003 刺客…グリンド
重厚な石の扉が、地鳴りのような音を立てて開いた。
いきなり飛び込んできたまばゆさに、アドガードは目を閉じる。
掌で日差しを遮りながら、痛む目をゆっくりと開いた。
八十年間、閉じ込められた暗い牢から、今一歩踏み出す……
――はずだった。
「ここは、牢……?」
リリメルの驚きを含んだ小さな囁きが耳を打つ。
眼前に広がったのは、先ほどまでいた場所と変わらぬ、冷たい鉄格子だった。
格子は扉を中心に、逃げ場を塞ぐように「コの字型」に囲んでいる。
外側に立つ看守へと、リリメルが詰め寄った。
看守は決まり悪そうに頭をかく。
「普通の刑務所なら、囚人を出す前に縛りを確認するんですがね。千年刑務所だけはそうもいきません。下の牢が開くと、自動的に上でこの『検問檻』が降りる仕組みなんですよ」
看守は「まあ、よく見落とされるんですよね」と付け足し、手元の誓約書を指差した。
最後の一行。
そこには事務的な文字で、『ただし、千年刑務所では解放後、検問檻にて縛りの確認を行う』という一文が付け加えられている。
どうやら、この少女は肝心なところを完全に見落としていたらしい。
「あはは……」と気まずそうに笑うリリメルを、アドガードは冷めた目で見やった。
看守が事務的に告げる。
「では、拘束の確認をお願いします」
リリメルは気を取り直したように、深く息を吸い込んだ。
「――『錘下』」
短く口にされた瞬間、鮮烈な翠輝が二人を包み込んだ。
――刹那。
文字通り「天」が落ちてきたかのような重圧が、アドガードの全身にのしかかる。
骨が軋み、肺が潰されそうになるほどの絶対的な質量。
ドンッ――!
アドガードの巨体が床に叩きつけられ、石畳が激しく振動した。
四肢を突っ張り耐えようとするが、指先一つ動かせない。
床は巨大な重みに耐えきれず、アドガードを中心にクモの巣状の亀裂が走った。
「か、解除してください!」
看守の悲鳴に近い叫びが廊下に木霊する。
「……解……っ!」
苦しげな声が漏れた瞬間、重圧が霧散した。
アドガードはハッと息をつき、先ほどリリメルに刻まれた腕の小さな法術陣を見つめた。
(……こんなもので、ここまでの力が発揮できるのか)
隣で法術を行使する姿を長い間見てきたが、自身が受けて初めて、その力の異質さを悟った。
――ガチャガチャ、ガチン!
慌てた看守が手荒に操作し、ようやく鉄格子が床下へと沈んでいく。
看守を目で追うと、隣でリリメルまでがなぜか床に倒れ込んでいた。
状況が理解できないアドガードの前で、看守が慌ててリリメルを抱き起こす。
「なんであんたまで術にかかってるんですか! 囚人だけでいいって誓約書に書いてあったでしょ!?」
(……術に?)
アドガードは自分の腕をもう一度見てから、リリメルを確認した。
確かに、その細い腕にも自分と同じ法術陣が刻まれている。
「これから一緒に旅をする仲間ですから、一方的な縛りなんて良くないですよ!」
リリメルは額から血を流しながら、なぜか得意げに親指を立てた。
「いや、法術の『縛り』ってのは、囚人を抑えつけるもんでしょうが! 自分に繋いでどうすんの! あんたが死んだら術が解けて、アドガードが野に放たれちゃうでしょ!?」
「その点は、対策済みです!」
言い切った次の瞬間、おでこの傷口から血液がピューッと噴き出した。
「うわあああ! 命軽すぎ! 早く止血しろおぉ!」
あまりのお粗末さに、アドガードは呆れて口が塞がらなかった。
(……まるっきり子供だな)
この同行、少し後悔し始めている自分がいた。
「いやあ……思ったより圧力が強かったですね。もう少し調整します」
目にかかる血を無造作に拭う。
満足げに笑う彼女に、看守は引きつった顔でアドガードを指差した。
「いや、これ以上軽くしたら、あっちは動けそうでしたよ」
「え、えええ!!」
どうやら獣人との力差を甘く見ていたらしい。
そもそも体格だけでも十分に違いがわかるだろう!とツッコミを入れたくなる。
代わりに、右目の下がピクピクと痙攣した。
驚愕したリリメルの目が「化け物」と言っているようで、ムッとする。
アドガードは全力で眉間に力を入れながら、馬鹿にした顔で返した。
そんな二人の間に、看守が割って入った。
「……あんたが、自分の術を解除すればいいんですよ!」
リリメルが立ち上がると、不思議なことに血はいつの間にか止まっていた。
「運命共同体ですから。でも、アドガードさんが言うことを聞いてくれないと、今度は私が本当に死んじゃいますからね? 勝手しないでくださいよ」
「いや、死んだらダメなんですよ!」
看守の鋭いツッコミが飛んだ、その時だった。
――ジャラン……。
耳障りな金属音が廊下の奥から響き、アドガードの耳を打った。
アドガードは即座に表情を強張らせ、無言でリリメルと看守を庇うように前に出る。
通路の奥、闇の中から鎖を引きずる不快な音が近づいてくる。
ギィ……、ギィ……。
やがて現れたのは、痩せぎすの男だった。
緑がかった黒髪を撫でつけ、下卑た笑みを浮かべている。
その手には、三本の太い鎖。
――鎖の先には、二人の子供が繋がれていた。
一人は金色の毛並みを持つ獅子族の少年。
もう一人は薄茶色の耳を持つ兎族の少女。
裸足の身体には青黒い痣が浮き、怯えた瞳で助けを乞うように震えている。
「ははは……本当だったんだ? あのアドガードを連れ出そうなんて物好きがいるなんてさぁ……」
男――グリンドが、不揃いな歯を剥き出しにして笑う。
「私はグリンド。風聖の教徒だ。……ちょっとした『違反』で、随人申請ができなくなってね。だから、君から奪うことにしたんだよ」
鎖が引き絞られ、子供たちが苦しげな呻きを上げる。
その音を聞くたび、グリンドは恍惚とした表情を浮かべた。
アドガードの瞳が、冷徹な青い光を放つ。
その凄まじい威圧感に、グリンドがたじろいだ。
「す、凄んでも無駄だよぉ……」
唇を震わせながら、男は虚勢を張る。
「外に出られたなら、あんたにも『縛り』がかかってるはずだ。教徒の命令には逆らえないんだろ?」
廊下の空気が凍りつく。
看守すら恐怖で動けなくなる中、背後からリリメルがアドガードの袖をそっと掴んだ。
「……落ち着いてください」
彼女の視線の先には、緊張でさらに締め上げられる子供たちの姿。
アドガードは短く息を吐き、戦闘態勢を解いた。
それだけで、廊下の温度が数度上がったように感じられた。
「どうするつもりだ?」
アドガードの問いに、リリメルは場を冷静に見渡した。
「隙があれば、逃げましょう」
予想外の答えにアドガードは目を見開いたが、すぐに短く頷いた。
「お前の出番だ! さっさと立ち上がれ、出来損ない!」
グリンドが吠え、蹴り飛ばされた獅子族の少年――シャルンが、床を転がってアドガードの前へと突き出された。
「う、うぐっ……」
首の鎖を引かれ、涙を溜めながら立ち上がった少年は、まだ十歳ほどにしか見えない。
胃の奥で煮えくり返るような怒りが湧き立つ。
「狙うのは教徒だ。アイツが死ねばアドガードは俺のものだ。看守が邪魔なら先に始末しろ!」
少年は覚悟を決めたように涙を拭った。
震えは、もう止まっている。
「アドガードさん。攻撃が来たら一度、躱して逃げましょう。できるだけ、相手の体勢を崩す感じで……!」
アドガードが頷くと同時。
シャルンの鋭い爪が、空を裂いて閃いた。




