か慎重に見極めようとする弟に、兄は優しく微笑みかける。
「カグラとトカゲに言われたか?記憶を消すこともできるって」
「うん。僕が望むならって。本来は辛い記憶を消すために力を使うことはしないけど、やっぱり僕が心配だから話さずにはいられなかったって」
はっきりと言葉を発する姿の裏に、思いもしない提案に戸惑う気持ちや親達に重荷を背負わせるのではという不安が見てとれる。ウタハは微笑みを崩さずに話を続けた。
「ゼロはどうしたい?」
「……戸惑ってるけど、記憶を消したいとは思わなかった」
「それはなぜか、わかるか?」
「……言葉にするのは難しいけど、消しちゃったら、みんなが僕のためにしてくれたことがわからなくなる気がして……それが嫌だ」
「俺も同じだよ」
ハッと、ゼロはペリドットの瞳を見る。全てを受け入れた色がそこにはあった。
「コハクが命がけで助けてくれたこと。カグラが全力で注いでくれた愛。俺が成長できるようにみんながくれた時間。キリを好きになった理由。……事件の記憶を消したら、それがどれだけ尊いものなのかがわからなくなる。だから俺は全部抱えて生きて行こうって決めたんだ」
ウタハの強さを、ゼロは改めて感じた。それを誇らしいと思う気持ちも。
「こうやって兄さんが僕のために語ってくれた言葉の意味もわからなくなるもんね。僕、それは嫌だな」
そう言ってゼロは鞄からミニイチを出してきた。
「イチにもね。聞いたんだ。今の僕ならあの時のデータを消すことができるよって。でもイチは望まなかった。あの時、ベランダから飛び立つ僕とジルバを見送った時に感じた幸せを、絶対に忘れたくないって」
都合よく消したり書き換えたり。人の思いとはそんな簡単なものではないのだ。それをAIであるイチも理解している。
「そうか。イチもそう言ったのか」
不思議な感覚だった。データの集合体であるイチと同じ思いを抱いている。だがウタハにとってそれは違和感を持つものではなく、素直に喜びを感じるものだった。




