第6話 冒険者夫婦
柔らかな光が、閉じた瞼の向こうから差し込んでいた。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
自分の口から、甲高い泣き声が出る。
(……うるさい)
そう思った直後、智則は気づいた。
(いや、これ……僕の声か?)
身体が思うように動かない。視界もぼやけ、手足にはほとんど力が入らなかった。
「元気な男の子ですよ」
女性の声が聞こえる。
続いて、大きな手が身体を抱き上げた。
「よく生まれてきてくれた」
低く、優しい男の声だった。
ぼやけた視界の先に、二人の男女がいる。
男は短い茶髪に、日に焼けた肌。身体には古い傷がいくつもあり、腰には使い込まれた剣が置かれていた。
女は淡い栗色の髪を肩まで伸ばし、疲れた顔で微笑んでいる。枕元には杖と、小さな冒険者証があった。
(冒険者……?)
月読命の言葉が蘇る。
『遥か異界。剣、魔法、人ならざる者。そして、神話が未だ息づく世界』
(本当に、異世界へ来たんだ)
驚きながらも、胸の奥に小さな安堵が広がった。
もう、あの教室へ行かなくていい。
もう、誰かの顔色を窺って生きなくていい。
今度こそ。
自分の人生を、生きられる。
「名前は、決めていたでしょう?」
母親らしき女性が尋ねる。
「ああ」
父親らしき男は、赤子を見つめて笑った。
「レオン」
「この子の名前は、レオンだ」
「レオン・フェルディス」
(レオン……)
新しい名前。
新しい家族。
新しい人生。
レオンは小さな手を握ろうとした。
だが、指は頼りなく動いただけだった。
(赤ん坊って、本当に何もできないな……)
思わず泣き声が止まる。
「あなた、この子、急に静かになったわ」
「俺に似て落ち着きがあるんだろう」
「あなたは落ち着きがないでしょう?」
「……そうだったか?」
夫婦は顔を見合わせ、笑った。
その笑い声は温かかった。
前世では、もう二度と聞けないと思っていた家族の声。
レオンは二人を見上げる。
(今度こそ、大切にしたい)
(この人たちを)
(この人生を)
窓の外では、見慣れない二つの月が夜空に浮かんでいた。
その光を見つめながら、レオンは静かに誓う。
(もう、何もできないまま終わるのは嫌だ)
(僕はこの世界で、生きる)
(今度こそ――後悔しないように)
◇
それから、五年が過ぎた。
「レオン、今日は魔力測定の日だぞ」
朝食を終えた父が、机の上へ小さな水晶を置いた。
その言葉に、五歳になったレオンは僅かに身を固くした。
異世界へ転生した者には、特別な力がある。
前世で読んだ物語では、そういう展開が多かった。
測定不能の魔力。
伝説級の属性。
神から授かった特殊能力。
(ついに来たか……)
レオンは期待を隠しながら、水晶へ手を伸ばす。
淡い光が、静かに灯った。
父と母が数値を確認する。
「……うん」
「どう?」
母の問いに、父は少し困ったように笑った。
「平均より、少し下だな」
「……え?」
レオンは水晶を見つめた。
壊れている様子はない。
隠された数字もない。
神秘的な光が爆発することもなかった。
ただ、平均以下。
それだけだった。
(……本当に?)
(転生者なのに?)
しばらく待ってみる。
何も起きない。
父がレオンの頭を撫でた。
「気にするな。魔力だけが冒険者の強さじゃない」
「そうよ。あなたには、これからたくさん時間があるもの」
二人は優しかった。
だが、レオンは水晶から目を離せなかった。
前世でも平凡。
異世界へ来ても、平凡。
期待していた分だけ、少し胸が痛んだ。
「……そっか」
レオンは小さく笑った。
「僕、平凡なんだ」
その日の夕方。
家の裏手で、一本の木の枝を拾った。
剣のつもりで構えてみる。
握り方も分からない。
振れば身体がよろける。
一度目。
失敗。
二度目。
また失敗。
三度目。
少しだけ、まっすぐ振れた。
「……よし」
レオンは枝を握り直した。
才能がないなら。
最初から強くないなら。
できることは一つしかない。
「何回も、やればいい」
夕日が沈むまで。
レオンは一人、木の枝を振り続けた。
まだ誰も知らない。
平均以下と判定された少年が。
この日から、一度も努力をやめなかったことを。




