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008 再び中央都市へ


「では、一緒に助けに行きましょう」

 

 太陽が西に傾き始め、長く伸びた木々の影がシャルンの足元まで迫っている。

 だが、残された白昼の陽光はリリメルだけを真っ直ぐに照らし出していた。

 自信に満ちて輝く彼女の白皙(はくせき)の肌は、この世のものとは思えないほど神々しい。

 

 リリメルはそのまま、シャルンを縛っていた縄を鮮やかに解いてみせた。

 

 自由になった体。

 シャルンは戸惑いながらも、腕を回し、軽く飛び跳ねて感触を確かめる。

 一通り体を動かした後、少年は何度も瞬きを繰り返しながら、救い主であるリリメルを見上げた。

 

「そのハムは、食べてしまいましょう。ミュラさんには、また新しいものを用意しますから」

 

 片手に持ったハムを見つめ、シャルンは思わず溢れた唾を飲み込んだ。

 もう一度リリメルに目を向けると、彼女は「どうぞ」と優しく掌を差し向ける。

 シャルンは貪るように肉に齧り付いた。

 

 カナはその様子を確認しながら、リリメルの横へと駆け寄った。

 そして、リリメルの耳元で低く囁く。

 

「いいんスか? 『縛り(拘束)』のない獣人(じゅうじん)を街に解き放つなんて……教徒にとっては大罪っスよ?」

 

 リリメルが口角を上げ、スッと目を細めた。

 

 満面の笑みは、まるで本心を隠すようだった。

 リリメルは人差し指を立てて、そっと自分の唇に当てた。

 

「カナさんが黙っていてくれれば、何の問題もありませんよ」

 

 管理者のいない獣人の解放は重罪。

 知っていて見過ごせば、同罪として裁かれる。

 簡単に首を縦に振れるわけにはいかない。

 

 いかないが――ここで否定すれば、この魅力的な旅はほんの数時間で終わりを告げる。

 

『八十年の眠りについた、月聖二百人殺しの張本人アドガード・ウィキ』

 

 なんて……

 記者として、喉から手が出るほど欲しい特ダネだ。

 

 カナは逡巡した後、クルリと背を向けた。

 

「……私は、何も見てないっス……」

 

 カナの記者魂が、脆い理性に完全勝利を収めた瞬間だった。

 

 その言葉を聞くと、リリメルは満足げな笑みを浮かべ、あまり困ってもいないような声で話し始めた。

 

「実は、困ったことが一つあるんですよね」

 

「困ったこと?」

 

 カナとシャルンの声が重なる。

 

「私は『宗教戦争(しゅうきょうせんそう)』には未参戦なんです。アドガードさんの連れ出しも、戦争のためではなく『改心』を目的としたものですから。規律上、私は他宗派(たしゅうは)の方に手を出すことができないのです」

 

 場にいる全員が、ポカンと口を開けた。

 

「ええっと……つまり?」

 

 カナが恐る恐る人差し指を立てる。

 

「私は、戦えません」

 

 潔いほど、にこやかな宣言。

 

 その場にいた全員が、ガクッ、と膝から崩れ落ちた。

 アドガードに至っては「……だろうと思った」と、諦めを通り越して虚無を含んだため息を吐き出す。

 

「じゃあ……なんで一緒に行くなんて言ったんだよ! 相手は法術師(ほうじゅつし)なんだぞ!」

 

 シャルンの悲痛な叫びを、リリメルは扇子でも仰ぐように軽やかに受け流す。

 

「戦わなくてもできることはありますよ。」

 

 彼女の瞳には、一切の不安も、そして謙遜もなかった。

 

 シャルンは「それでも一人で向かうよりは幾分マシだ」と自分に言い聞かせ、重い腰を上げた。

 

 四人は再び立ち上がり、影の支配が強まり始めた中央都市へと向かう。



 

 高い外壁の門をくぐると、正面には広大な目抜き通りが続いていた。

 

 四宗教(ししゅうきょう)が台頭する以前、強固な王権が支配していた時代に築かれたこの街は、今もなお古き良き石造りの景観を色濃く残している。

 だが、長引く宗教戦争(しゅうきょうせんそう)の爪痕は深く、通りの至るところに瓦礫が積み上げられ、放置されていた。

 どの宗派も統治責任を負わない「中立国」ならではの、退廃的な光景だ。

 

 リリメルとカナは、タイルが剥がれ落ち、凸凹に土が露出した道を慎重に進む。

 屋根の上では、アドガードとシャルンが人目を避けながら、鋭い視線を街並みへと走らせていた。

 

「人に聞く方が早そうっスね。そのグリンドって、どんな男なんスか?」

 

「そうですねぇ……私も少ししか会っていないのでうろ覚えなのですが。鎖を右腕に数本巻き付けていて、暗い灰色のローブを身に纏っていました。穴の空いたボロボロの服でしたよ」

 

「中立国じゃ、綺麗な服の方が珍しいっスからね。鎖を目標にするのが良さそうっスね」

 

 夕刻が迫るにつれ、通りの両端には瓦礫を積み上げて作ったような質素な屋台が並び始める。

 

 焦げたソースの香りが煙と共に漂い、鼻腔をくすぐった。

 『串焼き一本・千セイン』――手書きの張り紙が揺れる。

 帰路を急ぐ群衆が膨れ上がり、雑踏の中で一人の男を探し出すのは困難を極めた。

 

風聖(ふうせい)の教徒なら、制服とか紋章とか……なんか“それっぽい”のを付けてないんスか?」

 

 カナが人混みの先を覗こうと何度も背伸びをしながら、視線を忙しなく動かす。

 

「付けてはいなかったですね。それに、風教徒(ふうきょうと)にしては身嗜みに違和感がありました。自称か、あるいは聖籍(せいせき)を抹消された『落人』ではないでしょうか」

 

 カナが不満そうに口を尖らせた。

 

風衛兵(ふうえいへい)は何やってんスかね。そういう不逞な輩を取り締まるのが仕事でしょうに……」

 

 ――その時だった。

 

 人混みの向こうから、周囲を圧するような野太い声が響いた。

 

「おぉぉい! そこの華教徒(かきょうと)ーっ!」

 

 大きく手を振りながら近づいてくる大男。

 そのあまりの体格と声の迫力に、道ゆく人々が波が引くように左右へ分かれていく。

 そこだけぽっかりと空白ができた通りの中心に、鳥聖(ちょうせい)のラン・フェンが立っていた。

 

 丸太のような腕の中からは、薄茶色の長い耳が力なくはみ出している。

 

 リリメルとカナは互いに顔を見合わせ、目を見開いた。

 

「ミュラ……さん?」

 

 リリメルが人混みを掻き分けて駆け寄る。

 

 ランの太い腕に抱かれていたのは、間違いなくミュラだった。

 顔や腕には痛々しい痣が重なり、服は土埃で真っ黒に汚れている。

 だが、命の火が消える様子はない。

 彼女は目を真っ赤に腫らしながらも、安心したような健やかな寝息を立てていた。

 

「悪いな、急に呼び止めて!」

 

 ランの声は豪快そのものだった。

 戸惑う二人を気にする素振りも見せず、彼は一気に畳みかける。

 

「その聖服(せいふく)華教徒(かきょうと)やろ? この子の治療をしてくれへんか。オレは法術(ほうじゅつ)には滅法弱くてな。頼むわ、この通りや!」

 

 まさに渡りに船。

 リリメルは屋根の上の獣人二人が降りて来やすいように、人目の少ない広場に向かうことを提案した。

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