第13話 羽田蛍火―夢―
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
晩秋の気配が近づいた頃。
城内には、どこか落ち着いた賑わいが広がっていた。
一日限定の山茶花団子が、今年も発売される日だから。
「杏歌、今から蛍火のところへ昼の甘味を持って行くんじゃ。今日一日限定の山茶花団子じゃから、お前さんも来なさい」
「あの噂の山茶花団子!?うん、行く!」
私にとって、山茶花団子を目にするのは、この日が初めてだった。
その名は知っていた。
けれど、実物を見るのは今日が初めて──だから胸が少しだけ高鳴っていた。
私と茶々蔵は、蛍火の自室へと向かった。
茶々蔵が風呂敷をほどき、中の包みを開ける。そこには、色とりどりの山茶花が描かれた紙箱が入っていた。
「わぁ……」
私も蛍火も、思わず声を上げた。
「綺麗じゃろ?これは、山茶花団子専用に作られた紙箱なんじゃ。職人が一つひとつ、丁寧に仕上げているんじゃよ」
蛍火は、箱の絵柄を見つめたまま、静かに呟いた。
「職人さんが、一つひとつ……真心を込めて作ってるんだね」
「しかし、これで驚くのはまだ早い。山茶花団子も、それはまた美しいのじゃよ」
そう言うと、茶々蔵は箱をすっと開けた。
中には、山茶花の形をした淡い色のお団子が並んでいる。
「お団子も綺麗ね。一日限定ってところが、また特別よね」
「ほほっ、そうじゃな」
「蛍火もそう思うでしょ?」
私は蛍火に声をかけた。
けれど蛍火は、横になったまま、ただ山茶花団子をじっと見つめていた。
「蛍火……? 大丈夫? 具合でも悪いの?」
「蛍火、どうしたんじゃ? 大丈夫か?」
私と茶々蔵の心配する声に、蛍火はしばらく間を置いてから、静かに口を開いた。
「山茶花って……本当にあるの? 外の世界には、その箱に描かれているような美しい景色が本当に存在するの……?」
──外の世界。
この言葉が、胸の奥に深く突き刺さった。
蛍火は、生まれてから一度も、その“外”を見たことがなかったから。
「……あぁ、そうじゃよ」
茶々蔵のその言葉に、蛍火の瞳の奥が、ほんの一瞬──きらりと光ったような気がした。
「……どこにあるの?」
「この箱に描かれておる山茶花はな、町から少し離れたところにある、穏花処という団子屋に咲いているんじゃよ」
「穏花処……」
「山茶花は晩秋から冬にかけて咲く花なんじゃ。穏花処の岸辺に咲く山茶花はな、この箱に描かれているように美しいのじゃよ」
「……ごほっ」
蛍火は、小さく咳き込み、それでも視線を逸らさぬまま続けた。
「僕……その山茶花の景色を、この目で見てみたい。自分の足で歩いて……僕にも、できるかな……?」
茶々蔵は、柔らかな笑みを浮かべ、蛍火の頬をそっと撫でた。
「もちろんじゃよ、蛍火。きっと、見られる。そのときは、わしらと一緒に山茶花を見に行こうな」
「……うん!」
蛍火の声は小さいけれど、その言葉には迷いがなかった。
「さぁ、山茶花団子を食べるとしよう。これは格別に美味しいぞ」
私たちは、山茶花団子のひとときを楽しんだ。
「ん〜……なんて美味しいの!餅米の生地がもちもちしていて、食べ応えがあるわね」
「本当だね。しかも、まろやかな甘さで優しい味……こんなに綺麗で、食べるのがもったいないから、ゆっくり味わって食べないとね」
「これには餡に黒糖が入っているんじゃよ。だから、まろやかな甘さになるんじゃ。蛍火も気に入ったみたいで、わしは嬉しいぞ」
蛍火は、嬉しそうにお団子を見つめながら、小さく微笑んだ。
その姿を見た茶々蔵も、自然と頬を緩めていた。
「茶々蔵、この山茶花団子の箱、貰ってもいいかな?小物入れにしたいんだ」
「もちろんじゃよ、蛍火。好きに使いなさい」
「素敵ね、蛍火。何を入れるの?」
「哀伝が、僕に外の世界を見せてくれるんだ。そのときに石を拾ってきてくれるんだけど、この箱に入れて大切に保管しようと思ってね」
ふふっ、哀伝らしいわ。
きっと輝くような眩しい笑顔で、蛍火に渡しているんでしょうね。
「ごほっ。次この山茶花団子を食べられるのは一年後か……」
蛍火が遠い目をして呟いた。
「そのときは、わしが買ってきてあげるから、またみんなで食べよう」
「うん、そうだね」
それから蛍火は、少しずつ夢を語るようになった。
蛍火はもともと、自分の足で外を歩きたいと願っていた。
そして、みんなと一緒に、いろいろな場所を走り回りたいとも。
そして今度は、その願いが一つの形を得た。
自分の足で歩き、あの箱に描かれたような美しい山茶花の景色を、この目で見る──
蛍火は毎日、山茶花の絵が描かれた箱を眺めては、目を輝かせていた。
そして、あの日から一年後の山茶花団子を、心の底から楽しみにしていた。
月日は流れ、季節は再び晩秋を迎えていた。
蛍火が待ち望んでいた山茶花団子の発売日が、ついに訪れた──
私は、茶々蔵が買ってきてくれた山茶花団子を持って、蛍火の自室を訪れていた。
「蛍火、茶々蔵が買ってきてくれた山茶花団子だよ。一緒に食べよう」
「……ごほっ、きょ……か、ごほっ、ごほっ」
「蛍火!大丈夫?」
私は蛍火の背中を優しくさすりながら、そっと様子を確かめた。
「うん……ごほっ、ごほっ、少し寝たら、よくなる……から。心配……かけて……ごめんね」
ここ最近、蛍火の体調はあまり良くなかった。
起き上がることさえ辛そうで、ご飯も喉を通るのに時間がかかるようになっていた。
襖が静かに開き、茶々蔵が入ってきた。
「……茶々蔵、蛍火が……」
今にも涙が溢れそうになる私に、茶々蔵は落ち着くように、そっと頭に手を置いた。
「大丈夫じゃ、杏歌。蛍火にはわしがそばにおる。じゃから、心配するでないぞ。ほら、山茶花団子を食べて、元気出すんじゃ」
「……うん」
その言葉から、しばらく経った雨の日。
蛍火は、静かに息を引き取った──




