第90話 悲しみの囲炉裏【時雨編】
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
俺は今、気持ちを落ち着かせるため、囲炉裏の部屋へ向かっている。
さっき、栄善たちから報告があった。
路傍斬り、そして……綿花が自害したってよ。
綿花は、俺の部下だったからな……
いくら綿花が、この国の情報を他国へ流した敵であったとしても……さすがに堪える。
部屋に入ると、囲炉裏の火がぼんやりと揺れていた。
その灯火を、ぼーっと見つめる人物の姿があった。
「……春風。お前も、ここに来てたんだな……」
春風は小さく頷き、言葉少なに火を見つめたまま答えた。
「……あぁ、ここに来れば、冷えた心も少しは温まると思ってな……」
俺は息を吐き、肩の力を抜く。
囲炉裏の揺れる炎が、二人の影をゆらりと揺らした。
「……春風。俺の部下の面倒……よく見てくれてありがとな……」
「……私がもっと気にかけていれば……すまなかった……」
「……何言ってんだ。お前は、不甲斐ない俺の代わりに……本当によくしてくれたぜ……情けねぇのは、俺の方だ……」
俺たちはしばらく、囲炉裏の揺れる炎だけを見つめて沈黙した。
俺は手を組み、炎の熱をじっと受け止める。
春風もまた、小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
心の中で、互いに起きたことの重さを受け止めていた。
その静寂を裂くように、木戸がゆっくりと押し上げられる音がした。
「……あっ、あの……!」
現れたのは、山茶花団子の箱を両手に抱え、肩をわずかに落とした雲祈だった。
瞳には緊張と迷いが混ざり、何度も足元を見つめるその姿は、部屋の沈んだ空気にそっと溶け込むようだった。
俺は、箱を抱え、足元ばかり見つめる雲祈の様子が気になって、声をかけた。
「……雲祈、どうしたんだよ?入ってこねぇのか?」
「……あっ、あの……これ!!」
そう言って、雲祈は両手で山茶花団子の箱を勢いよく差し出した。
その様子に、俺と春風は思わず顔を見合わせる。
「……これ、さっき紙の納品に来た諭作さんからいただいたんです。私が麻袋を届けにだん吉さんのところへ行った帰り……福紙堂に立ち寄って、綿花さんが山茶花団子の箱をとても気に入っていたと諭作さんに話したから……その……」
雲祈は俯き、俺と春風の目を避けながらも、途切れ途切れに言葉を続けた。
「……諭作さんが、綿花さんが気に入っていたと聞きまして……お持ちしました。皆様でどうぞ、召し上がってください、って……」
「……雲祈、おめぇ……」
雲祈は小さく息を詰め、俯いたまま口を開いた。
「……ご、ごめんなさい。私……皆さんのお話、……聞こえてしまったんです。……綿花さんは……その……」
言葉が途切れ、胸の奥で詰まる思いが、静かな囲炉裏の部屋にじわりと広がる。
……雲祈も綿花のことを、後輩ができたって喜んでたからな。
俺が呑んじまった日も、買い出し任務に付き添ってくれたとも言ってたしな。
みんな綿花とは、たくさんの思い出があるんだよな……
俯いたままの雲祈の頭に、春風がそっと手を置く。
「……雲祈。わざわざ私たちに持ってきてくれたんだな。ありがとう」
雲祈の肩が小さく震え、手の中で箱をぎゅっと抱きしめる。
「……雲祈、おめぇも辛かったよな。山茶花団子、ありがとな。……あと、大納と蒼月には、わりぃが内密にな……」
春風は軽く微笑み、雲祈の背中を優しく押した。
俺は山茶花団子の箱を開き、三人でひとつずつ団子を手に取る。
囲炉裏の炎に照らされて、団子の色がほのかに温かく見えたんだよな……
ひと口かじると、まろやかな甘さが冷えた心にじんわり染み渡り、気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じた。
「……さてと、私はそろそろ行くとするかな」
「俺も、そろそろ行かねぇといけねぇな……」
そう言って、俺と春風はゆっくりと立ち上がる。
だが、雲祈は動かず、じっと座ったままだった。
「……雲祈、おめぇはどうするんだ?」
「……私は、もう少しここで温まってから行きます……」
「……そうか。無理すんなよ」
俺と春風は、静かに囲炉裏の部屋を後にした。
いつもは馬鹿みてぇに明るい奴だが、さすがに堪えるものがあるよな……
木戸を閉める瞬間、雲祈の悲しげな背中が目に止まる。
頬を伝う一粒の滴が、囲炉裏の温かい光にそっと光っていた。




