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054 ゼフィルド・カーヴェイン


 

 リリメルはカーヴェインの牢に入ってから四十分の間、同じ言葉を叫び続けていたのだ。

 

 アドガードは耳を押さえ、壁にもたれかかって眉間に深い皺を寄せる。

 騒音に耐える姿はもはや拷問のようであった。

 

「カァァァヴェインさぁぁぁぁん!!!」

 

 焦燥と苛立ちが混じり合ったリリメルの声はすでに別人のように掠れている。

 冷たい石壁に反響しては、カーヴェイン以外の人間の耳を潰していった。

 

「カァァヴェイン……さぁん……か……」

 

 リリメルは喉を押さえ息を切らせながら、それでも必死に鉄格子にしがみ付く。

 

 肩で荒く息をしながら、リリメルはおもむろに看守の持っていたファイルを取り上げた。

 次の瞬間、それをカーヴェインの後頭部めがけて投げつける。

 

「いい加減に聞けぇぇぇぇ!!!!!!」

 

 リリメルの魂の叫びに呼応するように、ファイルは見事命中した。

 慌てた看守がリリメルの腕を掴む。

 

「しゅっ、囚人への暴力はやめてください!?規則ですので!」

 

「すみません。あんまりにも腹が立ったので」

 

 リリメルはしれっと笑顔で返す。

 

 「次したら面会拒絶になりますからね!」と看守に強めに注意を受けても、軽く頭をかくだけだった。

 

 鉄格子をすり抜けて、先ほど投げたはずのファイルが差し出される。

 リリメルと看守が同時にそのファイルへと視線を向け、息を呑んだ。

 ファイルの先を視線で追うと、後頭部を痛そうに撫でるカーヴェインがそこにいた。

 

「私に何か御用でしょうか?」

 

 今まで微動だにしなかったカーヴェインが、目の前にいて、しかも口を開いた。

 一瞬その場にいた全員が息を呑み、時間が止まる。

 リリメルが勢いに任せて鉄格子を両手で掴み、この一世一代のチャンスを逃すまいと詰め寄った。

 

「初めまして!私は華聖(かせい)のリリメル・ベルと申します。私と一緒に来てください」

「お断りします」

 

 食い気味に断られ、カーヴェインはそのまま元の位置に戻るべく、踵を返す。

 リリメルは必死にその服を引っ張った。

 ここで返してしまっては、元の木阿弥だ。

 

「まっ、待ってください!もう少しだけ話を聞いてください。私にはどうしても貴方が必要なんです!」

 

 リリメルの必死な呼びかけと、「死んでも離すものか」と言いたげな力強い手に、カーヴェインはしぶしぶリリメルへと再び向き直る。

 

「私は宗戦(しゅうせん)には参戦しません」

 

 さっさと話を切り上げようとカーヴェインがまたハッキリと断る。

 

「宗戦に参加させたいわけではありません!カーヴェインさんに作ってもらいたいモノがあるんです!」

 

 リリメルは肩からかけていたベールを広げた。

 ベールの両端に書かれた法術陣(ほうじゅつじん)翠輝(すいき)を放ち、ベールはリリメルの斜め前で空中に浮かび上がる。

 

 そこに胸の宝石から、新たな法術陣を映し出した。

 その真ん中に手を突っ込んで、何やら探っている。

 

「武器を作る気もありませんし、火筒(エヴァン)の設計書を渡す気もありません。私はお役には立たないと思いますが」

 

「武器なんていりません!私が作って欲しいものは……」

 

 リリメルは一冊の本を取り出し、ページをめくる。

 あるページを開いてカーヴェインに突き出した。

 

「私はこの国を統一して新しい国を創ります。その国は法術のない国にしたいのです。そのためにも、貴方の考えた、この『汽車』が絶対に不可欠です!」

 

 カーヴェインは突き出された本を見つめる。

 表情はほとんど動かないが、リリメルには少し驚いているように見えた。


 鉄格子の隙間から手を伸ばし、カーヴェインが本を受け取った。

 格子にぶつけないよう、慎重に自分の手元まで引き寄せる。

 表紙には、著者:ゼフィルド・カーヴェインと記されていた。

 

「一緒に旅をしながら、この『線路』をどこに引けばいいのかなど、具体的な計画を立てて欲しいのです。絶対に戦いに巻き込んだりしません。必ず身元の安全も保証します。だからお願いします」

 

 カーヴェインはそのページを、掌で愛おしそうに撫でる。

 表情は変わらず、黙ってそのページをしばらく見つめていた。

 その目はどこか悠久の彼方を覗く。

 

 しばらくして、その口がゆっくりと開かれる。

 

「動力に石炭が要ります。優秀な地理学者が必要です」

 

 短くカーヴェインが答える。

 その言葉にオリバーは部屋の隅で胸に鈍い痛みを感じた。

 

「必要なら探します!地理学者は私の作る国には欠かせませんから」

 

 本に隠れてカーヴェインの表情はリリメルからは見えていないだろう。

 カーヴェインの口元は、言い訳を探すように小さく何度も動く。

 

「この計画は山を掘り、森を開きます。月聖(げっせい)教祖の逆鱗に触れるでしょう」

「私が、打ち砕きます」

 

 即答したリリメルの声に、カーヴェインは本をずらした。

 真っ直ぐになんの迷いもなく、その目はカーヴェインを映す。

 その力強い光に気圧されて、一歩後ろへと後ずさった。

 

「物流は……風聖(ふうせい)の大きな収入源の一つです。建設を許すことはないでしょう」

「では、風聖の街にだけ線路を引くのをやめましょう」

 

 カーヴェインは唾を飲み込む。

 経済的な不利益を考えれば、風聖は許可を出すしかない。

 しかし、それはこの少女が、月聖(げっせい)教祖より強いことが前提となる。


 全て彼女の妄想で、できるわけがない。


 わかっているはずなのに、真っ直ぐに見つめる翡翠色の瞳が掴んだ『期待』を離してくれない。

 胸の奥につっかえて息苦しい。

 

 自分よりも頭ひとつ分小さな体、まだ年端もいかない少女に、自分が圧倒されていることに気がつくと、気を取り直すために一度咳払いをして、ローブの襟を整える。

 

「子供の戯言を信じろと?」

 

 リリメルの瞳が鋭く光る。

 全てを静寂に変えるような緊張が、音を消して、空気に重さを与えた。

 

「はい」

 

 全ての緊張を切り裂く声。

 今、この場を支配しているのは、この少女なのだと、カーヴェインは再び一歩退いた。

 

 同時に自分の研究者としての血が騒ぐのを、もう押さえ込むことはできない。

 

 意識が、後ろの壁へ向く。

 白いチョークで書かれた全てが、この『汽車』の設計図であることを、カーヴェイン以外の誰も知らない。

 

 本を握る手に力が入った。


 『千年刑務所』で完成させればいいと思っていた研究を、実際に作ることができる。

 唾を飲み込んだ音が、脳髄を揺らした。

 

 リリメルの手が鉄格子をすり抜けてこちらへ伸びる。

 その翡翠色の瞳には、この拘留所で描いた白い設計図が映り込んでいた。

 

 カーヴェインの指先が、『期待』と『信念』に揺れる。

 

 気がつけば、その手を取っていた。

 これが『運命』だと、小さな掌が力強く握り返す。


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