第102話 揺らぎの中で
【第二部】遺志を継ぐ者たち―巡―
町の人々の声や市場の賑わいが、少しずつ新しい時代の空気を運んでくる。
哀伝は殿として、交易の力を活かし、身分に縛られない自由な商売の道を広げていた。
その流れに、私たちも続いていく。
お城に仕えていた者たちも、かつての立場に縛られず、それぞれの力を活かせる新しい道を模索していた。
「僕は今日、町の商人のみんなのところに行ってくるから」
「ええ、私はその間に書類を作成しておくわ」
日々は進んでいく。
けれど、その歩みは決して軽いものではなかった。
身分制度の緩和は、誰かにとっては自由であり、誰かにとっては喪失でもあった。
守られていた立場を失い、お城を去る者もいる。
それでも、それを誰も“見捨てられた”とは呼ばなかった。
新たな役目を探し、町へ出る者には道を示し、残る者にはこれまで以上の責任が静かに積み重ねられていく。
すべての者を救えたわけではない。
それでもこの国は、人々と寄り添いながら歩みを止めなかった。
「……随分と顔ぶれが変わったわね……」
「……変わるって、こうやって誰かの形を少しずつ変えていくことなんだね」
私たちは、少し広くなったお城を見つめたまま、静かに呟いた。
それでも町には、確かな光が差し始めていた。
誰もが自分の力で生き、働き、未来を選べる世界へと。
その歩みは、まだ途上にある。
──そして、その静かな変化の裏で、ひとつの影が囁く。
「路傍斬りが、この町にも現れたらしい」
その言葉に、場の空気がわずかに揺れた。
「……なんで路傍斬りが、この桂ノ国に」
哀伝は、小さく息を吐いて、視線を上げる。
「七左衛門、町の警備を一段上げてくれるかな?目撃情報を整理して、動きの癖を洗い出してほしいんだ。 団丸は訓練隊を二つに分けて、町の巡回と城内防衛の強化をお願い」
七左衛門は静かに頷き、短く答えた。
「任せとけ、哀伝。すぐに町の警備網を組み直して、情報は逐次伝えていくぜ」
団丸は、力強く一歩前へ出る。
「おう!おいらは訓練隊を二つに分けて、巡回班と防衛班をすぐに動かすぞ!」
「二人とも、本当に心強いよ。頼りにしてる」
そう言うと、二人はそれぞれ小さく頷き、その場を駆けていった。
静けさが、ふっと戻る。
哀伝が、そっと私の手を握る。
「……杏歌、大丈夫だからね」
私は、その手を握り返す。
「何言ってんの。私は殿の妻になるのよ?こんなことで、怖がってなんかいられないわ」
一度、言葉を切る。
「それに……哀伝を信じてる」
哀伝は、小さく息をこぼして笑った。
「まったく……僕の妻には敵わないよ」
私たちは顔を見合わせ、そっと笑い合った。
***
やがて──私たちは、正式な夫婦となった。
町の人々の祝福と歓声に迎えられながら、その日を迎えた。
「……哀伝、杏歌。あんなに小さかったお前たちが……こんなに立派になっての……わしは、この日を見られて、本当によかった……」
茶々蔵の声は、かすかに震えていた。
その言葉に、これまでの思い出が胸の奥から静かにあふれ、私はそっと茶々蔵を抱きしめた。
「……茶々蔵……これからも、私たちのそばにいてよね。毎年、山茶花団子も一緒に食べましょう」
「……杏歌……あぁ、もちろんじゃ。山茶花団子は、わしが毎年買ってくるからの。みんなで一緒に食べよう」
その様子を、哀伝はそっと微笑みながら見守っていた。
「哀伝ー!杏歌ー!二人とも似合ってるぞー!おいらにも、じゃがいもの味噌汁作ってくれる人いないかなー、がははははー!」
「哀伝と杏歌、二人とも輝いてるぜ!……って、団丸。お前それ、本気だったんだな……」
七左衛門は、ふと昔の団丸の言葉を思い出す。
『おいらの夢は、将来お嫁さんに毎日じゃがいもの味噌汁を作ってもらうことなんだ!』
“結婚”なんて、縁もゆかりもなさそうな団丸が、あの言葉を本気で口にしていたことに、少し驚きながらも──
幼馴染みんなが幸せであればいいと、七左衛門は静かに願っていた。
「……俺は、どうかな……」
七左衛門は、ふと空を見上げた。
祝福に満ちたその場には、少しだけ似つかわしくない、切なさを帯びた眼差しが、青空へと向けられていた。




