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第5話 月下の裁定

大な月が、暗闇を照らしていた。


 音はない。


 風もない。


 地面があるのかすら分からない。


 ただ、白銀の月光だけが、二人の少年を照らしている。


「そなたらの魂を裁定する」


 その声を聞いた瞬間。


 一条智則は動けなくなった。


「……裁定?」


 隣では、自分とともに落下した少年――主犯格の一人が、青ざめた顔で立っている。


「ふ、ふざけんな……」


 少年は震える声を漏らした。


「ここ、どこだよ……」


 白い装束をまとった存在は答えない。


 長い黒髪。


 白磁のような肌。


 男とも女とも見紛うほど整った顔立ち。


 だが、その瞳には人間らしい温度がなかった。


 冷たい。


 いや。


 違う。


 感情がないのではない。


 あまりにも静かなのだ。


 夜空に浮かぶ月のように。


 智則は、その存在を見つめた。


「あなたは……誰ですか」


 白装束の存在が、ゆっくりと智則を見る。


「我が名を問うか」


「……はい」


 巨大な月が輝いた。


「我は――月読命」


「……え?」


 智則の思考が止まった。


 月読命。


 その名を知らないわけがない。


 日本神話に登場する神。


 天照大御神の弟とも、兄ともされる月の神。


「つく……よみ……?」


 隣の少年も呆然としている。


「嘘だろ……」


 月読は静かに二人を見つめた。


「信じる必要はない」


「既に、そなたらの生は終わった」


 智則の身体が震えた。


「……終わった」


 その言葉で。


 思い出した。


 壊れた柵。


 落下。


 遠ざかる空。


 最後に呟いた言葉。


 もっと、生きたかった。


「……僕」


 智則は自分の手を見る。


「死んだんだ」


「然り」


 短い答え。


 智則は俯いた。


「……母さん」


 胸が痛んだ。


 もう会えない。


 父にも。


 母にも。


 家にも。


 あの庭にも。


 夜空を見上げた縁側にも。


「……ごめんなさい」


 智則の目から涙が落ちた。


 その時。


「おい!」


 怒鳴り声が響いた。


 主犯格の少年だった。


「俺は悪くねえぞ!」


 智則が顔を上げる。


「……」


「こいつが勝手に落ちたんだ!」


 少年は智則を指差した。


「しかも!」


「最後に俺を引っ張った!」


 月読は何も言わない。


「そうだろ!?」


 少年は智則を睨む。


「お前が俺を殺したんだ!」


 智則の肩が震えた。


 否定できない。


 最後。


 自分は確かに。


『僕だけでは、終わらせない』


『お前も――来いよ』


 そう言って。


 彼を引いた。


「……はい」


 智則は小さく答えた。


「僕が……引きました」


「ほら見ろ!」


 少年が叫ぶ。


「こいつは人殺しだ!」


 その言葉が。


 胸に突き刺さった。


 人殺し。


 智則は目を閉じた。


「……そう、ですね」


「あ?」


「僕は最後に……あなたを道連れにした」


 拳を握る。


「僕にも……罪があります」


 少年が笑った。


「だったら俺と同じじゃねえか!」


「同じように裁けよ!」


 月読は。


 静かに少年を見た。


「同じ?」


「……あ?」


「そなたは今」


「同じ、と申したか」


 空気が変わった。


 智則は息を止める。


 巨大な月。


 その光が。


 僅かに冷たくなった気がした。


「そうだよ!」


 少年は気づかない。


「こいつは俺を殺した!」


「俺だって死んだ!」


「だったら同じだろ!」


 月読は目を閉じた。


「ならば」


 片手を上げる。


「見るがよい」


 ――世界が変わった。


「……え?」


 智則の目の前に。


 無数の光景が浮かび上がる。


 教室。


 机。


 落書き。


 笑い声。


『おい、一条』


 宿題を奪われる自分。


 濡れた上履き。


 泥。


 校舎裏。


『転びました』


 教師に嘘をつく自分。


 廊下。


 肩をぶつけられる。


 青い痣。


 椅子。


 紐。


 床へ倒れる自分。


『引っかかった!』


 笑い声。


 階段。


 財布。


『金くらい持ってんだろ?』


 壁へ叩きつけられる。


 そして。


 最後の工事現場。


『最近のお前、マジでムカつくんだよ』


 映像が止まった。


「……」


 智則は何も言えない。


 主犯格の少年も。


 顔を青ざめさせていた。


「これは……」


 月読が告げる。


「そなたらの生の記録」


 少年が後ずさる。


「ま、待てよ……」


「違う」


「何が違う」


「これは……遊びだ!」


 智則の目が僅かに揺れた。


「俺たちは、ただ遊んでただけで――」


「遊び」


 月読の声。


 静かだった。


 怒鳴ってはいない。


 だが。


 少年は口を閉じた。


「一人が笑い」


「一人が苦しむ」


「それを遊びと申すか」


「……」


「拒絶する者を囲み」


「物を奪い」


「尊厳を踏みにじり」


「恐怖によって口を塞ぐ」


「それを」


 月読の瞳が少年を射抜いた。


「遊びと申すか」


「……っ」


 少年は答えられない。


 月読は片手を下ろした。


 映像が消える。


「一条智則」


「……はい」


 智則は震えながら答えた。


「そなたにも罪はある」


「……はい」


「最後の瞬間」


「そなたは怒りに身を任せた」


「己だけでは終わらせぬと」


「他者を死へ巻き込んだ」


 智則は俯く。


「……はい」


「否定せぬのか」


「できません」


 涙が落ちた。


「僕は……あの時」


 声が震える。


「本当に、そう思いました」


「僕だけ死ぬなんて嫌だって」


「こいつも死ねばいいって」


 智則は唇を噛んだ。


「……思いました」


 月読は黙って聞いている。


「だから」


 智則は顔を上げた。


「罰があるなら……受けます」


 静寂。


 長い。


 長い沈黙。


 やがて。


 月読は口を開いた。


「そなたを」


「無罪とはせぬ」


 智則は目を閉じた。


「……はい」


「されど」


 月読の声が続く。


「そなたと、この者の罪を」


「同じ秤には載せぬ」


「……え?」


 智則は目を開けた。


 隣の少年が叫ぶ。


「なんでだよ!」


「こいつは俺を殺したんだぞ!」


 月読は少年を見る。


「一度の怒り」


「長きにわたり積み重ねた悪意」


「同じと申すか」


「……」


「そなたは幾度、やめる機会を得た」


 少年の顔が強張る。


「幾度」


「この者の怯える顔を見た」


「幾度」


「この者が拒絶した」


「幾度」


「この者の沈黙を、許しと取り違えた」


「……っ」


 少年は後ずさる。


「ま、待て」


「俺だけじゃない!」


 智則の目が揺れる。


「他にもいた!」


「あいつらだってやった!」


「なんで俺だけ――!」


 月読は。


 初めて。


 僅かに目を細めた。


「他者も罪を犯した」


「故に己の罪が消えると?」


「……」


「愚かな」


 その一言。


 少年の足元に。


 黒い亀裂が走った。


「え?」


 ――ミシッ。


 暗闇が割れる。


 その下から。


 赤い光が漏れた。


「な、なんだよこれ……」


 声。


 無数の声。


 泣き声。


 叫び声。


 呻き声。


 少年の顔から血の気が引く。


「やめろ……」


 月読は告げた。


「そなたの行き先は」


「地獄」


「……は?」


「待てよ」


 少年が震える。


「待ってくれ!」


 黒い手が。


 亀裂の中から伸びた。


「ひっ……!」


 足首を掴む。


「やめろ!」


 一本。


 二本。


 三本。


「助けて!」


 少年は智則を見る。


「一条!」


 智則の身体が固まる。


「助けろ!」


「頼む!」


「俺が悪かった!」


「謝るから!」


 智則は。


 何も言えなかった。


 昨日まで。


 何度も。


 自分が心の中で叫んでいた言葉。


 助けて。


 今。


 それを。


 彼が叫んでいる。


「一条ぉぉぉ!」


 少年の身体が沈んでいく。


「嫌だ!」


「死にたくない!」


 月読が静かに告げる。


「そなたは既に死している」


「なら地獄は嫌だ!」


「助けてくれ!」


「お願いだ!」


 智則は拳を握った。


 そして。


 震える声で言った。


「……僕も」


 少年が智則を見る。


「何度も、そう思ったよ」


「……え」


「助けてほしかった」


「やめてほしかった」


「怖かった」


 智則の目から涙が流れる。


「でも」


「君は笑ってた」


 少年の顔が歪む。


「待っ――」


 黒い手が一斉に引いた。


「いやだぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 少年は。


 亀裂の中へ消えた。


 そして。


 地面は閉じた。


「……」


 静寂。


 智則は、その場所を見つめていた。


 胸が苦しい。


 ざまあみろ。


 そう思う自分がいた。


 当然だ。


 そう思う自分も。


 それでも。


「……僕」


 智則は俯いた。


「喜んでる」


 月読は何も言わない。


「あいつが地獄に落ちて」


「少し……安心してる」


 智則は自分の胸を押さえた。


「最低ですね、僕」


 その時。


 月読が口を開いた。


「一条智則」


「……はい」


「そなたは己を神とでも思うておるのか」


「え?」


 智則が顔を上げる。


「怒り」


「憎しみ」


「安堵」


「それらを抱かぬ人などおらぬ」


「……」


「己の内に生まれた感情と」


「その感情に従い続けることは」


「同じではない」


 智則は目を見開いた。


 月読は巨大な月を見上げる。


「されど」


「そなたの罪が消えたわけでもない」


「……はい」


「故に」


 月光が。


 智則だけを包んだ。


「そなたには」


「もう一度、生を与える」


「……え?」


 智則は固まった。


「もう一度……?」


「然り」


「ただし」


 月読は智則を見る。


「そなたが生まれた世界ではない」


「……」


「遥か異界」


「剣」


「魔法」


「人ならざる者」


「そして」


 月読は僅かに目を細めた。


「神話が、未だ息づく世界」


 智則の心臓が鳴った。


「異世界……?」


 月読は答えない。


 ただ。


 智則の足元に巨大な魔法陣が広がる。


「待って」


 智則は慌てた。


「僕、どうなるんですか?」


「生まれ変わる」


「記憶は?」


「残る」


「……え?」


 智則の顔が引きつった。


 その瞬間。


 頭の中に。


 前世で読んだ小説。


 漫画。


 アニメ。


 無数の知識が蘇った。


 異世界。


 転生。


 魔法。


 チート。


 智則の目が。


 少しだけ輝いた。


「……もしかして」


 月読が無言で見つめる。


「これ」


 智則は。


 死んでから初めて。


 ほんの少しだけ笑った。


「異世界転生ってやつ……?」


 月読は答えなかった。


 だが。


 魔法陣の光が強くなる。


 智則は慌てて叫んだ。


「待って待って!」


「せめて一つだけ!」


 月読が見る。


 智則は期待に満ちた顔で。


「テンプレ通りなら、チートとか!」


「最強スキルとか!」


「あと……その」


 少し顔を赤くする。


「ハーレムとか、あります?」


 沈黙。


 月読は。


 初めて。


 ほんの僅かに。


 呆れたような顔をした。


「……知らぬ」


「ええっ!?」


 光が爆発した。


「ちょ、待ってぇぇぇぇぇ――!」


 智則の姿が消える。


 再び。


 暗闇と月だけが残った。


 月読は一人。


 少年が消えた場所を見つめる。


「……一条智則」


 静かな声。


「次なる生で」


「そなたは何を選ぶ」


 巨大な月が輝く。


 そして月読は。


 誰にも聞こえぬ声で。


 最後に呟いた。


「願わくば――」


「今度こそ」


「美しき世界を、その目で見よ」


 その頃。


 遥か異界。


 アトランティス大陸の片隅で。


 一人の赤子が。


 産声を上げた。


 後に。


 最下層より這い上がり。


 六柱と肩を並べ。


 神級冒険者となり。


 世界に名を刻む少年。


 その名は――。


 レオン・フェルディス。

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