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第4話 僕だけでは終わらせない!

朝。


 一条智則は、目覚まし時計が鳴るより先に目を覚ました。


「……」


 天井を見つめる。


 身体は動かなかった。


 昨日のことが、頭から離れない。


 階段。


 三人の男子生徒。


 財布。


 壁に叩きつけられた背中。


『金くらい持ってんだろ?』


 そして――。


『嫌だ』


 自分が初めて口にした、拒絶の言葉。


「……言わなきゃよかったかな」


 智則は布団の中で呟いた。


 あの時、素直に財布を渡していれば。


 今日を怖がらずに済んだのかもしれない。


 千円。


 たった千円だ。


 それで何もされないなら、渡してしまった方が――。


「……違う」


 智則は目を閉じた。


「それは、違うだろ……」


 自分の金だ。


 自分の財布だ。


 嫌なものを嫌だと言った。


 それの何が悪い。


 頭では分かっている。


 それでも。


 怖かった。


     ◇


「行ってきます」


 いつものように家を出る。


 京都の朝。


 通学路。


 見慣れた町並み。


 何も変わっていない。


 変わったのは、自分だけだった。


 学校が近づくほど、足が重くなる。


 校門が見えた。


「……」


 一瞬。


 立ち止まる。


 帰りたい。


 そう思った。


 だが、智則は再び歩き出した。


     ◇


 午前中は、何も起きなかった。


 一時間目。


 二時間目。


 三時間目。


 三人は智則に話しかけてこない。


 目も合わせない。


 それが逆に怖かった。


「……」


 何かある。


 智則には分かった。


 昼休み。


 弁当を食べ終えた智則は、なるべく一人にならないよう教室に残っていた。


 昨日、助けてくれた女子生徒の姿もある。


 人がいる。


 ここなら大丈夫。


 そう思っていた。


「一条」


 声がした。


 身体が固まる。


 主犯格の男子生徒だった。


「……何?」


「ちょっと来い」


「嫌だ」


 教室の空気が止まった。


 智則自身も驚いた。


 また言えた。


「……何?」


 男子生徒の目が細くなる。


「今、何て言った?」


「ここで話せばいいだろ」


 声が震える。


 それでも智則は続けた。


「僕は行かない」


 男子生徒は数秒、智則を睨んだ。


 そして。


「……あっそ」


 笑った。


「ならいいわ」


 それだけ言って離れていく。


 智則は息を吐いた。


 手のひらが汗で濡れている。


「……よかった」


 何も起きなかった。


 そう思った。


     ◇


 放課後。


 智則は一人で校門を出た。


 今日は早く帰ろう。


 寄り道もしない。


 人通りの多い道を通る。


 そう決めていた。


 だが。


「よう」


「……っ」


 後ろから声。


 振り返る。


 三人。


「なんで……」


「なんでって?」


 主犯格が笑う。


「帰る方向、同じだから」


 嘘だ。


 智則は知っている。


 三人のうち、少なくとも二人は逆方向だ。


「……僕、急いでるから」


 歩く速度を上げる。


 三人もついてくる。


「待てよ」


 智則は無視した。


「おい」


 さらに速く歩く。


「待てって言ってんだろ!」


 腕を掴まれた。


「離して!」


「調子乗ってんじゃねえぞ!」


 智則は腕を振り払った。


 そして――走った。


「待て!」


 後ろから足音。


 智則は必死に走る。


 鞄が背中で跳ねる。


 息が苦しい。


「はっ……はっ……!」


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 それでも走る。


 大通りへ。


 人がいる場所へ。


 だが、焦っていた。


 道を間違えた。


「……っ」


 気づいた時には遅かった。


 人通りの少ない道。


 古い建物。


 工事中の区画。


 智則は足を止める。


「……最悪だ」


 背後。


 足音。


「やっと止まったか」


 三人が来る。


 智則は後ずさった。


「来るな」


「誰に命令してんだよ」


「僕は何もしてないだろ!」


 初めてだった。


 智則が大きな声を出した。


 三人が一瞬、止まる。


 智則自身も驚いていた。


「宿題も見せた!」


「何されても黙ってた!」


「上履きだって!」


「机だって!」


「金まで取ろうとして!」


 声が震える。


 涙が滲む。


 それでも。


 止まらなかった。


「僕が何したんだよ!」


 沈黙。


 主犯格の表情から笑みが消えた。


「……うるせえな」


「答えろよ!」


「うるせえって言ってんだろ!」


 胸を押された。


 智則はよろめく。


 一歩。


 二歩。


 後ろへ。


「……え?」


 足元。


 工事中の区画。


 簡易的な柵。


 その向こうには、深い掘削跡。


 智則の背中が柵へぶつかる。


「おい」


 主犯格が近づく。


「最近のお前、マジでムカつくんだよ」


「来るな」


「今まで黙ってたくせに」


「来るなって!」


「急に反抗してんじゃねえよ!」


 胸ぐらを掴まれる。


 智則も必死に腕を掴んだ。


「離せ!」


「お前が――!」


 その時。


 嫌な音がした。


 ――ミシッ。


「……え?」


 二人が止まる。


 簡易柵。


 体重がかかりすぎている。


「待っ――」


 ――バキッ!


 柵が壊れた。


 身体が傾く。


「うわぁぁぁっ!」


 智則の身体が落ちる。


 咄嗟に手を伸ばした。


 指先が何かを掴む。


 主犯格の腕だった。


「っ!?」


 智則の身体が宙吊りになる。


「は、離せ!」


 主犯格が叫ぶ。


「重い! 離せ!」


 智則は必死に掴む。


 下を見る。


 深い。


 落ちれば。


 死ぬ。


「助けて……」


「離せよ!」


「助けて!」


「お前が離せばいいだろ!」


 主犯格は智則の手を蹴ろうとした。


 一度。


 二度。


「やめろ!」


「死にたくねえんだよ!」


 その言葉を聞いた瞬間。


 智則の中で。


 何かが切れた。


「……僕だって」


「あ?」


「僕だって……死にたくない」


 涙が頬を伝う。


 十四歳。


 まだ何もしていない。


 遠くへ行きたかった。


 海を見たかった。


 知らない国へ行きたかった。


 綺麗な星空を見たかった。


 大人になりたかった。


「なのに……」


 智則は主犯格を見上げた。


「なんで僕だけなんだよ」


「知らねえよ! 離せ!」


 蹴られる。


 指が外れかける。


「……そうか」


 智則の目から。


 恐怖とは違う何かが消えた。


 そして。


 もう片方の手を伸ばした。


 主犯格の服を掴む。


「なっ――」


「僕だけでは……」


 智則の声は震えていた。


 優しい少年だった。


 争いが嫌いだった。


 誰かを傷つけることが怖かった。


 それでも。


 最後の最後で。


 彼の中に積もり続けたものが、溢れた。


「僕だけでは、終わらせない」


「やめろ!!」


 智則は。


 主犯格を強く引いた。


「お前も――来いよ」


「一条ぉぉぉぉ!!」


 二つの身体が落下した。


 残された二人の悲鳴が響く。


 風。


 空。


 遠ざかる光。


 智則は落ちながら、目を閉じた。


「……母さん」


 ごめんなさい。


 言えなかった。


 助けてと。


 一度も。


「……もっと、生きたかったな」


 そして。


 衝撃。


 十四歳の少年、一条智則の人生は――。


 そこで終わった。


     ◇


「……寒い」


 智則は目を開けた。


「え?」


 身体がある。


 痛みもない。


 血もない。


 制服も綺麗なまま。


 周囲は暗闇。


 だが頭上には。


 巨大な月が浮かんでいた。


「……ここ、どこ?」


 隣から声がした。


「お、おい……」


 智則は振り向く。


 そこには。


 自分と共に落ちた主犯格がいた。


「なんで……」


 二人は同時に後ずさる。


 その時。


 月光が降り注いだ。


 暗闇の中。


 一人の存在が、静かに姿を現す。


 白い装束。


 人とも。


 神とも。


 判別できぬほどの気配。


 智則は息を呑んだ。


 その存在は二人を見つめ。


 静かに告げた。


「一条智則」


「そして――もう一人」


 声が響く。


「これより」


 巨大な月が、さらに輝いた。


「そなたらの魂を裁定する」


 智則は、まだ知らなかった。


 目の前に立つ存在こそが――。


 月読命。


 そしてこの裁定が。


 彼を遥か異界――。


 剣と魔法。


 魔獣。


 失われた大陸が存在する世界へ導くことを。

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