051 堅実な解決策
朝食を終えるころには、ちょうど面会受付の時間が近づいていた。
拘留所に向かい、キャンセル待ちの予約を取る。
受付の女性は相変わらず無表情で、事務的な口調を崩さずに「お待ちください」と告げる。
リリメルとアドガードはベンチに腰を下ろし、呼ばれるのを待った。
他の教徒たちが順に出入りし、苛立ちを隠せない顔で帰っていく。
リリメルは膝の上の本をめくり、アドガードは目を閉じてじっとしていた。
やがてリリメルが本から視線を上げ、ぽつりと尋ねた。
「アドガードさんは、今回のこと、どう思いましたか?」
一瞬、アドガードの眉間にわずかに皺が寄る。
何を問われているのか測りかねたからだ。
やがて低く答えた。
「よくある話だ」
「そう、なんですか?」
リリメルが不思議そうに見上げると、アドガードはわざとらしく肩をすくめた。
「あぁ、じゃなきゃ、夜灯みたいな連中が、あんな地下通路を作ることなんてできないだろ」
「なるほど……」
リリメルはその答えに小さく頷く。
何かを考えるように、天井へ視線を向けた。
アドガードはそんな彼女の横顔に問いかける。
「お前はどう思ったんだ?」
リリメルの視線がゆっくりとアドガードに移り、微笑んだ。
「考えていることは二つあります。
一つ目は、風聖は、どのように動けば今回のことを防げたのか?
もう一つは今回のことが風聖に与えた影響は何か?ですね」
アドガードは目を見開いてリリメルを見た。
彼が予想していたのは、華聖らしい感傷的な答えだった。
しかし、リリメルの視線は、一介の教徒の感情ではなく、国家の機能そのものに向けられている。
風聖という巨大組織の欠陥を分析し、「国として何ができたのか」を論じるその姿が、意外にも頼もしく見えた。
国家統一……馬鹿げた妄言だと思ったが、いや、今でもできるわけがないと思っているが、この少女は本気なのだと、アドガードは息を呑んだ。
「風聖はなぜ、農地近くに学校を建てる申請を受け入れなかったのでしょうか?
それだけで、この事件は高確率で防げたと思うんです」
「それはオリバーが言ってただろ、すぐには難しいって、今は宗戦中だしな」
「すぐには難しいのは確かでしょう。さすがに二十年は長すぎます。
カルディナは学術都市ですし、教師や教材の手配も他の都市に比べれば簡単だったはずです。おまけに、農地の近くは廃墟も多いですから、場所の確保も難しくない。
どう考えても十年ほどで実現できたはずです。
おそらく風聖は、ハルヴィンさんが言う通り、そもそも作る気がなかった。私はそう見ています」
アドガードは沈黙の中、リリメルの視線を追って窓の外を見た。
官庁街を行き交う人々、街で見るよりもずっと良い仕立ての服を着ている。
その時、背に当たる太陽の熱が、マルタの姿を思い出させた。
泥だらけの服で懸命に働く農夫たち。
「でも、セラさんが言っていた“学がない方が扱いやすい”という考え方も、やはり違う気がします。
それは風聖の教えとは正反対のはずですから」
そんなリリメルの横顔を見ながら、アドガードは興味深く話を聞いた。
彼女の思考は、組織論と信仰の理屈の間で論理を追求していた。
「だから風聖評議会は『農民たちは、自分たちの手で生活を回している。そこまで教育を必要としていない。そこに学校を作っても、人は集まらない』と判断していたのではないでしょうか」
オリバーと行った農地での話を思い出す。
マルタたち農民の生活は、たしかに学問とは無縁だった。
満足している農民に、学問が必要だと訴える宿屋の主。
確かに歪だなとアドガードは思った。
「じゃあ、どうしていれば解決したんだ?」
アドガードの言葉に、リリメルはわずかに首を傾げる。
「わかりません。正直に言うとこの問題はまだピースが足りていない気がするんです」
「農民は満足していたんだから、ハルヴィンを思い直させれば良かったんじゃないか」
リリメルは腕を組み、眉間に皺を寄せて考え込む。
農民は満足している。
風聖評議会はそれを理解している。
ハルヴィンの意思改革以外何があるんだろうな、とリリメルの次の言葉を待った。
「この話はもう少し置いておきましょう」
難しい表情を緩め、笑顔でこちらを振り向く。
こいつにしては慎重な答えだな、と感心した。
「次に『今回の件が風聖に与える影響』です。
地下通路は上手く居住区を避けて掘られていました。住民は不便ではあっても、直接の被害は少ない。脱走事件も物損のみ。
この状況を、中央の風聖評議会はどれほど深刻に受け止めるでしょう?
アドガードさんが言うように、これが“よくあること”ならなおさら、きっと彼らにとっては、『自分勝手な一人の男が夜灯落ちした』——その程度の認識で終わると思います」
そこで、看守から声がかけられた。
カーヴェインの面会がキャンセルされたらしく、リリメルは話の途中で立ち上がる。
廊下を歩きながら、アドガードが尋ねた。
「で?『取るに足らない事件』として留まったら、何なんだ」
リリメルは歩を止めず、視線だけを向けて穏やかに答えた。
「今回のことは、被害の大きさ以上に深刻な問題が隠れていると思うんです。
風聖評議会がそれを正しく受け止められるようにするには……どんな仕組みが必要だったのか。そのことを考えていました。」
そう言って振り返ったリリメルの笑みは、どこまでも静かで、それでいて揺るぎない光を宿していた。
やがて二人は、カーヴェインの牢へと辿り着く。
変わらぬ背中がそこにはあった。
カーヴェインとの面会は、またなんの成果もなく終わった。
前を行くリリメルが、重い足を引き摺るように廊下を歩く。
今日は、看守の腰についた鍵の音がひどく耳につく。
ロビーの硬いベンチに座り込み、次のキャンセルを祈るように待っていた。
アドガードは、リリメルのすぐ横に腰掛ける。
「なんでそこまでするんだ?」
リリメルが苦笑いを浮かべアドガードを見る。
「私の計画には、絶対にカーヴェインさんが必要なんです」
リリメルの声は少し掠れていた。
これほど叫んでも一瞥もしないヤツが、数日の内に心を開くだろうか。
リリメルが強く拳を握りしめる。
「だからこそ!出発までには何としてでも、振り向かせて話をしなくては!」
まるで“話せば通じる”と信じて疑っていない。
アドガードは頭を掻きながら、ため息を一つ漏らした。
そもそも一年間も、引っ切りなしに来る教徒たちを無視し続けてる男だ。
話しただけで首を縦に振るとは、アドガードにはとても思えなかった。
それでも、リリメルの必死な横顔を見ると、指摘する気にもなれなかった。
「話せたらいいな」
思惑を呑み込んで、なんとかそれだけ口にした。




