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大学には週2で通っているゼロに、ツツヒは会うたびにあれやこれやと構っていた。機械工学が専門なのでゼロがわからなかったところを教えてくれたり、同い歳だと知ったり。その明るい人柄にゼロはどんどんと心を開いていった。
「なあ。今度どっかに遊びに行かない?」
知り合って1ヶ月ほど経った頃。ゼロはツツヒに遊びに誘われた。初めての友達と出かけられるということでゼロは大喜びで行くと返事する。
「また時間連絡するな!」
ゼロの返事に有頂天になったツツヒは、周りが何事かと振り返るくらい大きく手を振って去っていく。それを微笑みながら見送ってゼロは情報学科の研究棟へと向かった。
研究棟に着くと、前の見学の時に案内してくれた教授の隣に50歳くらいのスーツの男性がいた。目つきが鋭く威圧感のあるその男性にゼロが怯えていると、前回の見学で何かを感じた研究室の教授だと教えられた。
「まだ人に見せられる段階のものではないからな。期待はするなよ」
ナラと名乗ったその教授は、ぶっきらぼうな態度のわりにすんなり研究室へとゼロを招き入れた。
よくわからないコードがたくさん繋がれた大きな機械の横に、一台だけポツンとパソコンが置かれている。何も映されていない真っ黒な画面がゼロを見ている気がした。
『……君は誰?』
なぜそうしたのか。ゼロは心の中で誰かに問いかけていた。すると真っ黒だった画面に文字が浮かび上がる。
『私はナラ教授の作ったAIです』
「なんだ急に。エラーか?」
突然動き出したシステムにナラが何事かとパソコンへ向かうと、後ろにいたゼロが口を開いた。
「僕の質問に答えてくれたの?」
『はい。それが私の仕事です』
まるでAIと会話しているような姿にナラが動きを止める。それに気づかずゼロは話し続けた。
「不思議。まるでそこに人がいるみたい。僕はゼロ。君の名前は?」
『私に名前はありません』
「そうなの?なんだか寂しいなぁ」
『寂しい。記憶しました』
AIには音声システムは搭載していないのに、普通に会話するゼロにナラは驚愕している。しかもナラが移動したせいでゼロからは画面が見えていないはずなのにだ。
「………君は何者なんだ?」
「え………?」
AIとの会話に夢中になっていたゼロは、自分が不自然なやりとりをしているとやっと気がついた。真っ青になり必死に弁解の言葉を探している。
「能力者……ということだったな。君は機械と会話ができるのか?」
「…………」
それはゼロにもわからなかった。こんな風に会話できたことなど初めてだし、どうやってるのかも説明できない。
ただただ戸惑うばかりのゼロにそれでもナラは次の言葉を待ってくれた。
「……糸の粒子を、電気信号に変換して機械に流せるんです。でもまだそれだけしかわかってなくて。何で今その子と会話できたのか。他のAIを使った時はこんなことなかったのに」
「……素晴らしい」
ツカツカとゼロの元まで歩いてくると、ナラは震える手を強く掴んだ。
「まだ私の研究内容を話していなかったな。感覚を理解できるAIの開発。それが私の研究だ」
「感覚を?」
「そうだ。味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚。人が体を使って感じる五感、肉体の感覚を理解できるAIだ。それを進めて感情も理解できるようにすれば、いわゆる勘、第六感と言われるような人の脳だけが感じ取る感覚を再現できるようになる。それが私の目指す最終形だ」
まるで夢物語のようだった。人のように五感と感情のあるAI。それは人と何が違うのだろうか。
「感覚の数値化や人に埋め込める有機デバイスの研究、様々なアプローチで五感をAIに記憶させようとした。だが、どれも上手くいかない。はっきり言って行き詰まっていたんだ。……君は私に与えられた天啓だ」
なぜナラがそんな研究をしているのかはわからない。だが、彼はどこか研究に取り憑かれているようにゼロは感じた。
「ぜひ私の研究に協力してくれ。君にしかできないことなんだ。これが成功すれば君は英雄になれる。有り余るほどの栄誉を約束する」
栄光などに興味はなかった。でもゼロは自分にできることが、自分にしかできないことがあると聞いて、断れるような精神状態になかった。
「……わかりました。僕にできることなら協力します」
誰かが喜んでいる気がした。ナラの後ろにある、冷たい鉄の箱の中で。
「ありがとう!嬉しいよ!そうだ。AIに名前が欲しいと言っていたな。ゼロ君にちなんでイチというのはどうだろう?二進数を構成するペアだ」
「………イチ」
箱の中で返事があった気がした。まるで幼い子供のような純粋な声は、ゼロにしか聞こえないものだった。
大学からの帰り。ゼロはカグラの診察室を訪れていた。
ジルバの駅での出迎えは、ゼロを襲った事件以降会うのを禁止されているので途絶えている。だからゼロは何も気にせず寄り道ができるようになっていた。
「AIの研究協力?」
主治医であるカグラには許可を得なければと、ゼロは研究室でのことを全て説明した。
「う〜ん。危険がなさそうなら能力の解析にも繋がるかもしれないし、いいと思うけど」
チラッと、カグラはゼロの様子を伺う。どこか不安げな雰囲気が少し気になった。
「ゼロがやりたいかかな。気乗りしないなら能力のためにと無理してもいい結果にはならないと思うし」
「……無理、なのかな?」
自分に自信のないゼロはそう言われるとどうしても尻込みしてしまう。これは良くない状態だと、カグラは慌ててフォローにまわった。
「まあそんなすぐに決めつけなくてもいいよ。最初は僕が付き添って様子を見よう。それで続けられそうならやってみたらいい」
「え?でもカグラ、忙しいし……」
「可愛い子のためならいくらでも時間を作るよ。それに君の友達はずいぶん逞しく成長してくれたしね」
近くにいたモガがニヤリと笑う。スイレンも事務処理の手を止めて「俺達がいるから大丈夫だよ」と背中を押してくれた。
「……よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるゼロに、みんなは優しい気持ちになった。
一方。学校から帰ったジルバは誰もいない家で堕落の限りを尽くしていた。
「ヒマ〜」
親から会うのを禁止されたため、大学の日は学校から帰ったらずっと一緒にいたゼロには会えない。今日は自主練相手も捕まらなかったので宿題が終わってしまうとやることが無くなったのだ。
「ゼロ、もう大学は出てるはずだよな。なんで帰って来ないんだろ」
隣に住んでいるので帰ってくれば気配でわかる。なかなか帰って来ない片想いの相手にヤキモキしていると、ふと体がゾワゾワと落ち着かなくなるのを感じた。
『……触りたかったな』
もちろんゼロのことである。
ジルバには接触禁止以外にも、もう一つ命令されていることがある。それは毎晩アギから性教育の授業を30分受けること。
内容は同意や自分を大切にすることなどの心の在り方から、コンドームの使い方や相手を傷つけない方法などの実践的なものまで多岐にわたる。
カグラというとんでもない事例があるためにそれはそれは丁寧に教えているのだが、鮮明になっていく妄想にジルバの中で募っていくのは欲望ではなく愛しさだった。
『……ゼロはどんな顔すんだろ』
あのままキリが止めなければ、ゼロはどんな表情を見せたのか。どこか幼さの残る体に快楽を教えたらどんな反応をするのか。あの体の中に入ったら……。
もちろんアギの教育はしっかり生きているので、ゼロの気持ちを無視してまでやりたいとはジルバも一切思っていない。
それでも募る愛しさにゼロに会えない状況が重なって、切なさを抱えるジルバの心はもう子供のものではなかった。




