第32話 縁を断つという覚悟
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
栄善には、幼い頃からの許嫁がいる。
朽葉ノ国の姫君──五十嵐 小梅。
小梅のことは両国の行事のたびに顔を合わせていたから、私たちも昔から知ってるの。
沿岸国である桂ノ国と内陸国の朽葉ノ国。
塩とお米という互いの強みを交換し合い、国を支え合ってきた。
その結果、桂ノ国は朽葉ノ国に依存している。
身分制度廃止。
小さな改革を積み重ねるだけでは、何も変わらない。
変化を起こすには、この国を治める殿自身が、大きな改革を起こさなければならない。
その覚悟のひとつが、縁談を断つという選択。
縁談を権力から切り離すこと。
それは、この国が一国に依存する構図を壊し、みんなが自由に生きられる道を作るための決断でもある。
そして、身分制度を廃止するための次の一歩でもあるの。
だからこそ私たちは今、必死に他国との交易の道を切り開いている。
哀伝が今交渉をしているのは、朽葉ノ国に依存しないための新たなお米の交易。
この縁談を断つという決断は、栄善と茶々蔵、そして私たち幼馴染だけが知っている。
重役たちと新人の四人には、後の会議で伝えると、栄善は言っていた。
そのときまでに、この交渉が上手くいけば──きっとみんなが安心し、納得してくれるきっかけになるはず。
……でも。
互いの要望をぶつけ合う交渉は、決して簡単なものじゃない。
それは、私も身をもって知っている。
発言ひとつで国が傾き、その先で人々を苦しめてしまうかもしれない。
この交渉ひとつで、運命の歯車が大きく動くか、それとも停滞したままか──すべてが決まる。
私だったら、その重圧に潰されてしまう。
きっと、笑顔なんて作れない。
今の哀伝みたいに、人を安心させる顔でいられる自信がないわ。
誰かにきつく当たってしまうかもしれないし、暗い表情で、周りに心配をかけてしまうかもしれない。
だから、私は哀伝のことを心から尊敬してる。
それでいて──支えてあげたい、とも思う。
それに、哀伝の交渉術は本当にすごいの。
相手にしている国は、一筋縄ではいかないことで有名で、そんな国を相手に話を持ち込み、金額の話まで進めたなんて……みんな驚いてたわ。
哀伝ったら、さすが御用貿易商人の息子ね。
商人の心得を学んで育っただけあるわ。
いつもさぼってばかりだったのに……本当に器用なんだから。
そんなところが悔しいくらいにかっこよくて……どうしても、好きになってしまうの。
でもそれ以上に、この重圧の中で笑っていられる強さ。
哀伝ならではの魅力だと思う。
だから、私はその笑顔を守りたい。
そんなことを考えていると、哀伝がぷくっと頬を膨らませながら言った。
「杏歌〜、ちゃんと休憩とってるの?杏歌は根を詰めて仕事する癖があるからね。ちゃんと確認しておかないと」
「もちろんとってるわよ。心配してくれてありがとう、哀伝」
「本当〜?それならいいんだけどさ〜」
「哀伝こそ、ちゃんと休んでるの?交渉だって神経使うでしょ?それに他の仕事だってたくさん抱えてるんだから、無理しないのよ?」
「僕は杏歌みたいに体力ゴリラじゃないんだから、しっかり休んでるよ。元気が取り柄の僕でも、さすがに杏歌みたいに詰められないよ〜」
哀伝は、にひひと笑いながらあっけらかんと言った。
……ったく、こっちの気も知らないで〜!
私は、頭を抱えながらつい口を尖らせた。
「あ〜あ、心配した私がばかだったわ。哀伝、大丈夫かしら?って思って、私に何かできることがあったら手伝おうと思ってたのに!」
ぷんすかと不貞腐れてみせると、哀伝がひょっこりと顔を覗かせた。
「なに、なに〜?杏歌、僕を手伝ってくれるの?」
「別に〜?哀伝しっかり休んでるみたいだから、大丈夫でしょ?それに、体力ゴリラの私とは違うんだから心配いらないでしょ?」
……あーぁ
また可愛くない発言をしてしまったわ。
どうして私って、哀伝に素直になれないのかしら。
この間のみんなの反応を見ても、私は普段素直じゃないって思ったばかりなのに。
一人でそんなことをもやもやと考えてると、哀伝がぽつりと呟いた。
「僕、杏歌に手伝ってもらいたいことあるんだよね〜」
哀伝は、頭に両手を組んで笑顔でそう言った。
「何よ?あるならあるって初めからそう言いなさいよ?」
「杏歌、手伝ってくれるの?」
「えぇ、私にできることならね」
「本当?やったね!それは杏歌にしかできないことだから」
「私にしかできないこと?」
私にしかできないことって、一体何かしら?
でも哀伝の役に立てるなら嬉しいわ。
そう思った瞬間、哀伝が私の耳元で静かに囁いた。




