第56話 久しぶりのだん吉
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
町を抜けると、海からの冷たい風が頬をくすぐる。
遠くで砕ける波の音に混じり、釜で塩を扱う職人たちの手際よい音が響く。
白い湯気の向こうに、冬の気配を帯びた海が静かに広がっていた。
「……あぁ〜、やっぱり海は綺麗ね。心が洗われるわ」
にひひといたずらっ子のように笑う哀伝が、私の横で言った。
「杏歌はゴリラと馬だからね〜。凶暴化する前に、心を洗っておかないといけないから、ここに来てよかったんじゃない?」
「……なんですって〜!?もう一回言ってみなさいよ〜!!」
「杏歌はゴリラと馬だから、凶暴化する前に心を洗っておかないといけないでしょ?」
「……本当にもう一回言わなくていいのよー!!」
「なんなのそれ〜?言ったの杏歌じゃん〜!」
そんなふうに二人で言い合っていると、遠くから元気な声が響いてきた。
「お〜い!哀伝様にお嬢〜!」
ぶんぶんと大きく手を振る人物の姿が見える。
「お〜い!だん吉〜!」
その声に応えるように、哀伝も手を振り返した。
「お嬢、お久しぶりですね〜。お元気でやしたか!」
「えぇ、私は元気よ。だん吉も相変わらず元気ね」
「杏歌は元気すぎて、最近は凶暴化してるんだよ〜。本当、困っちゃうよ〜」
「はぁ〜!?哀伝、あんた私に絞められたいわけぇ〜!?」
そんな調子でまた言い合いを始めた私たちに、だん吉はあはははは〜っと笑い声を響かせていた。
「お二人の言い合いを見ていると、毎年恒例の行事を思い出して楽しくなりますな。あはははは〜!」
「本当、ごめんなさいね、だん吉。哀伝のせいで。でも、年の締めの行事楽しみね」
「ちょっと、なんで僕のせいなわけ〜?納得いかないんだけど〜」
哀伝はぷくっと頬を膨らませ、いつものように拗ねている。
けれどすぐに笑顔に戻り、言葉を続けた。
「でも年の締めの恒例行事は、僕も本当に楽しみだな〜」
「へい!塩の炊き納めが済んだら、一杯交わしましょうぜぇ!呑みすぎると、柚寧さんに叱られちゃいますから、ほどほどに飲まないといけませんけどね!」
「ふふっ、えぇ、そうね」
そう言いながら、私たちは職人さんたちの活気に包まれ、笑顔でだん吉と会話を楽しんだ。
話が一段落すると、哀伝は少し真面目な顔になり、だん吉に声をかける。
「そうそう、だん吉〜。僕、朽葉ノ国への塩の増量が正式に決まったから、その方針を伝えに来たんだよ。遅くなってごめんね」
その申し出に、だん吉はにこやかに応えた。
「へい!先ほど栄善様たちがお越しになり、伺っておりますぜ!それに、哀伝様たちもお忙しい中、いつも感謝しまっせ!」
だん吉らしい元気いっぱいの声に、私も哀伝も思わず笑顔になる。
「さっき栄善たちも来たんだね。トワって子もいたでしょ?だん吉も話した?」
「へい!哀伝様たちから教えてもらった、じゃがいも占いのお話をさせてもらいやした!いや〜、小柄で可愛らしいお嬢さんですな〜!あはははは〜」
ふふっ。
哀伝たちったら、お城での色んな話をここでも楽しそうに話してるのね。
やがて笑いが落ち着くと、哀伝は少し表情を引き締めた。
「だん吉、今後の塩の方針なんだけどね」
そう哀伝が告げ、二人は真剣に話を交わしつつ、ところどころ冗談を交えて和やかに会話を続けた。
話が一段落すると、だん吉がにっこり笑い、元気よく声を張り上げた。
「お嬢!年の締め、楽しみにしてますからね!また哀伝様たちと言い合いしてくだせぇ〜!団丸様と七左衛門様との絶妙な掛け合いも楽しみにしてますぜぇ〜!」
「だん吉、私は言い合いなんてしてるつもりはないのよ?あいつらが変なこと言うから仕方なくよ。仕方なく」
「あっはははは〜!お嬢らしいですぜぇ〜!」
「ぷはははは〜!杏歌らしいや〜」
哀伝も笑いながら、私の肩を軽く叩く。
やがて、哀伝は少し柔らかい声で言った。
「じゃあ、だん吉。増量分の塩の手配、よろしくね。体調には気をつけて、無理せず励んでね。この国が誇る桂ノ塩を、いつも丁寧に作ってくれて本当にありがとう」
私も微笑みながら、そっと付け加える。
「久しぶりに話せて楽しかったわ。だん吉も体調に気をつけてね」
少し間を置いて続ける。
「年の締めを楽しみにしているわ。それに、上質な桂ノ塩。だん吉たちの真心のこもった細かい作業のおかげよ。感謝してるわ」
だん吉はにこやかに頷き、力強く返事をした。
「哀伝様にお嬢!こちらこそですぜぇ!お二人も体調にはくれぐれもお気をつけて!塩のことなら、このあっしらにお任せくだせぇ!」
笑いと温かさに包まれた空気の中で、私たちはそっと海風を感じながら町を後にした。
***
帰り道、お城の姿が遠くに現れると、ふと哀伝が柔らかい声で呟いた。
「今日は久しぶりに杏歌と町を歩けて楽しかったな〜。ここ最近、僕たちみんな忙しかったからさ。今度は休みの日に、ゆっくり行こうね、杏歌」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる哀伝を見て、私も思わず微笑んでしまう。
「私もよ、哀伝。とても楽しかったわ。今度はゆっくり町へ出掛けましょうね」
「へへっ、うん!」
そう言って哀伝は私の手をそっと引く。
柔らかな陽射しの中、私たちは時折笑みを交わしつつ、お城へと歩を進めた。
けれど──
ある人物によって、お城の中はとんでもないことになっていた。
「ちょっと、何やってんのよ〜!!」
私の声が、城内に響き渡った。
隣で哀伝も「あちゃ〜」と頭を抱えている。
数分前までの穏やかな時間が一瞬で嘘のように消えた。
今ここは、まるでどたばた劇場と化していた。




