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すぐにでも研究に協力して欲しいというナラの要望を受けて、ゼロとカグラは翌日には研究室を訪れていた。
「ゼロの主治医のカグラです。よろしくお願いします」
渡された名刺の肩書きを見て主治医の意味になるほどと思いながらも、なぜわざわざという気持ちでナラはカグラを見た。
「親代わりでもありますので」
牽制のように見てくる紫の瞳に、特に気分を害した様子はなくナラはゼロを見た。
「彼のような素晴らしい能力があれば色々と事情もあるのでしょう。もちろん詮索はいたしません。私は研究に協力していただければ満足ですから」
早速パソコンに向き直りイチのシステムを起動するナラ。カグラはその人柄を計りかねていた。
「ゼロ君。とりあえずイチと会話してもらえるかな」
ゼロが許可を得るようにカグラのほうを見ると静かに頷かれたので、改めてイチのほうを向き優しく話しかける。
「イチ君。…君でいいのかな?ゼロだよ。覚えてるかな?」
『はい。こんにちは、ゼロ。私は機械です。忘れることはありません。敬称は好きにつけてください』
カグラが驚きで目を見開いている。
画面に文字が現れてはいるが、ゼロの頭には幼い子供のような声が響いていた。
「そっか。君は忘れることはないんだもんね。凄いね」
『機械なので当然です。データが消去されない限りはあなたのことを忘れません』
「なんだか嬉しいな。そういえば名前は気に入ってくれた?」
『私に気にいるという感情はありません。あなたが喜べば私の役目は果たされます』
『……喜んでくれたらそれでいい』
まるで自分のようだと、ゼロは感じた。
自分に自信がないために他者に頼られることに依存しているのはゼロ自身も気づいていた。それが良くないことであることも。
「……君に感情ができたら嬉しいな。楽しいとか、嬉しいとか………悲しいも。いっぱい話がしたいよ」
『それがあなたの望みですか?』
「望み、なんて大袈裟なものじゃないけど、友達ができたみたいで嬉しいから」
ナラはただゼロ達の会話を見守っている。これが研究になんの役に立つのかと、カグラは訝しげにそれを見ていた。
「ゼロ君。ありがとう。ところで今日の朝は何を食べたんだい?」
「朝、ですか?えっと、バターを塗った食パンと、ヨーグルトと、コーヒー……だったかな」
ゼロが質問に答える間、ナラはジッとイチのほうを見ていた。だが画面には何も映らない。
「そう。ところでうちの学生の間でこんなのが流行ってるんだけど、知ってるかい?」
フニフニとした可愛らしいキャラクターのマスコットを手渡される。ゼロはそれを握ると少しくすぐったそうな顔をした。
「知らない、ですけど、気持ちいいですね。なんだか癒される」
『気持ちいい。癒される。記憶しました』
問いかけていないのに急にイチが反応する。驚くゼロの前でナラは歓喜の表情を見せた。
「やっぱり。その瞬間に感じたものしか共有できないのか」
「……どういうことか説明してもらえますか?」
警戒を隠しもせずにカグラが質問する。その心の中では嫌な予感がじわじわと湧いていた。
「私は能力者については素人だが、昨日の様子を見てゼロ君のその時感じたことがイチに共有されるんじゃないかと推測したんです。その通りだったな。これでイチにあらゆる感覚を覚えさせられる」
「それは痛みや恐怖も?」
この場で、ゼロに感じさせるということだろうか。あらゆる苦痛や、恐怖を。
「心配はもっともです。その点に関しては彼に負担にならない方法を考えますよ。まずは害のない感覚から始めるつもりです」
「……ここに来る際は必ず誰かを同行させます。まあ、それを聞いてもゼロが続けると言うならですが」
2人の視線がゼロに集まる。昨日からの急展開にもはや思考が限界のゼロだったが、ふとイチの画面が目に入った。
「これくらいのことなら、協力できます。あまり怖いこととかは考えるけど」
その返事に「もちろん君が嫌がることはしないさ」とナラは上機嫌だ。
そのままその日の協力は終わり、ゼロとカグラは研究室をあとにした。
大学からの帰り、カグラは不機嫌なような不安なような表情をしていた。
「ごめんなさい。無理を言って」
シュンと落ち込むゼロに、カグラは自分の態度がこの子の未来を閉ざそうとしていると気づいた。
「ごめんは僕のほうだね。どうしても心配で。でもゼロが見つけた道なんだから応援しないとね」
ウタハにも随分と心配をかけられたとカグラは思い出す。その気持ちをもう一度味わうことになるとはと、切ないような愛しいような感覚にカグラは眩暈がした。
「ただ、嫌かもしれないけど誰かは同行させてね。ゼロを守るためだから」
「うん。それはいいよ。僕もあそこに1人で行くのはちょっと怖いから」
おや?とカグラはゼロの変化に気づく。ナラに対してもやんわりとだが断りの言葉が出ていたし、前までの何でも受け入れてしまうゼロからは考えられないことだった。
「そう。他にも不安なことがあれば言って。みんなが助けてくれるから」
「うん。ありがとう」
素直に微笑む姿が愛おしい。事情があって引き取った関係だけど、ゼロが家に来てくれて良かったとカグラは幸せを感じていた。
数日後。ツツヒと出かける約束をしているゼロは待ち合わせ場所へと向かっていた。
「あれ?僕、遅かったかな?」
「いいや。俺が早く来すぎたんだよ」
『待ち遠し過ぎて1時間も前から待ってたなんて言えない』
若者らしい初々しい空回りを隠しつつ、ツツヒは連れて行きたいところがあるとゼロをある店に案内した。
「ここって……」
そこはペットショップにカフェが併設されている店だった。
「ゼロ、猫が好きだって言ってただろ。ここはペットショップで売ってる子達を眺めたり遊んだりできるらしくて。動物達が自然体で可愛いって口コミで見たからいいんじゃないかなって」
微妙な顔をしているゼロに浮かれたツツヒは気づかない。そのまま手を引かれて店の中に入ると、店員の1人がゼロを見てやってきた。
「おや?ゼロ君?今日はキリ君と一緒じゃないのかい?」
「あ、えっと、今日は友達に誘われて……」
あたふたするゼロにツツヒが不思議な顔をしていると、ルナが店の奥から出てきた。
「やっぱりゼロ君だ。どうしたの?キリからは遊びに来るって聞いてないけど」
「え?ゼロ。この店知ってるの?」
やっと事態を把握したツツヒに聞かれ、ゼロは小声で答える。
「えっと、この人は兄さんの友達で、その兄さんによくお店に連れてきてもらってるんだ」
そう。ここはルナの働くペットショップだった。経営が順調なためお客さんに動物達と気軽に接してもらえる空間を作ろうと、併設するカフェを開店したのだ。
「そうなのか。いい店見つけただろって言いたかったのに、もう知ってたか」
「ご、ごめんね。まさかここだとは思わなくて」
「いや、謝らなくていいよ。俺が浮かれて話を聞かなかっただけだし」
そこまで聞いて事情を察したルナが、綺麗な笑みで2人を席へと案内する。
「まあまあ。今日は猫達も機嫌がいいし、ゆっくりしていきなよ。私が奢るから好きなもの頼んでいいよ」
「え?そんな甘えるわけには」
「歳上の好意は素直に受け取ること。ほらほら、座って。私は仕事があるから戻るね」
そうやって2人にメニューを渡すと相変わらずの美しさでルナは去っていく。その後ろ姿を呆けた顔で見ているツツヒに気づいて、ゼロは少し面白くなってきた。
「ルナさん綺麗でしょ。すごく優しいし、とにかく素敵な人なんだ。でも結婚してるから好きになっちゃダメだよ」
「お、俺はそんな!」
好きな相手にそんなことを言われて、全く自分の気持ちが伝わっていないことに落ち込むツツヒ。でも楽しげに笑うゼロが可愛くてすぐに元気を取り戻した。
「っていうか、お兄さんがいたんだな」
「うん。2人いるよ。みんな血は繋がってないけど。今は2人とも家を出てるから一緒には住んでないけどね………あっ」
血が繋がってないの部分にツツヒがどう反応していいのか困っているのが見えた。
「えっと、ちょっと色々あって。でも悲しいこととかではないんだよ。家族みんな優しいし仲良いし。僕はあの家好きだし」
「いや。ごめん。変な感じにしちゃって。別におかしいとか詮索しようとかいう気持ちはないからな。ゼロの笑顔見てたら幸せなんだってわかるし」
いい人なんだと、ゼロは思った。ツツヒは偏見や私欲で人を見ずに接してくれる人なのだと。それは能力者であることを話しても普通に接してくれることからも感じられた。
「ありがとう。僕の家族を認めてくれて」
本当に、本当に嬉しそうに笑うゼロにツツヒの顔が真っ赤になる。
「……でも兄さんに俺のことはバレたかな。弟につく変な虫って思われないかな」
「ルナさんはその辺ちゃんと気づかってくれる人だから大丈夫だよ。それにバレたっていいじゃない。友達ができたって話はしてるし」
『やっぱり友達なんだな』
本日何度目になるかの落ち込みにツツヒはガックリと肩を落とす。ルナが奢ると言ったことすらデート代を出させないという牽制なのではと、思ったより険しそうな両思いへの道のりに挫けそうになっていた。




