23
目の前に並べられたキラキラと輝く宝石のようなチョコレートにゼロが瞳を輝かせている。
それに大した反応もなくギアは用件だけを伝えてくる。
「貰い物だが私は甘い物は食べないからな。君は好きだろう?」
必要最低限のものしか置かれていないリビングで、ソファに座るゼロの前に置かれた可愛らしい箱。その中身は行列店のチョコレートだった。
『こ……これ……カグラが食べたがってた店のだ……それも限定フレーバー』
ゴクリと喉を鳴らしながら素直に受け取っていいものか悩んでいると、呆れたようにギアが食べるように勧めてきた。
「毒など入っていない。本当にただの貰い物だ。いらないなら捨てたらいい。私は仕事に戻るからな」
それだけ言って部屋へと戻っていくギアを見送りながら、捨てるなんてもったいない!とゼロは慌てて箱を手に取った。その耳にピピッとお馴染みの音が聞こえてくる。
『ゼロ!早く食べましょう!絶対美味しいです』
ミニイチから感情が爆発した文字が流れてくる。ゼロが食べればイチも味わえるので必死だ。
その圧力に押されるようにゼロはチョコを1つ手に取って口に入れた。
「……おいし〜」
『美味しいです』
頬に手を当てて思いっきりチョコを味わうゼロ。相槌をうつようにミチイチからピピッと音がする。
「中身はピスタチオクリームだ。外がビターでちょっと苦くておいしいね」
『はい。とてもバランスがいいです』
本当に一緒に食べているようなイチとの会話にゼロは満足そうにしている。だが、その表情がふっと寂しそうなものに変わった。
「カグラと一緒に食べたかったな……」
思わず呟いた言葉にゼロは慌てて口を塞ぐ。
「で、でもイチが一緒にいてくれるもんね。もう1個食べちゃおうかな」
ごまかすようにチョコを口に運ぶゼロ。だがその心の中はイチには丸わかりだった。
ゼロがギアの家に来てから4日が経った。
来てすぐに通された部屋は10畳ほどの広さにベッドがポツンと置かれただけの部屋で、そこをゼロの部屋にすると言われた時はいったいどういう扱いを受けるのかと不安になった。だがそのまま家具のカタログを大量に渡され「必要なものがあれば言え」と言われたことで意外と酷い扱いは受けないのかとホッとしたのだった。
そのあとは家で過ごすためのルールの説明を受けた。ギアの部屋には絶対に入らないこと。それ以外は自由に使っていいこと。ギアの部屋とゼロの部屋以外は業者が掃除に来るのでその時は部屋からでないことなど、基本的にはギアの生活の邪魔にならなければ何をしてもいいという感じだ。家にはトレーニングルームもあって外に出れなくても不便は無さそうだが、広い家に必要なもの以外何も置かれていない空間はギアの心の寂しさを表しているようだった。
そして翌日にはイチがゼロの部屋にやってきた。本体の機械は感覚の数値化のために研究室におくことになったので、新しい機械にシステムとデータだけを移設する大移動が行われた。無事に終わるか心配していたゼロだが、コンパクトなボディになったイチから声が聞こえた時は大喜びして抱きついた。
そして環境が変わったからなのか、なぜかゼロはずっとイチと繋がっていても体調を崩すことがなくなった。最初は様子を見ながら繋がる時間を決めようとしていたが、翌日行ったカグラの診察で問題がなかったので常時繋がることが決まったのだった。
『イチが感情豊かになったのはずっと僕と繋がってるからなのかな?』
ギアの家に来てからイチは更に感情が出てくるようになってきた。限られた人としか会えない中で、それはゼロの心と慰めとなっていた。
それでも週二回の診察では護衛と称して捜査官の誰かが会いに来てくれた。初回はトカゲが来て大袈裟に心配して帰って行ったが、2回目はキリが来た。
「良かった。心配してたけどちゃんとした生活してるみたいだな」
特にやつれたりもなく、落ち着いた様子のゼロにキリは胸を撫で下ろした。
「3食きちんと栄養バランス考えて食事がでてくるし、運動もやる量を決められてるからね。ここにくる前より健康になってるかも。まあ、僕が倒れたら困るからきちんと管理したいだけかもだけど」
それでも閉じ込められている以外は心身の健康に気をつかわれ、娯楽や甘味なども与えられている環境はゼロからギアへの警戒心を緩めてしまっていた。
「体調も大丈夫そうだね。イチとはずっと繋がったままなの?」
「うん。全然しんどくならないし不思議で。いつでも話し相手になってくれるから僕は嬉しいけど」
『私もずっとゼロと話せて嬉しいです』
診察に持ってきていたミニイチからピピッと音がする。その可愛らしい言葉にカグラもキリも優しい表情に変わった。
「そうか。ゼロを守ってくれてありがとな。これからも頼むぜ、イチ」
『はい。ゼロは私が守ります』
その穏やかなやりとりを見ながらカグラがあることに気づいた。
「糸の粒子の調節がうまくなってるね」
「粒子の調節?」
「うん。必要な量だけをうまく使えてる。だからずっと繋いでても体調を崩さなくなったのかもね」
「そっか。……僕も成長してるのかな」
嬉しそうに少し口角を上げるゼロ。
想像していたような厳しい環境でないこともあり、カグラも少しずつギアへの警戒心が薄まっていた。
「研究協力の内容も問題無さそうだね」
そう言ってカグラが出してきた紙を見てキリは微妙な顔をする。
「遊園地、ホテルのディナー、マッサージ、美術館、映画鑑賞?なんだこれ?」
「ひとまず楽しいとか嬉しいとか心地いいとか、そういった感情をギアはイチに教えたいみたいだよ」
「でも食事や遊園地って。あいつと行くのか?全く楽しくないだろ」
「その点は考え中みたいだね。まずは1人でも楽しめるものから始めるって。そしてスケジュールを事前に渡すから護衛をつけたいなら好きにしろって言ってるよ」
「………それって」
キリにある考えがよぎる。口には出さないようにカグラと目で合図し、その日の診察は終了となった。
その日の夜。ギアの部屋の前を通ったゼロは僅かに漏れ聞こえる歌声に耳を奪われた。
『……綺麗な声』
珍しく少しだけ閉め忘れた扉から聞こえてくるのは心が癒されるような美しい声だった。古い音源なのかクリアな音ではないが、それでも心が洗われるようだ。
しばらくゼロが聞き惚れていると、扉が開いてギアが出てきた。
「なんだ?何か用か?」
用事があって呼びにきたと思ったのか、部屋の前にいたことに特に驚きもせずギアは聞いてくる。
「あ、いや、綺麗な歌声が聴こえてきたから」
そのゼロの反応にギアが今度は驚いた表情をする。初めて本当のギアを見た気がして、ゼロはなんとか会話を続けようとした。
「音が古そうだったし、僕が知らない昔の歌なのかな?」
「素人がネットにあげていたものだ。20年前に」
「えっ。そんな昔に。でもこれだけ上手だったらプロになれそうなのに」
「………プロになんてなれなかった……死んだからな」
その言葉に驚いてギアを見ると、悲しむのに疲れ果てた顔がそこにはあった。「用がないならもう寝ろ」とだけ言い残して、死体のような男は部屋へと戻っていった。




