第23話 哀伝の甘い説教―甘―
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
重い体を引きずるように、ゆっくりと身を起こした。
「……っ、あったま、痛〜い」
頭の奥がじんじんと痛むたびに、昨夜の記憶が途切れ途切れに蘇ってくる。
昨夜の歓迎会のあと、栄善の語った熱い志に胸を打たれ、気分が高揚した私たち幼馴染五人は、勢いのまま連れ立って町へと飲みに出かけた。
そのとき、私は栄善にこう言ったの。
『栄善の身分制度廃止への想い……改めて響いたわ。お城に生きる私たちも“平等”に生きられる世界だなんて、やっぱり栄善らしいわね』
すると栄善は、口角を上げて言ったわ。
『ふっ。強がっている癖に、厳しいしきたりに悩み苦しんでいる者もいるからな』
……ったく、栄善ったら。
昔のことをよく覚えてるんだから。
その後、私たちは昔話で盛り上がり、なぜか私が団丸と飲み比べすることになった。
そして──
あら、やだ。
私、どうやって帰ってきたのか全然覚えてない……
そのとき、襖の向こうから声が聞こえた。
「杏歌?僕だけど、入っていい〜?」
「哀伝……」
襖の向こうから入ってきた哀伝が差し出したのは、湯気の立つ湯呑みだった。
中には、温かいお茶が満たされている。
「杏歌、気分はどう?昨夜、すごく飲んでたでしょ?」
「ありがとう、哀伝。少し頭が痛いけど大丈夫よ……それに私、昨夜のことあまり覚えてないの。もしかして、哀伝が私を部屋まで連れてきてくれた?」
「まったく、杏歌は〜。そうだよ。七左衛門みたいに強いわけじゃないんだから、ほどほどにしないと」
「ごめんね。気をつけるわ。でも、哀伝ありがとう」
その言葉を聞いて、哀伝は少し俯いた。
「……いつも、あんな感じなの……?」
「……え?」
その声には、冗談めいた響きはなく、どこか押し殺した苛立ちが滲んでいた。
「七左衛門と団丸と、たまに飲みに行ってるじゃん。そのときも、あんな感じなの?」
今度は、私の目をじっと見つめる哀伝。
その表情は、いつもの明るい彼ではなく、真剣そのものだった。
「……“あんな感じ”って、どういう意味?」
私が問い返すと、哀伝は答えずに黙ったまま、私の両手首をそっと掴む。
拒む理由も、受け入れる覚悟も、どちらもまだ見つからないまま──
「……杏歌」
その一言を囁くように言いながら、そのまま私は布団の上へと押し倒された。
目の前の哀伝は、いつもよりずっと近い。
前髪が垂れて、いつもより少し影ができている。
その整った顔は、普段の明るい表情よりも──ずっと大人っぽく、切れ味のあるかっこよさを放っていた。
「……哀伝……」
「……今みたいに、服を乱してさ……」
そう囁いた哀伝は、私の首に顔を押し当てる。
哀伝のさらさらとした髪が肌をくすぐり、吐息が首にかかった。
そして哀伝は、首元に静かに口づけを落とした。
「……んっ、哀伝……」
小さく、声が漏れた。
二日酔いでぼんやりとした頭の中で、心だけが妙に鮮明に反応する。
「杏歌、分かってるの? あれは完全に男を誘ってたからね。幼馴染たちの前だから、まだよかったけど。あんな色っぽいところ、他の人にはもう絶対に見せないでよね」
そう言いながら、哀伝は私の口元に唇を重ねた。
唇が触れた瞬間、体の中で何かが弾ける。
そして、角度を変えて唇をより深く重ねてくる。
落ちていく口づけに、私は抗えなかった。
まるで、そこに吸い込まれていくみたいに。
── このまま哀伝に溶けてしまいそう。
心臓がばくばく鳴り、呼吸が追いつかない。
それでも私は、哀伝の唇に甘く沈んでいった。
「……んっ……」
口づけが終わると、哀伝は私の白い小袖の胸元に、そっと手を伸ばした。
その指先が触れるか触れないかの距離で、私の全身が熱くなる。
次に起こる行動に、私はまだ心の準備ができていない。
「……まっ、待って、哀伝……」
息を呑んだその瞬間──
「な〜んてね〜」
その言葉で、張りつめた空気がふわりと弾けた。
哀伝は満足げに笑うと、すっと身を起こし、優しく抱き上げるようにして、私を起こしてくれた。
「だけど、杏歌が悪いんだよ?今みたいに服が乱れて肌が見えてたら、男なんてみんな飛びついちゃうんだから。分かった?」
昨夜の記憶が曖昧で、哀伝に助けられたことさえもぼんやりとしか思い出せない。
だから私は言葉が出ず、正座したまま頭を下げることしかできなかった。
「……はい。哀伝の言う通りです。反省してます……」
「杏歌が反省してるならいいんだよ。これから飲みに行くときは、僕に報告すること。いい?」
「……はい。分かりました」
そんなやり取りをしていると、襖の向こうから元気な声が聞こえてきた。
「おーい!杏歌、朝だぞー!」
「昨夜飲み過ぎてたからな。起きてるか?」
「杏歌、大丈夫か?具合はどうだ?」
襖がそっと開けられ、朝の光とともに、みんなの顔が少しずつ見えてきた。
目の前には、仁王立ちの哀伝。
そして、正座したままの私。
「おう、哀伝!ここにいると思ってたぞ!」
「説教してくれてたんだな。助かるぜ」
「杏歌には喝が必要だからな」
私は正座したまま、みんなに向かって深く頭を下げた。
「……昨夜のことは、覚えていません。申し訳ございません……」
「哀伝が説教してくれたなら大丈夫だ!」
「哀伝のおかげで、反省の色が見えてるな」
「さすがは哀伝だな。頼りになる」
「団丸、七左衛門、栄善、任せてよ。杏歌には、僕がしっかりと説教しておいたからね〜。ねぇ〜杏歌〜?」
哀伝は、いたずらっ子みたいに口元を緩めて首を傾げた。
私は思わず顔が赤くなる。
「ん?どうしたんだ、杏歌。顔が赤いぞ?もしかして、まだ酔っ払ってんのか!?」
団丸の一言に、みんなが一斉に笑い出した。
「ぷはははは!杏歌、まだ酔ってるってよ」
「くくくっ、団丸、それ最高だぜ」
「くすくすっ、確かに、あれだけ飲めばな」
〜っ、悔しいけど、こればかりは何も言い返せないわ。
「それにしても、杏歌がこんなに素直に反省してるなんて、哀伝、何て言って説教したんだよ?」
七左衛門の爆弾発言に、私は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
団丸と栄善も顎に手を添え、「確かに」と首を傾げている。
……っていうか、あんたたち失礼じゃない!?
私がいつも素直じゃないみたいじゃない!?
まぁ、哀伝に対しては素直になれない私がいるけどさ……じゃなくて!!
私が一人、心の中で騒がしくしている中、哀伝が口を開いた。
「へっへっへ〜。それはね……」
まさか、哀伝。
言うんじゃないでしょうね!?
「杏歌に……」
「ちょっ、ちょっ!」
「杏歌ーーーーーー!!!!」
――――きーーーーん!!
襖が勢いよく開け放たれ、雷のような声が室内に落ちた。




