第76話 二人の絆
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
哀伝の顔を見た私は、思わず驚いてしまった。
だって、哀伝が……
いつもおちゃらけているあの哀伝が──
右手を口元に当て、頬を赤く染めているんだもの。
「……あっ、哀伝……?」
戸惑いの声をかける私に、哀伝は小さく息を吐き、顔を下げたまま少し拗ねたように声を漏らした。
「……もう〜、杏歌ってば。それ、反則だから」
「……え……その……」
言葉が詰まる私を見て、哀伝はさらに続ける。
「杏歌が僕のこと大好きなのは知ってたけど、僕の想像以上に杏歌は僕のこと好きだったんだね。もう……僕、照れちゃうよ」
にこにこと微笑む哀伝の言葉に、私は思わず固まってしまった。
「……なっ、なんて言ったのよ、今……!哀伝、私が哀伝のこと好きなの知ってたの〜!?」
「え?そんなの僕以外にもみんな知ってるよ?だって杏歌、いつも顔に“大好き”って書いてあるんだもん」
「……な、な、な……」
あまりの衝撃に、私は顔を真っ赤にして俯いた。
胸の奥が、ぐわんと熱くなる。
「……だけどこんなにも愛されてるなんて知らなかったから、僕、嬉しいや〜。本当に杏歌って可愛いんだから」
思わず、目の前の哀伝をじっと見つめる。
そんな私を見て、哀伝は柔らかく微笑んだ。
「……僕がさっきトワを抱きしめてたのは、栄善とトワのためなんだよ」
「……栄善とトワちゃんの……ため?」
「そう。トワがあの場所で泣いてて、これは絶対に栄善のことを想って泣いてるんだって僕、思ったんだ。そうしたら、栄善がこっちに来る姿が見えたからさ〜、僕が一肌脱いだって話」
哀伝のその言葉に、思わず拍子抜けしてしまった。
あまりにもあっさりした理由で……
それでいて……自分の思い込みの激しさに、申し訳なさが込み上げてくる。
「……哀伝、ごめんなさい。私ったら情けないわね」
そう言った私に、哀伝はそっと手を伸ばし、優しく頬に触れた。
「杏歌。いつも言ってるから信じてもらえないかもしれないけど……僕は昔からずっと、杏歌のことが大好きなんだよ」
その言葉が胸に届き、体の奥からじんわり温かさが広がる。
「杏歌が強がりなのも知ってるし、陰で努力してることも知ってる。さっき自分のことを弱虫だって言ってたけど、僕はそんな杏歌も全部含めて好きなんだ」
哀伝の真っ直ぐな言葉が、胸の奥にすっと染み渡る。
さっきまでざわついていた気持ちが、静かに溶けていくのを感じた。
「僕さ……杏歌にあまり弱さを見せるの好きじゃないんだけど……あの例の国との契約……対縁の儀までには、交わせそうにないんだよね」
「……哀伝……」
ぽつりと呟く哀伝の姿に、胸の奥がじんわりと痛むのを感じた。
「あんなに自信満々に契約を交わすなんて言っておいてさ……この国の未来が大きく変わるかもしれない大切な式なのに……なにより、僕がこの契約を交わせなくて、栄善が一番不安だと思うんだよね。だから……僕、情けなくってさ……」
そんな哀伝を、私はそっと抱きしめた。
「……哀伝。あの一筋縄ではいかない国との交渉を、あと一歩というところまで持ち込めたあなたは、本当にすごいわ。それに、計り知れない重圧を毎日背負っていたでしょう?みんなも栄善も、そのことはちゃんと分かってるわよ」
「……杏歌……」
そして、哀伝は優しく手を回し、静かに私を抱きしめ返した。
「……ありがとう杏歌。だけど契約を交わさないと意味がないからさ。だから最終的には必ず僕が掴んでみせるからね」
その眩しい笑顔を見て、私の胸が高鳴る。
この笑顔を見ると、どうしてか安心してしまうのよね。
「哀伝ならきっと大丈夫よ……それに、私もついてるわ」
心の奥から込み上げる思いを抑えきれず、私は哀伝を抱きしめる腕に力を込めた。
「……杏歌。僕はね、杏歌がいるからどんなに重い任務でもやり遂げられちゃうんだよ。杏歌がいるから僕は無敵になれるんだよ」
その言葉に、思わず顔を上げる。
すぐそばで、哀伝が嬉しそうに微笑んでいた。
胸の奥で、愛しさが静かに満ちていく。
「……ねぇ杏歌。僕、杏歌のことが大好きだよ。杏歌は、僕のこと好き?……僕、杏歌の口からちゃんと聞きたいな」
私が哀伝のことを大好きだと知っているはずなのに──
一度もその言葉を口にしてこなかった私に、哀伝はどこか切なげに、そっと囁いた。
……まったく、馬鹿ね。
でも、本当に馬鹿なのは私ね。
けれど、もう意地は張らないわ。
「哀伝、好きよ。私は哀伝のことが大好き。幼い頃からずっとね」
「……杏歌……」
名前を呼ばれたその響きに、胸がそっと震える。
そして──私たちは静かに口づけを交わした。
「へへへっ。杏歌に“大好き”って言われて、僕、すごく嬉しいや」
ふにゃと顔を崩して笑う哀伝。
ふふっ……本当に可愛いんだから。
そして、哀伝は何かを思い出したように、ふっと表情を変えて口を開いた。
「前に杏歌が僕に膝枕してくれたでしょ?僕、そのとき──杏歌に“好きよ”って言われる夢を見たんだよね〜。正夢になって幸せだな〜」
「……え……?」
胸がどくりと大きく跳ねる。
あれは、眠っている哀伝に、私がそっと囁いた言葉。
絶対に聞かれてないって思ってたのに──まさか、夢の中で届いていたなんて。
ふふっ。
でも、もう隠す必要なんてないものね。
「哀伝、本当に大好きよ。もし、私以外の女の子に目移りなんかしたら、許さないんだからね。私だけをずっと見てなさいよね」
私の言葉に、哀伝は一瞬目を見開いた。
けれどすぐに、抑えきれない熱を胸に抱えたような──そんな表情に変わった。
「……〜もう、杏歌ってば……それ僕のこと誘ってるの?……ごめん、もう僕、我慢できないから。……あのときの続き……!」
「……え、ちょ、哀伝……っ、きゃっ!」
次の瞬間、ふわりと視界が揺れて──私はそのまま布団へと押し倒された。
夜は静かに、けれど確かに熱を帯びていく。
私たちの鼓動がひとつになり、心も体も互いを求め合った。
甘く、深く、そして永遠のように感じられる時間──
その夜は、言葉にできない想いが静かに交わり、二人だけの世界を満たしていった。




