26
外出の後ずっと自室に引きこもっていたギアだが、翌日の昼食には意外にも素直に食卓についていた。
「恋人と会うのはどうするんだ。希望があるなら好きな所へ行けばいい」
昨日あれだけ強気な態度に出てしまったのでジルバと会うことは反故にされるかと思っていたが、どうやらそれは無いらしい。ゼロはギアの気分を害したわけでは無いとわかりホッとした。
「そうですね。遊園地とかがいいかな。ジルバ喜びそう」
「ああ。まだ高校生だったか。それなら遊べるところのほうがいいな。明日はオンライン診察だろう?そこで相談して決まれば報告しろ」
「はい。……あの……」
今までの押しの強さが嘘のように言い淀むゼロに、「何だ?」とギアは今更感を出してくる。
「昨日のこと、怒ってないんですか?」
恐る恐る聞くゼロにギアは呆れたように口を開いた。
「後悔するなら、はなからあんな態度をとるな。恋人との時間でイチの覚える感情が増えるなら私に止める理由はない」
つっけんどんながらもどこか優しさの見えるギアの態度に、ゼロは少しは心を開かせられたのだろうかと淡い期待を抱いていた。
その日は夕飯も穏やかな時間となり、少しずつギアとの距離が近づいていることを感じたゼロ。翌日のオンライン診察でもジルバと会えるということでややテンション高めの会話が繰り広げられた。
デート場所も決まりギアに報告するとさらに嬉しい返事が返ってきた。
「なら、出かけた後にここに一緒に来たらいい。応接室なら2人で使っていい」
もちろんギアの監視がつくだろうが、それでも2人きりになれることにゼロは有頂天になる。だが話はそんな単純なものではなかった。
「そろそろイチに快楽も教えたいからな。あの部屋はソファしかないが、別にセックスできるだろ」
「……へ?」
まるで動物実験でもするかのように、ギアはゼロに性交しろと言ってくる。
「え?でも、ギアさんに見られてるわけだし、それに僕達は…」
「ああ。嫌ならその間だけはカメラを切ってもいい。どうやってイチに快楽を教えようか悩んでいたが、恋人がいるなら問題ないだろ」
「でも……」
「相手は高校生だろう?ヤレるとなれば喜んでやってくるだろ」
その言葉にゼロの中で怒りとも悲しみともつかない感情が爆発した。その心のままにギアの頬を思いっきり引っ叩く。
「僕のことはどう扱っても構いません!イチを助けてもらった身です!でも、ジルバの…僕の大切な人を貶めるのはやめてください!」
叩いたゼロの方が痛そうに、涙を流して恋人を想う姿にギアは言葉が出ない。そのままゼロは自分の部屋へと走り去ってしまった。
「……やっぱり私はこうなってしまうのか」
ポツリと呟き、諦めたように俯くギア。だがしばらくすると何かを決意したようにゼロを追いかけて扉をノックした。
戸惑うようなノックの音に、部屋で1人泣いて落ち着きを取り戻したゼロが扉を開ける。そこには置き去りにされた子供のような顔をしたギアが立っていた。
ジルバへの暴言が許せなかったとはいえ一方的に感情をぶつけたことを謝ろうとしたゼロだが、先にギアに頭を下げられた。
「すまなかった。君の恋人を愚弄するつもりはなかったんだ。ただ、恋人同士ならできることを喜ぶと思って……」
出会った頃の高圧的な態度とまるで違う、頼りなく怯えている姿にゼロの怒りはすっかり消えてしまった。
「……僕達、まだしてないんです。ジルバが高校を卒業するまでは待とうって約束してて」
その言葉にギアが驚いて顔を上げる。その目に映ったのはとても美しく笑うゼロの姿だった。
「そうか……君達は本当にお互いを想いあっているんだな」
羨ましそうに目を細めるギアに、ゼロはやっとその心に手が届いた気がした。
「私にはそんな相手は一生現れないんだろうな。私は人の気持ちがわからないから」
悲しげに眉を寄せるギアをゼロが心配そうに見つめる。それを見て、ギアはゼロをベッドまで連れて行き並んで腰をかけた。
「私は昔から人の気持ちを読むのが苦手で。良かれと思ってしたことで怒らせたり、思いに気づけなかったり。それで人間関係がうまくいかなくて学校にも行けなくなった」
あの高圧的な態度はやはり自分を守るための殻だったのだろうかと、ゼロはギアの幼少期を思って苦しくなった。
「家に引きこもっている時に、あの人の歌に出会ったんだ。君が美しいと言ってくれたあの歌に」
20年も前の素人の歌を今でも大事に残している理由。それをなぜ今話すのか。ゼロはもしかしてという思いが湧いてきた。
「あの人の歌声はとても美しくて。苦しくて自分の価値がわからなくなっていた私に救いをくれた。私のような人がたくさんいたんだろう。次第にあの人の歌はネットで広まっていき……そして影が生まれた」
ゾクリと、ゼロの背中に悪寒が走る。これから語られるのはギアが経験した地獄だ。
「少しずつ、あの人を中傷する声がネットであがりだした。それはまるで火事のようにあっという間に広がり、やがて応援する声をかき消して世界はあの人に牙を向いた。そしてある日全ての歌の公開をやめて、あの人はネットから姿を消した」
今でこそ問題にされるネットの中傷だが、当時は対応する術がなかった。炎に焼かれていく恩人を見ながらギアには助けることができなかった。
「大人になり調べる術を手に入れた私は、あの人がどうなったのかを知った。……自殺してたよ。姿を消して1年後に。投げつけられた言葉達に散々心を切り裂かれて苦しみ続けて、その果てに死を選んだ」
悲しむのに疲れ果てた、心を失った男がそこにいた。屍のように生きる体は何を求めているのかを語る。
「そこから私はひたすら金を稼いだ。仕事以外にも株や投資でひたすらに、寝る間も惜しんで。どうやら私には才能があったらしい。資産はあっという間に増え、私はそれを使って復讐を始めた」
「復讐?」
「ネット上にある悪意を可能な限り見つけ出し、発信している者達に報いを受けさせるために動いた。個人情報を探り出してそれ以上の行動ができないように脅しをかけ、法的に責任を負わせられるものはとことん追及した。君と行った店の人達も困っているという話を聞いたから少し手を貸しただけなんだ。あの人のような思いをする人がいなくなるようにと思って……でも、悪意はなくならない。消しても消しても湧いてくる。人間の力では限界があった」
チラリと、ギアがイチの本体を見る。そこに希望があるかのように。
「そこで私は考えた。悪意を探し出せるAIがあればいいのではと。ネットに常に目を光らせ悪意がでてくればすぐに反応できる、そんなAIが。資金はある。どんな高性能な機械でも用意できる。知識もある。でも、悪意という曖昧なものを定義できるAIを作り出す技術だけが足りなかった」
希望を求める瞳は次にゼロを見た。そこに最後のピースがあったと言わんばかりに。
「たまたま訪れていた大学の学食である会話が聞こえてきた。機械に繋がる能力を持っていると。青天の霹靂だった。人の持つ恐怖や苦しみをAIに教えられたら、それで私の求めるものができるのではないかと。そして君はまるで私の願いを叶えるかのようにイチに出会ったんだ」
そんな前から自分を見ていたのかと、ゼロは自身の迂闊な行動を悔やんだ。
「君を手に入れるまでは簡単にできた。ただ、そこから私の計画は狂ってしまったんだ。……イチに悪意を教えるために君を傷つけることがどうしてもできなかった」
ギアは本当に普通の人なのだろう。頭脳は人より秀でているかもしれないが、人を傷つけることを躊躇ってしまうごく普通の人間なのだ。
「あなたは人の気持ちがわからないんじゃないと思います。だってこんなに苦しんだり悩んだりしてる。ただ、不器用なだけなんです。だから話をしましょう。ゆっくり、焦らなくていいんです。思いをきちんと伝えられるように」
そっと、ギアの手を握り優しく語りかけるゼロ。すれ違い形を成せないでいた2人の心が、その時少しだけ通じ合った。
今後についてどうするか。きちんと話し合おうとなって、ゼロはずっと疑問に思っていたことをやっとギアに聞けた。
「なぜ僕を閉じ込めたかったんですか?イチの研究をするだけならこの家に通う形でも良かったと思うんですけど」
「それは……人は簡単に死んでしまうから不安で」
それを聞いてゼロは複雑な気持ちになった。結局はギアの心の傷が原因だったのだ。
そこもこれから癒していかなければと、ゼロは周りにどう相談していくかを考えていた。
結局その日はお互い疲れ果てていたので少し話して解散となった。
その夜。自室で日課のネットのパトロールをしているギアの目に、ある画像が飛び込んできた。
「なぜ……こんなものが……」
それを見た瞬間、ギアの瞳は闇に染まりその心のままにある行動を開始した。




