第25話 海を越えて来た者―選択―
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
歓迎会が終わって数日が経ったある日、私は書類を手に栄善の書斎へ向かっていた。
「栄善〜?いる〜?入るわよ?」
襖を開けると、そこには栄善、茶々蔵、哀伝、団丸、七左衛門が揃っていた。
「杏歌、ちょうどよかった。今から呼びに行こうと思っていたところだったのだ」
栄善がそう言うと、部屋の空気がほんの少しだけ硬くなった。
「私を?それにしても、みんな揃ってどうしたの?そんな神妙な顔をして……」
いつもと違う雰囲気に、思わず眉が寄った。
……え?
私、また何かやらかしたのかしら……?
そんな呑気な考えが頭をよぎった瞬間、栄善の言葉が耳に入ってきた。
「……城に、見知らぬおなごがいた。見慣れぬ装いをした、私たちと年の変わらぬおなごが……」
……見知らぬおなご?
「……待ってよ、栄善。それって、どういう意味よ?」
栄善は一度息を整え、言葉を続けた。
「私が城内の庭を歩いていると、見慣れぬ装いをしたおなごが横たわっていた。声を掛けると、その者は私のことも知らなかった。目が覚めたら、ここにいたと言うのだ。それ以外は、何も知らぬと」
栄善は一度言葉を切り、静かに続けた。
「……見慣れぬ装いゆえ、海を越えて来たのかと尋ねた。だが、その問いにも、『分からぬ』と答えるばかりであった」
「……えっ、それって……」
私の言葉を引き取るように、茶々蔵が低く息をついた。
白鬚を指で撫でながら、ゆっくりと口を開く。
「見慣れぬ装いというなら、海を越えて来たと考えるのが自然じゃ。だが……」
「海を越えて来たにしても、港の門番がいるからな。そう簡単には侵入できるはずないよな」
七左衛門が冷静に言い切る。
「七左衛門の言う通りだよね。陸路で来るにしても国境の門番がいるし……」
哀伝は目線を下にして顎に手を当て、考え込むように言葉を添えた。
「それに城の門番たちの通行帳簿に、そんな人物が入った記録がなかったんだよな」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「……団丸、そうなの?……それって、侵入者ってこと?」
私の問いに、部屋の空気が一段と重くなる。
それもそのはず──
ここには、許可なく入ることがどれほど危険で、どれほど大きな責任を伴うことか、みんなが身をもって知っているのだから。
茶々蔵は静かに口を開いた。
「港の監視は特に厳重じゃ。そこを越えて来たとなると……その者も門番たちも、只事では済まぬぞ……」
七左衛門が頷く。
「……そうだな。それに、国としての防御体制にも穴が生じたことになる。町の人たちの耳に入れば不安を煽り、混乱が生じるだろうな」
哀伝は視線を上げ、ぽつりと言った。
「そうだよね。あと、その子が横たわっていたっていうのも不思議だよね……お城の塀だって高いし、門を通らないと、とても中に入れるとは思えないな、僕」
団丸は勢いよく頷いてから言葉を続けた。
「だけど、見慣れない装いってことは……海を越えて来たとしか考えられないよな」
「そうじゃの……その者自身が、海を越えたとも、越えてないとも言えない。それが余計に不自然じゃ」
──誰も、すぐには言葉を継げなかった。
不可解な出来事に、私は息を呑んだ。
「……栄善はどう考えてるの?直接その子に会ってどう思ったの?」
私の問いに、みんなの視線が静かに栄善へ注がれた。
「……私はその者が、国を脅かすような侵入者には見えなかった……」
栄善は少しだけ言葉を詰まらせた。
「理屈で言えば、侵入者の可能性を捨てきれない。だが……」
栄善は視線を逸らし、しばらく言葉を探すように間を置いた。
「なぜだか、初めて会った気がしない。落ち着くような、不思議な気配があった。それに……あまりにも、今にも消えてしまいそうな表情をしていた。……“身寄りがない”という……そのような者を見過ごすことなど、私にはできない……」
「……栄善……」
その言葉は、私の胸の奥に静かに沈んだ。
“身寄りがない”──その響きが、栄善自身の過去と重なって聞こえたから。
きっとこの人は、それを誰よりも痛いほど知っている。
「もちろん、防御体制に欠陥がなかったか、各門へ出向き、確認を徹底するつもりだ。そして──もし、受け入れた者が何か犯した場合は……殿である私がすべての責任を負う」
その眼差しはまっすぐで、揺らぎのない真剣さを宿していた。
「どうか……受け入れてはもらえないだろうか」
そう言って、栄善は私たちに向かって、深く頭を下げた。
しばらくの沈黙のあと、茶々蔵が栄善をまっすぐ見据え静かに口を開いた。
「……顔を上げるんじゃ栄善。お前の気持ちは、よう伝わった。わしは──お前を信じる。心で人を見ねば、時に、救える命さえ救えぬこともある。きっと、ここにいる幼馴染たちも同じ思いであろう」
茶々蔵の言葉に、私たちは顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
団丸はにっと口元を上げ、まるで「任せろ」と言わんばかりに頷く。
哀伝は静かに視線を上げ、微笑みながら頷いた。その微笑みは、どこか頼もしかった。
七左衛門は、言葉にしなくてもいいとでも言うように、栄善の肩にそっと手を置いた。
「……栄善、私たちは、栄善のありのままの言葉を信じるわ」
栄善は私たち一人ひとりの目を順に見渡し、その言葉を噛み締めるように呟いた。
「……皆、心から感謝する」
部屋の空間が、ふわりと和らいだ。
「でも栄善。このことは、ここにいる僕たちだけの秘密にするの?」
「……いや。私がその者と庭で話していたところを柚寧が目撃していた。『見慣れない装いをしていたあの方は?』と尋ねられたゆえ、後ほど説明すると伝えている」
「……そうか、柚寧が。柚寧の目を誤魔化すことは難しいだろうな」
栄善は頷き、少しだけ息を吐いた。
「あぁ。それに……歓迎会の日に、『隠し事なく、志しを一つにせねばならぬ』と、皆に伝えた。ここで不信感を抱かせれば、信頼を失い、各班の連携に乱れが生じる。心で繋がっていなければ、良き未来は築けぬ。だから私は、各班の重役に加え、新人四人にもすべて伝えるつもりだ」
その言葉に、団丸がすぐに笑顔を返す。
「おう!そうだな!良い未来には信頼が大切だ!おいらも栄善の意見に賛成だ!」
「えぇ、そうね。みんな私たちの大切な仲間だもの。きちんと説明して、納得した上で受け入れてもらいましょう」
「あぁ、そうじゃな」
「うん、そうだね!」
その言葉に背中を押されるように、私たちは会議の間へ向かった。




