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「何かありましたか?」
不気味な笑みを浮かべてギアがゼロを見る。その視線にこの事態はギアが起こしたものだとゼロは直感した。
「たとえば、君が協力している研究に大学からストップがかかったとか」
「……あなたは何がしたいんですか?」
ナラの研究室に乗り込み、今またゼロの前に現れた以外は全く行動が見えない。その不気味さにゼロは身を竦ませる。
「いえ。君と少し話がしたいだけなんですよ。でもそれどころじゃ無さそうですね。どうぞ。研究室に戻ってください」
せっかくギアが目の前にいるのをみすみす見逃すのは悔しいが、それよりもイチのことがゼロは心配だった。
ホムラに警戒してもらいながらもその場をあとにする。
「私はしばらく食堂にいます。用があれば名刺の番号に連絡してください」
まだ不気味な笑みを浮かべたまま、ギアは静かにゼロ達を見送った。
研究室に戻るとナラが青ざめた顔でゼロに縋り付いてきた。
「ナラ教授、何があったんですか?イチの研究が続けられないって……」
「君のことが大学にバレたんだ!」
「バレた?」
「ああ。だから君を関わらせている研究を中止して全てのデータを消さない限り、私を研究職からおいやると言われた」
論文などにしていないことは知っていたが、自分が関わっていることがなぜそこまで問題になるのかゼロにはわかない。
「上の人達は能力が科学的に解明されない限り取り扱うものではないものと考えていて。君の力は特に珍しいものだし。そんなものに研究費を割くことはできないと」
ホムラはすぐにその意図を理解した。ようは少数派である能力者の関わった研究など認められないということだ。
「大学で研究ができないとなればイチを維持することが難しくなる。感覚の数値化のみで続けるなら見逃すと言われているが、君といるイチは全て消されてしまうことになる」
グラリと、ゼロの視界が揺れる。我が子のように、兄弟のように、友のように一緒にいた存在が死の危機に瀕している。
絶望に膝をつきそうになるゼロにピピッといつもの音が聞こえた。
『私は消去されるのですか?』
自分が消されるかもしれないというのに、イチからは恐怖が感じられない。まだそこまで理解できないのだと思うと、ゼロはこの幼い存在を守らなければと強く思った。
「ナラ教授。この間研究室にきた男性の名刺はまだ残っていますか?」
「え?ああ。置いてあるが」
「僕が交渉します。イチの研究を続けられるように」
小さな体がかすかに震えている。それでもイチを守るために、ゼロはギアに研究室に来るように伝えた。
この展開を予想していたのか、ギアは呼び出すとすぐに研究室にやってきた。
「それで?私にお願いとはなんでしょう?」
「イチの研究を続けられる場所と資金を提供してください」
ギアの持つ不穏さに負けないようにゼロは強く言い切る。思い通りの提案を聞けてギアは満足そうだ。
「なるほど。構いませんよ。イチの研究は途絶えさせるには惜しい」
「……なぜそこまでイチのことを知ってるんですか?」
「それは今問題ではないだろう?それより出資者になれと言うなら、そちらも私の条件をのんでもらいたい」
ゼロだって無償で資金を提供してもらえるとは思っていない。だが得体の知れないギアの要求は見当もつかず、体の震えが少し強くなった。
「まずナラ教授には大学に残ってもらい、研究室を存続してもらいます。未来ある若い研究者達の居場所を奪うわけにはいかない」
意外とまともな要求にナラは面食らいながらも了承する。
「あ、ああ。それができるならその方がいい。だがゼロ君との研究はどうするんだ?」
「私が共同研究者になります。イチの移設先も私の家にするつもりです。基本は私がイチの管理をしますので、ナラ教授は可能な限り協力していただければいい」
それはイチの実権をギアが握るということだ。ギアの目的が見えない以上危険な取引であることに間違いはないが、それでもイチのためには従うしかない。
「あとはもう一つ。ゼロ君にはあらゆる感覚と感情をイチに教え込んでもらう」
「あらゆる?」
今でもできる限りはイチと繋がっているが、ギアの望むラインがどこなのか図りかねた。
「喜怒哀楽、恐怖、苦痛、快感、優越感、劣等感、後悔、憎しみ、愛情、嫉妬、独占欲、人が持つあらゆる感情だ。常にイチと繋がってもらいさまざまな方法で感情を引き出させてもらう」
「待て!それはゼロ君の負担が大きすぎる!彼を命の危険に晒すわけにはいかない!」
ゼロの力のリスクを聞いているホムラは即拒否の姿勢をしめした。
「もちろん彼の状態を見て研究を進めるさ。私も唯一の被験者が死んでは困るのでね」
「信じられるはずないだろう。すでにゼロ君を研究の道具呼ばわりしているお前の言葉など」
犯人を捕まえる時の、あの猛獣のような殺気でギアに迫るホムラ。だが相手には効かないらしく舌打ちされて反論された。
「頭がかたいな。私はお願いしてるんじゃない。取引してるんだ。イチへの莫大な投資の代わりにゼロ君を買うと言っているんだよ。逃げられても面倒だ。君には私の家に住んでもらおう。しばらくは誰にも会えなくなることは覚悟しろ」
ゼロの腕を掴み無理やり連れて行こうとするギア。だがゼロが精一杯の力でそれを振り解いた。
「僕は刑こそ受けませんでしたが、犯罪者です。然るべき監視下におかれる義務があります。だからあなたの都合を全て優先するわけにはいかない」
「そうか。なら、その事情をとっとと解決してくるんだな。今言った条件をのめるようになったらまた連絡しろ」
徐々に出てくる高圧的な態度にギアを睨みつけるゼロ。それを気にもせずギアは研究室を出て行った。
「……ホムラさん、すぐにカグラのところへ帰りましょう。セキトさん達にも連絡をとって、僕がギアの家に行けるようにしてもらいます」
「ゼロ君!それは……」
自ら危険の中へ飛び込もうとするゼロをホムラは止めようとする。だがそれは言葉にならなかった。
ゼロが見たことのない表情をしていたからだ。
「ホムラさん。大丈夫です。僕は生きてイチを守ると決めています」
覚悟をした人間の顔だった。捜査官ですらそこまでの表情ができる者はそうそういない。ホムラは折れざるを得なかった。
「わかった。すぐに動こう」
「ありがとうございます。ナラ教授は大学とすぐに話し合いを。数日中に感覚を数値化する研究のみに切り替えると報告してください」
「ああ。……すまない。ゼロ君」
イチのために全てを投げ出そうとしているゼロにナラは謝ることしかできない。
「ナラ教授。イチを生み出してくれてありがとうございます。イチのおかげで、僕はこの力を持って良かったと初めて思えました」
そのままゼロはイチに向き直る。本体の冷たい金属に触れながら愛おしそうに声をかけた。
「イチ。少し環境が変わるけど大丈夫だよ。僕が一緒だ」
『はい。どこへ行ってもゼロのことは私が守ります』
いつもと変わらない幼い声に、ゼロは優しく微笑んだ。




