第67話 笑顔が集う場所
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
「お待たせ〜、みんな〜。ついでに時雨も連れてきたよ〜」
商談を終えた哀伝が、暴れゴリラ……もとい時雨を抱えて、にこやかに入ってきた。
「お疲れ様、哀伝。時雨も連れてきてくれたのね」
「ありがとう、杏歌〜。いや〜、書斎を覗いたらさ、動きたくても動けないみたいで寂しそうにしてたからさ〜」
「あらあら、まったく呆れた人ね。哀伝、助かるわ。時雨は私の隣に座らせてもらえるかしら?」
「ありがとう、柚寧〜。じゃあ、時雨のことよろしくね」
哀伝は時雨を抱えて、そっと柚寧の隣に座らせた。
「……あなたって人は本当に。ほら、お茶を飲みなさい。春風が用意してくれてたわ」
「……あぁ、すまねぇ、柚寧。春風」
お茶を飲み終えた時雨は、縮こまりながら小さく呟く。
「……春風に綿花、そしてみんな……本当にすまねぇ。大切な文書を出す日によぉ。それに春風……お前のずっと大切にしていたワインを、俺は……俺は……」
いつもと違う弱々しい時雨の姿に、広間は一瞬静まり返った。
皆、思わず肩を震わせる。
その静けさを、この男が一気に切り裂いた。
「ぷはははは〜っ!時雨、どうしたの?らしくないんだけど……ごっ、ごめん、ぼっ、僕。もう、お腹痛くて無理なんだけど」
哀伝の笑い声を合図に、広間いっぱいに笑い声があふれた。
「……んだよ、おめぇらよぉー!俺だって、反省してんだよ〜!」
少し照れたように言う時雨に、春風は目に涙を浮かべながら応じる。
「……すっ、すまない、時雨。お前がまさかこんなに縮こまるなんてな」
「……うるせぇんだよ〜!」
「ワインのことはいいんだ。元々はお前と飲もうと思っていたのだから。朽葉ノ国への文書も無事に届けられたんだ。終わりよければ、すべて良しだろう?なぁ、綿花」
春風の言葉に綿花は微笑み、答えた。
「ふふっ、はい。文書の書き方も出し方も教わったので次からは私一人でも大丈夫です。なので、心配はいりません」
「……そうか、ありがとな、二人とも」
「時雨、お前はいい部下を持ったな」
「……あぁ、そうだな」
三人は互いに微笑み合い、静かな安心感に包まれていた。
「ほっほっ、よかったのぉ、時雨」
「時雨は暴れゴリラになったのよね、杏歌」
「えっ!?なんですか、柚寧さん、それは!」
「私たちにも詳しく教えてください!」
「そうだよ〜、杏歌が命名したんだよね〜」
「さすが杏歌様〜!なんて素晴らしき名!」
「ちょ、ちょっと、柚寧と哀伝言わないで!」
“暴れゴリラ”というその言葉に、時雨が肩をぴくぴくさせて反応する。
「……んだとぉ〜、杏歌〜!俺ぁ〜、暴れゴリラだぁ!?」
杏歌は棒読みで冷や汗を浮かべながら笑う。
「……なっ、なんのことだか全然分からないわねぇ〜。はははっ」
「暴れ馬のおめぇに、言われたかねぇんだよ〜、げぷっ」
「……〜〜っ、なんですってーー!!」
杏歌は勢いよく立ち上がった。
それを見た時雨が「やべぇ」と笑いながら身を引く。
杏歌がそのまま追いかけると、広間中が笑い声でいっぱいになった。
「ほらよぉ〜、やっぱり暴れ馬じゃねぇ〜か〜」
「暴れゴリラに言われたくないんだけどー!?」
「あぁ〜っ!?やっぱりおめぇ、俺のこと暴れゴリラだって言ったんだなぁ!?」
「えっ、えっ、ちっ違うのよ。私は、その……」
「許さねぇぞ、杏歌ーー!!」
「ちょ、こっちに来ないでー!!ってか、さっきまで動けなかったんじゃなかったのー!!」
今度は立場が逆転し、時雨が杏歌を追いかける。
その様子を見た雲祈は、慌てて立ち上がった。
「あぁ〜、私の杏歌様が暴れゴリラに襲われている!これは居ても立っても居られません!私がお助けしなくては!」
雲祈は勢いよく飛び出そうとするが、哀伝に腕を掴まれて止められる。
「ちょっと、雲祈〜。『私の杏歌様』ってなんなの?杏歌を守るのは、この僕なんだけど?」
「ぬ?私も杏歌様のことをお守りしますよ!」
「何?僕とやる気?」
「もちろんですとも!」
──そして、こちらはこちらで争いが始まってしまった。
「ほっほっ。賑やかじゃのぉ」
「……まったく、呆れたやつらだな」
「この勝負、どちらが勝つのかしらね?」
「私は同期として、雲祈を応援します!」
「もちろん私もですよ!」
「ふふっ。見物ですね」
皆がいつものことだと冷静に見守る中、春風が雲祈と争っている哀伝に声をかけた。
「哀伝。お前は例の国との商談はどうだったんだ?」
「いや〜、それがさ〜。僕のこと、すごく気に入ってくれてはいるんだけど、なかなかあと一歩ってところが進まないんだよね〜」
雲祈とやり合いながらも、哀伝は涼しい顔で春風に答えた。
「……お前は本当に恐ろしいやつだな。色んな意味で」
「え?そうかな〜?まぁ、僕に任せてよ〜。最終的には契約、結んでみせるからさ〜」
そう言って哀伝は片手を頭の後ろに回し、もう片方の手で雲祈の動きをひらりとかわす。
「ちょっと哀伝さん!私は本気なのですよ!」
「ぷはははは〜、ごめん、ごめん」
「それより、哀伝さん!どうやったらそんなに強くなれるのですか!以前、七左衛門さんが『哀伝は武術も強い』とおっしゃっていましたよね。私に教えてください!」
「なになに〜?雲祈も強くなりたいの?いいよ〜、僕が教えてあげようか?」
「はい!ぜひご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
なぜかこの二人、別の意味で意気投合してしまった。
時雨と杏歌は相変わらず広間を駆け回っている。
その様子を横目に、綿花がそっと口を開いた。
「そうだ、皆さん。この山茶花団子の箱、いただいてもよろしいでしょうか?すごく綺麗なので小物入れにしたくて」
杏歌は息を切らしながらも、笑顔で応えた。
「はぁ、はぁ。わかる〜、綿花。私も小物入れにしてるわ。山茶花団子の箱、すごく綺麗よね」
「綿花、もちろんよ。その綺麗な山茶花団子の箱が、あなたにとてもよく似合うわ」
その柚寧の言葉に、広間の皆も自然と頷いた。
綿花は柔らかく微笑み、そっと箱を手に取った。
「ふふっ、ありがとうございます。琥景さんと煌景さんにも山茶花団子をお渡しする約束ですので、これから届けて参りますね」
「えぇ、綿花。よろしく頼むわ」
そうして綿花は、門番の二人に山茶花団子を届けに向かった。
途中、団丸と七左衛門にも出会ったので、二人にもそっと手渡す。
広間にはまだ、時雨と杏歌の追いかけっこを楽しげに見守る笑い声が残っている。
その光景を思い浮かべながら、綿花は静かに微笑んだ。
──今日もまた、優しい日常がここにある。




