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004 獅子族 シャルン

「アドガードさん。攻撃がきたら一度躱して、逃げましょう。できるだけ、相手の体勢を崩す感じで……!」

 

 アドガードが頷くと同時に、シャルンの鋭い爪がリリメルめがけて閃いた。

 

 だが、アドガードの方が速い。

 

 空中に飛び上がったシャルンの腕に、己の剛腕を絡めて、そのまま円を描くように振り抜く。

 

 柔術の要領で投げ飛ばされたシャルンの体は、空中を泳ぎそのまま石の床に転がった。

 

 アドガードは即座に後ろへ飛び退くと、看守とリリメルを左右の脇に抱え、迷わず窓を蹴破って外へ躍り出た。

 凄まじい脚力で地面を蹴り、刑務所の屋根へと一気に跳び乗る。

 

 ジャラジャラ……。

 

 背後から、耳障りな鎖の音が追いかけてくる。

 その音だけで、シャルンの正確な位置を把握できた。

 

 飛びかかってくるシャルンの胸を、二人の人間を抱えたまま、足蹴りで突き放す。

 大きく後方へ飛ばされた少年は、空中で身を翻し、熱された屋根に両手をついて着地した。

 

 その隙に、アドガードはリリメルと看守を屋上の角へ下ろすと、再びシャルンの方へと歩み寄る。

 

 少年は再びリリメルを狙って飛びかかるが、アドガードの腕が少年の腹部を的確に捉えた。

 そのまま腕を大きく振るい、後方へと投げ飛ばす。

 腹部への打撃のせいで受け身が取れず、少年は勢いのまま屋根を転がった。

 

 投げ飛ばした際、アドガードの手には少年の震えが確かに伝わっていた。

 

「――おい、怖いならやめろ」

 

 低く響く声に、シャルンは身を起こしながら激しく首を振った。

 

「やっても、やらなくても――結果は、同じだ!」

 

 掠れた声。

 

 泣きそうな瞳には、それでも消えぬ闘志が宿る。

 言葉の意味こそ測りかねたが、「退く気はない」という意志だけは痛いほど伝わってきた。

 

(この速さなら、逃げ切るのは難しくないが……)

 

 屋根の上で、細い影が獣のように跳ねた。

 子供とは思えぬ俊敏さで、巨体のアドガードへと再び肉薄する。

 シャルンもまた、アドガードを無視してリリメルを仕留めるのは不可能だと悟ったのだろう。

 

 アドガードは、シャルンの小さな拳を掌で受け止めた。弱々しい力。

 

 (こんなガキを身代わりに戦わせるとはな……)

 

 アドガードは握った拳を遠心力で振り回し、シャルンを高く放り投げる。

 少年は空中で体勢を立て直し、足から着地した。

 力はまだ弱いが、獣人らしい軽やかな身のこなしだ。

 

「結果ってなんだ?」

 

 アドガードの問いに、シャルンは獣らしく毛を逆立てて威嚇する。再び跳躍の構えをとった。

 

「逃げたって、この鎖で締め殺される。俺はそんな獣人(なかま)を何人も見てきたんだ!」

 

 シャルンの小さな体が宙を舞う。

 

「この国じゃ何人獣人(じゅうじん)を殺しても罪には問われないんだ!!」

 

 小さな爪がアドガードの腕に刺さる。

 滴る血を気にする様子もなく、ただ淡々と、しかし憐れみさえ含んだ眼差しで少年を見るアドガード。

 小さく息を吐き、「そうか……」と感情のない声で返す。

 

 腕を振るってまたシャルンを遠ざける。

 

「アドガードさん! 怪我はさせないでくださいね」

 

 戦場には似つかわしくない朗らかな笑顔で、リリメルが声を張った。

 アドガードは「それが一番難しい注文だ」と言いたい気持ちを飲み込む。

 

「すみません、看守さん。出所の手続きって、これで最後ですか?」

 

 背後で腰を抜かしていた看守が、はっとして頷く。

 

 リリメルの白いブーツに、鮮やかな翠輝(すいき)法術陣(ほうじゅつじん)が浮かび上がる。

 彼女はそのまま、透明な階段を登るように宙へと歩み出した。

 

「下の様子を見てきます。少し待っていてくださいね」

 

 まるで平坦な道を歩くように、彼女は空中を散歩して中庭へと降りていく。

 建物から少し距離をとった空中から、先ほどの廊下を覗き込んでみる。

 が、そこにグリンドの姿はなかった。

 首を何度か動かして探してみるが、そもそも直線に伸びた廊下で、隠れる場所があるとは思えない。

 

 屋上へ戻ると、アドガードがまるで師範のように、片手でシャルンの攻撃をいなしている。

 

「おぉ~、すごいですね!」

 

 感嘆の声とともに送られた拍手に、アドガードの呆れた視線が注がれる。

 

 リリメルはシャルンの首から伸びる鎖に目を向けた。

 それは、中庭とは反対の出入口へと長く伸びている。

 

(絡まりもせず、どこまでも伸びる……。この鎖が、あの男の法術なのでしょうね)

 

 空中を歩きながら鎖を辿っていくと、建物の死角から突然、もう一人の子供・ミュラが飛び出してきた。

 鋭い蹴りは、リリメルの鼻先を紙一重でかすめる。

 

「パチパチパチ」

 

 またも場違いな拍手を送るリリメル。

 下からは、苛立ったグリンドが爪を噛み砕く音を響かせた。

 

「――ちっ、外したか」

 

 奇襲に失敗したミュラの鎖が、グリンドの手によって強く引かれる。

 ミュラは無残に地面へと叩きつけられた。

 鈍い音とともに苦痛で悶絶する。

 

 グリンドはその顔面を、力任せに踏みにじる。

 

「お前らみたいな穢れた獣を上手く使ってやってるんだ……せめて期待に応えてくれよ、なぁ?」

 

 刹那。

 グリンドの背筋に冷たい戦慄が走った。

 

 ハッとして上を向くと、リリメルが冷徹な眼差しで、彼を真上から見下ろしていた。

 

 蛇に睨まれた蛙。

 グリンドは、指一本動かすことすら許されない、そんな感覚に陥る。

 額からは脂汗が流れ、肺が凍り付いたように息ができない。

 グリンドはその場に腰を抜かし震えていた。

 

 リリメルは何も言わず、ただふわりと微笑む。

 その慈愛に満ちた笑顔こそが、グリンドの恐怖に拍車をかけた。

 

 身を翻して、看守の元へしばしの空中散歩を続けた。

 

「大丈夫でしたか?」

 

「はぁ……まぁ、なんとか……」

 

 リリメルは身に纏っていた翡翠色の石――『宝珠(ほうじゅつ)』を一つ外し、看守の手に握らせた。

 

「はい、これを」

 

 胸元の宝石が光り、彼女の足元に小さな法術陣(ほうじゅつじん)が二つ展開される。

 その一つから、複雑な紋様が描かれた一枚の紙が現れた。

 

「これは結界の法術陣です」

 

 その紙を、掌の宝珠(ほうじゅ)の上に重ねる。

 

「この後、私とアドガードさんで敵を引きつけます。もし万が一失敗したら、その宝珠と結界を使って逃げ切ってください」

 

 看守は呆然と宝珠を見つめた。

 深い翡翠色に染まったその石は、間違いなく一級品だ。

 法力(ほうりょく)の使えない者でもこれがあれば法術(ほうじゅ)を起動できるが、庶民にはなかなか高価なものである。

 

「も……持ち合わせがありませんが?」

 

 看守の言葉に、リリメルは思わず笑顔を浮かべる。

 そして、震える看守の手を優しく握りしめる。

 

「巻き込んでしまったお詫びですから。必ず、逃げ切ってくださいね」

 

 それだけ言い残し、リリメルはアドガードの隣へと並び立った。

 

「アドガードさん、逃げますよ!」

 

 満面の笑み。

 アドガードは大きなため息を吐き出すと、三度(みたび)シャルンを遠くへ放り投げた。

 

 リリメルを抱え、空へと跳躍する。

 一跳びで屋上から門柱へ。

 

 リリメルが歓声を上げる。

 しかし、その目はアドガードの肩越しに追手の動きを確認した。

 

 シャルンが屋上から飛び降り、その後をグリンドが追いかけてくる。

 

(とりあえずは、目論見通りですね)

 

 アドガードが門柱から飛び降りたその真下。

 

 そこには、大きな荷物を抱えた一人の女性が佇んでいた。

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