第61話 支え合うということ
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
哀伝はおでこに拳を当て、汗を拭きながら息をついた。
「……ふ〜、やっと運び終わったよ〜。あ〜重かった……」
「助かったよ、哀伝。私一人では、どうにもならなかった」
ほっと一息つく二人をよそに、柚寧は顎に手を当て、考え込むように口を開いた。
「……けれど、どうするの?綿花に文書の書き方を教えなくてはならないのではなくて?」
その言葉に、みんなの視線が突っ伏して机で寝ている時雨へと向く。
「ぐぉーぐぉー、俺が〜……教えるってんだろうよ〜ぐぉーぐぉー」
「……これでは、無理そうじゃの」
「……そうね、この暴れゴリラじゃ無理ね」
「杏歌その“暴れゴリラ”って何、最高だね〜」
「哀伝、あなたふざけないでもらえるかしら」
「少しでも何か飲ませておかないとな」
私たちは呟きながら、肩をがくっと落とした。
「哀伝は午後から例の国との商談が入ったんじゃったの」
「そうなんだよね。だから今日は僕、綿花に教えられないんだ。かと言って、今日中に文書を出さないと期日に間に合わないだろうし……」
「どのみち、今日中に出さなければならない文書は、交易では時雨以外書けないということね……けれど、期日を守らなければ外交問題にも発展してしまうわ」
「柚寧の言う通りだわ……どうしたものかしら……」
私たちがうーんと頭を抱えて悩んでいると、春風が静かに口を開いた。
「……私が、綿花に文書の書き方を教えよう」
その言葉に、自然と視線が春風に集まる。
いつも穏やかな春風の表情が、わずかに真剣に引き締まる。
「だけど春風……いいの?仕事、溜まってない?」
哀伝が、少し心配そうに問いかけた。
「あぁ、こうなってしまったのも私の責任だ。それに今日は栄善が一日外出だったから、他の部署に援助できるようあらかた仕事を片付けておいたんだ。だから杏歌、お前にも迷惑はかけない。安心しろ」
その言葉に、思わず小さく息を漏らした。
「……春風……」
哀伝が微笑みながら、静かに口を開く。
「ありがとう、春風。助かるよ。綿花のこと、よろしくね」
その言葉に続き、柚寧も口を開く。
「春風、頼んだわよ。けれど、仕事で困ったことがあれば遠慮なく言ってちょうだい。手伝うわ」
茶々蔵も笑みを浮かべて頷いた。
「助かるのぉ。わしも手助けするからの」
「あぁ、みんな本当に助かるよ」
春風は優しく微笑み、穏やかな空気が書斎に広がった。
ふふっ。
色々あったけれど、こういうときに仲間との絆が垣間見えるわよね。
本当に、素敵な仲間たちだわ。
そんなふうにしみじみとしていた、そのときだった。
「ぐぉー、ぐぉー、ひっく、ひっく」
豪快ないびきが書斎に響き、現実へと引き戻される。
顔は真っ赤。
近寄れば、お酒の匂いがむっと鼻をついた。
「……まったく、時雨ったら。今日から暴れゴリラと命名するわ」
「ぷはははは〜!杏歌、それ本当に最高なんだけど〜!」
「杏歌は暴れ馬って、時雨に言われていたものね。いいじゃない、起きたら言い返してやりなさいよ」
「杏歌、お前は本当に負けん気が強いな」
「ほほっ、本当じゃの。しかし、綿花は帰ってきたらびっくりするじゃろうな」
茶々蔵のその言葉に、みんな「納得」という顔で頷いた。
少し肩の力が抜け、ほっとした空気が書斎に漂う。
春風は寝ている時雨の横に、そっとお茶を置き、肩を軽く叩きながら言った。
「おい、時雨。最終的には交易奉行であるお前の公印が必要なんだからな。それまでに酔いを醒ましておけよ」
「……うぉっ……ぐぉーぐぉー」
……この暴れゴリラ、一体いつ目を覚ますのかしら?
「春風〜。あれだけ一本まるまるわいんを空けたら、酔いはどれくらいで醒めるの?」
春風は顎に手を当てながら、眠りこける時雨に視線を向けた。
「そうだな……時雨が飲んだのは、“赤ワイン”というものなんだが、あの量だと日が傾く頃まで響くかもしれないな……」
「……そう。そんなに酔いは醒めないのね。まるまる一本も飲むなんて、赤わいんってそれほど美味しいものなのね」
「あぁ、なんせ十年寝かせた代物だからな」
──ん?
今、春風なんて言った?
十年……寝かせたって……?
わいんって寝かせるものなの?
子守唄とか歌うの……?
「……杏歌、あなた何を言っているの?そんなはずないでしょう……」
「……えっ!?私は、心の中で呟いていたはずなのに、なぜなの……!?」
「いや、杏歌。いつも心の声、漏れちゃってるからね」
柚寧と哀伝にそう言われて、ちょっと赤面する私。
そんな私の呟きに、春風はくすっと笑みを浮かべながら穏やかに説明を始めた。
「これは十年前、ちょうど異国の商人が町に来ていたときに手に入れた、限定のワインなんだ。この赤ワインは、何年も飲まずに置いておくことで、味わいに深みが増し、まろやかな風味になる。それを『寝かせる』というんだ」
「……なるほど、だから寝かせるって言うのね」
「杏歌の言った、子守唄を歌うもあながち間違ってはいないんだ。歌を聞かせることで、よりワインがまろやかになるという話もある」
「あら、そうだったのね。杏歌、あなた鋭い発想をしているじゃない」
「私も驚きよ、柚寧。世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるのね」
その私の発言に、春風は一瞬だけ考えるような間を置き、異国の商人から聞いたという話をいくつか語ってくれた。
砂漠に降る赤い雨の話、嘘をつくと腐る果実、そして特定の水域で造られた酒にある物を加えると、まるで命が宿るように様子が変わるという奇妙な性質……そんな噂話の数々だった。
「何それ!すっごく面白いわね!」
「あぁ、私も初めて聞いたときは、飽きなかったよ」
みんなが春風の話に耳を傾けていた。
「しかし、春風。そんな十年も寝かせたワインを、時雨に一瞬で飲まれてしまうなんてのぉ」
哀伝は両手を頭の後ろに組み、穏やかに笑った。
「本当だよね。だけど、さっきの話を聞くと余程美味しかったんだろうね。まぁ、この幸せそうな寝顔を見ると、何にも言えなくなっちゃうよ〜」
私も思わず笑みを浮かべる。
「……ふふっ。それもそうね」
「あとは、綿花が帰ってくるのを待つだけだね〜」
「あぁ、私も準備しておかないとな」
書斎には静かな穏やかさが戻り、肩の力を抜いた私たちはようやく一息つくことができたのだった。




