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カグラの診察室に戻るとすでにセキトとトカゲ、シバが来ていた。スイレンとモガは休憩室で待機している。
すでに事情を報告済みなのでシバが現在のゼロの状態について説明してくれた。
「ゼロ君は一応うち預かりになってはいるけど、最近の働きぶりや生活態度である程度の自由は許可されるようになってきている。だからギアという男性のところに住むのは可能だろうけど……」
「絶対ダメ」
完全な拒絶がカグラから放たれる。静かな怒りの中に僅かに恐怖を秘めた紫がゼロを見ていた。
「あらゆる感情を学ばせる。そう言ったんでしょ。それは傷つけたり精神的に苦しめることも含まれてる。力を使わせるために閉じ込められて……そんなの……許せない……」
ウタハのことを思い出しているのか。それとも自身の育った環境を思い出しているのか。青ざめて震えだしたカグラをトカゲがそっと抱きしめた。
そんなカグラの姿を見てゼロはかたく決心した気持ちが僅かに揺らいでしまう。見かねてセキトが口を開いた。
「ようはイチ君の研究を続けられればいいのだろうが、他に出資者を募るにしてもゼロ君の能力を知られることが前提になる。いたずらに能力を知る者を増やすよりは、そのギアという者との取引でできる限りゼロ君を守れる条件を引き出したほうがいいだろう」
それが最善の手であり、妥協すべき最低ラインだった。嘆いているだけでは解決しないとカグラはすぐに頭を切り替えた。
「なら僕の診察は必ず条件に入れて。可能な限り多く」
「向こうもゼロ君が倒れては困るだろうし、能力者に関しては素人である以上診察は拒めないだろう。能力を使う時間の制限も交渉次第ではできるはずだ。あとは……トカゲ君、ギアの情報はどれだけ出てきている?」
「報告した以上はまだ。サイバー犯罪科も不気味なほど情報が出てこないから躍起になってます」
「そうか。何か弱みを突ければこちらに有利になると思ったんだが。なら、交渉のメンバーには必ずトカゲ君を入れよう。できる限り記憶を奪ってその場で交渉に利用してもらう」
「むろんそのつもりです。ゼロは私が守ります」
その言葉にゼロはイチを思い出す。自分が消されるかもしれない状況でゼロを守るとだけ語った幼いAIのことを。
「交渉には僕も行くよ。ゼロの能力について説明できるのは僕だけでしょ。ついでに記憶も見れる」
「そうだな。カグラも行ければベストだが、もし向こうが人数を指定してきたら優先するのはトカゲ君だ。交渉はトカゲ君の方が得意だからね。カグラとは診察の頻度や能力の制限についてどう話を持っていくかすり合わせをしておいてくれ」
不服そうにしながらもトカゲの有能さは誰よりもわかっているのでカグラは納得する。
そして細かな部分を話し合ったあと、ゼロは交渉をするためにギアの番号に電話をかけた。
すぐに電話は繋がり何食わぬ声が聞こえてきた。
「意外と早く結論が出たな。それで?私のところに来るのか?」
「はい。イチのためです。あなたの出した条件はのみます。でも僕からも条件をつけさせてもらいます」
「ほう。なんだ?」
「正確には僕を管理下に置かないといけない人達からの条件ですから、その人達から話をしてもらいます」
「わかった。なら私の家に来たらいい。場所は知っているだろ」
監視していたことも調べていたことも当然のようにバレている。その上で何とか交渉を有利に運ばなければなければいけない。
「わかりました。担当者を連れて行きます」
「ああ。ちなみに交渉人に捜査官を連れてくれば取引はその場で中止する。能力を使える人間もだ。君達の部署を担当している役人がいるだろう。そいつを連れてこい」
シバのことだ。なぜそこまで知っているのか。戸惑うゼロの肩を掴んでシバが前に出た。
「私がその役人だ。交渉人の件は了解した。明日にでもそちらに伺おう」
「そんな悠長なことを言ってる場合か?今すぐ来い」
それだけ言うとギアは通話を切ってしまう。予想外にこちらの手の内を読まれていることに一同はどうすべきかわからず沈黙していた。
だがシバは負けていない。
「君達。私はそんなに頼りないか?毎日頭でっかちで偏見に満ちた奴らと腹の探り合いをしているんだよ。交渉は得意分野だ」
穏やかで誰にでも優しいシバだが、敵に対しては容赦がないことはみんな知っている。なにせセキトの幼馴染なのだ。諦めるには早すぎる。
幼馴染の頼もしい言葉にセキトはいつもの調子を取り戻した。
「シバ、ギアに関する情報は全て頭に入っているな。もう一つ。今気になったことをトカゲ君達にすぐ調べてもらうから、お前はゼロ君と共にギアの家へ向かいながら報告を待て」
本当はもっと時間をかけて交渉の準備をしたいがギアのことだ、どれくらいで自分の家まで来れるかくらいわかっているだろう。あまり遅くなっては交渉で不利になる。
カグラやトカゲに何も言えないまま、ゼロはギアの家へ向かう車に乗り込んだ。
ギアの家はマンションの8階にあった。外観からして如何にも高級感のある建物の中を進み、目的の家まで来るとあっさりと中まで案内された。応接用なのか広い家の玄関から入ってすぐの部屋へと通され、ゼロ達はギアと向かい合ってソファに座り時間が惜しいとばかりに交渉が始まった。
「それで?そちらの条件というのは?」
「まずはゼロ君に主治医の診察を受けさせること。研究の内容を考えると毎日診たいというのが本音だが、最低でも2日に1回は」
「週2回」
最後まで聞くことなくギアは自分の意見を押し通す。
「週2回。この部屋で。それ以外は認めない」
「……それではゼロ君の負担をカバーできない。彼が倒れて困るのはあなただろう」
「何かあれば連絡する。どうせこちらの行動は監視する予定だろう?」
ギアは頑なだ。これ以上この件を深追いして他の交渉に差し障るのは避けたいが、シバもはいそうですかと引き下がるわけにはいかない。
「ならビデオ通話を週1回追加してくれ。顔色を診るだけでも安心要素が増える」
「仕方ないな。認めよう。その代わりそれ以外に外部との接触は禁止だ。ゼロ君のスマホは家に置いてきてもらう」
「……わかった。それと主治医はうちとしても貴重な人材だ。彼に何かあれば国家の損失になる。ここに来る時は護衛をつけたい」
「主治医も護衛もこの部屋の出入りのみなら許可しよう。私への接触は禁止、行動を全てカメラで監視するのが条件だ」
「カメラで盗み見るのは得意だものな」
ギアの動きが一瞬止まる。僅かだが攻撃に転じたシバに、ゼロは邪魔にならないように黙っていることしかできない。
「それで?条件とはそれだけか?」
「いや。ゼロ君に何をさせるのか事前に主治医に知らせてほしい。診察に必要だ。それに伴いイチと繋がる時間も制限をかけたい」
「口を出すのは構わないが、私が従うとは限らないぞ」
「ああ。だが警告はさせてもらう。我々はゼロ君を守りたいだけだからな。ゼロ君が精神的肉体的に健康でいることはあなたにとっても重要だろう?」
「好きにしたらいい。私はイチの研究が進められたらそれでいい」
思ったよりは譲歩を引き出せたが、シバにはどうしても気がかりなことがあった。
「交渉とは関係ないが、なぜあなたはイチにそこまでこだわるんだ?何をしようとしている」
「関係ないことには答えない。これ以上の条件が出てこないなら交渉は終了だ。ゼロ君をここに残しお引き取り願おう」
「待て!いくら何でも親しい者達に別れを言う時間くらいは与えるべきだろう。彼はしばらく限られた人としか会えなくなるんだ」
「交渉がまとまった時点で彼は私のものだ。イチの移設に関してもなるべく早く動くが、ゼロ君にはこれ以降一切の自由は認めない」
「彼を何だと思ってるんだ!」
人権を無視したギアの発言は、腕付きや能力者のために闘い続けているシバの怒りに触れた。
「……盗聴はそれ自体は犯罪ではないが、いくらでも他の犯罪と結びつけて捕まえることはできるぞ」
「……何のことだ」
「しらばっくれるな。ナラ教授の研究室から盗聴器が見つかっている。ゼロ君に僅かの自由も認めないならばそれを元にお前を拘束してでも時間を作るぞ」
セキトが言っていた気になったこととはこれだった。あまりにギアがこちらの内情を知り過ぎているのでなにか仕掛けがあると考えたのだ。研究室を訪れた時に盗聴器を仕掛けたのだろう。ギアとの電話のすぐ後に捜査官が飛んでいき盗聴器を発見したのだ。
「そんなことをして私の気が変わったらイチの研究を続けられなくなるぞ」
「お前はそんなことはしない。ゼロ君とイチが手に入ることが決まっているんだ。少しの自由を許さなかったがためにそれを失うようなことは本意じゃないだろう?」
怒りのあまり喧嘩でもふっかけるのかと思いきや、シバは恐ろしいほどに冷静だった。せめて少しでもゼロの心を守ろうと死力を尽くしている。
「……24時間。それ以内に戻らなければ全て白紙に戻す」
交渉成功に喜ぶゼロの手を引き、シバが部屋から駆け出る。「時間内には必ず送り届ける」と言いながら去る後ろ姿をギアは苦々しく見ていた。




