第2話 あの頃の私たち
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
あれは、栄善が羽田家に迎えられ、初めてこのお城に足を踏み入れた日のこと──
「杏歌、今日から新しい跡継ぎの子が来るんだって。僕たちと同い年らしいよ」
「……そう」
このお城の跡継ぎだった羽田蛍火。
私や哀伝と同い年で、仲がよかった。
あの子はずっと、お城の自室で静かに過ごしていた。
生まれつき、外を自由に歩ける身体ではなかったから。
──それでも、いなくなるなんて思っていなかった。
私が俯いていると、ぽんっと頭にあたたかい温もりが伝わってきた。
「杏歌、哀伝。今から新しい跡継ぎの子を紹介する。付いてくるのじゃ」
「茶々蔵……」
茶々蔵は、このお城の家老。
私たちのことを、本当の孫のように見てくれている。
蛍火のことも、一番よく気にかけて、誰よりも可愛がっていた……
茶々蔵に付いていくと、襖が静かに開けられた。
そこには、黒髪で切れ長の目をした、ひとりの男の子が立っていた。
「杏歌、哀伝、この子は栄善じゃ。二人とは年が変わらぬから、話もしやすいじゃろう。仲良くしてやってくれ。栄善、何かあれば、わしかこの二人になんでも言うのだぞ」
「……」
茶々蔵の問いかけに、何も答えない栄善という子。
でも、無理もないわよね。
急にお城に連れてこられて、知らない私たちに囲まれたら、戸惑うのも当然よね。
「私は杏歌。これからよろしくね、栄善」
私は栄善に手を差し出した。
握手をするつもりで──
すると、思いがけない言葉が返ってきた。
「私に話しかけるな」
……今、なんと?
私に話しかけるな。
……はぁーーーー!?!?
栄善との出会いは、最悪だった。
その後、哀伝が挨拶をしても知らんぷり。
栄善はそのまま自室に引きこもり、私たちは言葉もなくして、その場をあとにした。
「なんなの、あいつ〜!!」
「これ、杏歌。栄善は、身分制度の影響で貧しい家庭で育ち、家族もいないんじゃ。今は心を閉ざしているじゃろうが、少しずつ距離を縮めてあげてほしい」
「そうだけど、さぁ!!あんな言い方ないでしょ!?」
「僕はいい子だと思うな〜。杏歌のことが怖かったんじゃないの〜?」
「きっと、そうじゃな……」
「哀伝も茶々蔵も、ふざけないでよー!」
そんな最悪な出会いから、私たちと栄善の距離はなかなか縮まらず、月日だけが静かに流れていった。
私はというと、外交の道に進むため、見習いとして日々励んでいた。
いや、励んでいたというより……縛られていた。
文官の名家というしきたりに。
文章作法、礼儀作法、交渉術、経済……言い出せば、きりがないほど。
私に自由なんてなかった。
だけど、弱音なんて吐けない。
この名家の名を引き継ぐ者として、今ここで迷ったり、諦めたりするわけにはいかないのだから。
「やっほ〜、杏歌〜。いつも偉いな〜。きっと杏歌は、外交の道で輝くんだろうな〜」
「……哀伝」
「だけどさ、そんなに根を詰めてたら、苦しくなっちゃうよ?今からさぼろうよ。なんか言われたら、僕がなんとかしてあげるからさ〜」
そう言って、哀伝は私の手を引き、歩き出す。
黄金色にきらめく短い髪を靡かせ、無邪気な笑顔で私を誘う。
厳しいしきたりがあるのは、哀伝だって同じ。
だけど、いつもこんな調子のくせに、なんでも器用にこなしてしまう。
そして、本当になんとかしてくれるの。
哀伝と一緒にいると、私は自然とほっとした気持ちになる。
哀伝がいるから、頑張れる。
そして、私はこの頃からずっと、そんな哀伝に惹かれていた。
そんな毎日を過ごすある日。
息抜きに、お城の庭の池のほとりで、ひとり作法の復習をしていたときのことだった。
水面に浮かぶ人影……
振り返ると、栄善が立っていた。
「……何よ、あんた。なんか用?」
「……其方は、いつも苦しそうな顔をしているな」
真顔でそう言う栄善。
何よ、喧嘩を売りにきたわけ!?
「だったら何?文句でもあるの?」
「……城の者たちは、皆、恵まれた境遇であるのではないのか……なぜ、苦しむ……」
「……あなたは、私たちのような、お城に代々仕えている人間は、優雅に贅沢に生きていると思ってたんでしょうけど、こっちはこっちで色々あるのよ」
「……」
「私はね、将来、外交の道に進むために育てられてるの。名家の家系だから、私がここで挫けるわけにはいかないの」
栄善は、真顔で私の言葉を静かに受け止めていた。
「厳しいしきたりだし、学ぶことも多くて、私に自由なんてないわ……」
「しきたり……」
「私は逆に、町の人たちが羨ましかったの。見下しているとかじゃなくて、自由に生きているように見えたから……でも、私も何も知らなかった。身分制度で苦しんでいる人たちがいるなんて、考えもしなかった」
栄善は、少しだけ視線を落とした。
その沈黙は短いはずなのに、時間がゆっくりと流れるように感じられた。
やがて、静かに口を開く。
「……あのときは、すまなかった」
「……いいのよ。私も悪かったし、お互い様よね」
「それにしても、杏歌は気が強いのだな」
あっ……今、名前で初めて呼ばれた。
「栄善に言われたくないんだけど?」
そう言って、私たちは笑い合った。
──このとき、初めて栄善が心を開いてくれたと、私は感じた。
「なになに?二人して何笑ってるの?」
その後、哀伝もやってきて、私たちは少しずつ距離を縮め、仲良くなった。
やがて、お城の人たちにも心を開くようになっていった。
仲が深まるにつれて、栄善は気づいていった。
ここにいる者たちも、自由を奪われていることがある──と。
だから栄善は、私たちお城に生きる者たちも、自由に生きられる未来を望んでいる。
もちろん、それは殿である栄善自身にとっても同じこと。
まぁ、その後、打ち解けすぎて大変なことになったんだけど……
それはまた、別の話。
***
「なんだか、懐かしいわね……」
「ん?どうしたんだ、杏歌」
栄善にそう言われて、私はごまかすように答えた。
「ふふっ。いや、ちょっとね。さぁ、息抜きもできたし、続きを頑張らなくちゃ」
「まだやる気なの、杏歌〜。もうしなくていいからさ、僕に付き合ってよ〜」
「杏歌、哀伝のあと、おいらと訓練をしよう!お前は間違いなく体力ゴリラだ。がははははー!」
「なんでそのあとに訓練になるんだよ……まぁ、ともかく、杏歌。あんまり無理しすぎるなよ」
「うん。ありがとう、七左衛門」
頼もしく、賑やかな幼馴染たちに囲まれながら、夜の帳が降りるお城で、私は静かに微笑んだ。




