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048 教育の危うさ


 オリバーが連れてきたのは、路地裏の小さな食堂で、中からは肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。

 アドガードの喉が鳴るのを、リリメルは聞き逃さなかった。

 

「庶民的なところが好きなんですね」

 

「苦手か?」

 

「いえ!この前の酒場もとても美味しかったです」

 

「そうだろ?」

 

 オリバーの口角がほんのり上がる。

 

「マナーだのなんだの言われると、食った気がしなくなるんだよな」

 

 風聖(ふうせい)の師団長とは思えぬ発言に、リリメルは好感が持てた。

 飾り立てないのは自信がある証拠かもしれない。

 

 昼食にはまだ少し早い時間ではあったが、店内は熱気に包まれていた。

 

 カウンターから漂う肉の匂いに、リリメルも思わず唾を飲み込む。

 思わず引き寄せられる香りだった。

 

 席に着いて間もなく、言葉を挟む間もなく、鉄板で豪快に焼かれた肉が三人の前にどんと置かれる。

 

「この店はこの一品だけなんだよ」

 

 オリバーは自分の皿をアドガードへと滑らせる。

 

「食っていいぞ」

 

 その言葉にアドガードの目が輝き、即座にかぶりついた。

 これは俺のものだと、言わんばかりの勢いにリリメルから苦笑いが漏れる。

 二人が美味しそうに食事を口に運ぶのを眺め、オリバーは目の前の水をひと口飲み込んだ。

 

「ハルヴィンは逃げおおせたよ」

 

 オリバーは淡々と告げた。

 その横顔からは感情を読み取ることができない。

 

 リリメルはフォークを止め、料理から視線を上げた。

 

「あの後、崩れた地下通路を地上から追ってみたが、ハルヴィンは見つからなかった。通路は南の森の方まで続いててな、今日中には捜索隊が編成されるだろう」

 

「捕まったらどうなるんです?」

 

夜灯落(やとうお)ちは即死刑だ。

 見つけ次第、風衛兵(ふうえいへい)によって処分される。言い逃れの余地はない」

 

 諦めと後悔が混じる乾いた声。

 オリバーは肘をついたまま、水の入ったコップの口を指先で撫でる。


「ずいぶん厳しいのですね」

 

 オリバーが「そうだな」と短く呟いて視線を逸らす。

 リリメルは未だ肉を頬張るアドガードに一瞬視線を向け、言葉を続けた。

 

夜灯(やとう)には、鳥聖(ちょうせい)華聖(かせい)、それに中立国民、獣人までいると聞きました。ただ夜灯(やとう)に属するだけで死刑なんて、聞いたことありません」

 

 オリバーは深く頷き、重たい口を開く。

 

夜灯(やとう)の幹部構成を知ってるか?」

 

「いえ」

 

「幹部は筆頭を含めて八人。内、三人――宵人(よいと)黒宵(こよい)灯影(とうえい)、そいつらは元“十聖家(じゅっせいけ)”のご子弟だ」

 

十聖家(じゅっせいけ)夜灯(やとう)に属していたのですか?」

 

 リリメルは問いかけながら、オリバーがこれまでとは違い、慎重に言葉を選びつつも込み入った事情を語ってくれていることに気付いた。

 

「そうだ。そして、その三人の家庭教師を務めていたのが、夜灯(やとう)の創設者であり筆頭の(さく)だ」

 

 疑問になっていたことが、繋がり始めた。

 

「ハルヴィンが、どこまでその思想を子供たちに植えつけてたかは知らないが、教育者を選別するのは理に適ってると俺は思ってる」

 

 リリメルは息を飲む。

 

「その三人は……今?」

 

「逃げおおせたよ。(さく)は頭が切れる。そうそう尻尾は出さないさ」

 

 オリバーは、わずかに眉を寄せた。

 

「ただ離反者を出した十聖家(じゅっせいけ)は——

 どの家も家格を剥奪され、失墜した。

 今もその尻拭いに苦しんでいるらしい」

 

 ふと、リリメルの脳裏にセラの顔が浮かぶ。

 ――なぜ、今日セラが居ないことを、オリバーは知っていたのだろうか。


 


 食事を終えると、オリバーに案内されてリリメルとアドガードは農地へと再び向かう。

 

 光を浴びた田畑は、ただ静かに、そして几帳面に整然と広がる。

 農夫たちは、変わらず腰をかがめ、日の出からの時間を惜しむかのように忙しく働いていた。

 決して追い立てられているものではなく、活気に満ちたリズムを刻んでいる。

 

 リリメルは不意に胸の奥にツンとした痛みが走るのを感じた。

 カルディナに来て何度も眺めた光景が、今日は違って見える。

 

「美しいですね」

 

 思わずこぼれた言葉に、自分が感動していたのだと気づく。

 オリバーは立ち止まり、まっすぐと農地を見つめたまま尋ねた。

 

「リリメル、あんたの目には、この人たちが可哀想に見えるか?」

 

 思いがけない質問に、リリメルは目を瞬いて再び視線を農夫たちに向けた。

 服は泥に汚れ、額には汗が滲んでいる。

 それでも、その顔には疲弊よりも、太陽のように健康的な充実感が浮かんでいた。

 

 子供たちもまた、重そうな籠を運び、大人たちを真似て懸命に自分の役目をこなしている。

 彼らは強制されているのではなく、自らの意思で、この大地と生きている。

 

「いいえ」

「そうだよな」


 オリバーはそう呟くと、以前訪れたマルタの小屋まで、黙って歩く。

 マルタは小屋の前で農具の整理をしていた。


 オリバーが軽く声をかけると、マルタは向日葵みたいに笑う。

 

「あらぁ、久しぶりだねぇオリバー。そっちはこの前来てくれた娘っこたちだねぇ」

 

 間の長い、ゆっくりとした話し方に、リリメルの顔にも自然と笑みが綻ぶ。

 

「久しぶりだな、マルタ。仕事はどうだ?」

「順調だよぉ。今年は気候が安定してるからいいのがたくさん穫れてねぇ」

 

 マルタは額の汗を、泥のついた作業着の裾で豪快に拭う。

 そのせいで、紅潮した頬に泥の線が一本増えた。

 

 彼女は逆にオリバーの様子を値踏みするように目を細める。

 

「あんたの方はどうなのさぁ。ずいぶん立派になったって聞いたよぉ」

 

「ボチボチだな……」

「なんだよぉ。しっかりしなよぉ」

 

 マルタは笑いながら、力強くオリバーの背中を叩いた。

 予期せぬ衝撃に、オリバーは前屈みに倒れそうになり、苦笑いを浮かべながら体勢を立て直す。

 

「忙しいところ申し訳ないが、少し話を聞かせてくれないか?」

 

 オリバーは、親指でリリメルと、無言で立つアドガードの方を指す。

 

「仕方ないねぇ。茶でも飲んでいきな」

 

 マルタはにこにこ笑いながら、近くにある小さな木造の小屋に案内してくれた。

 土の匂いが染み込んだ小屋の中、小上がりにある古い木製の机を挟んで座る。

 彼女はお茶を用意しながら、一冊の帳簿をその机の上に置いた。

 それは以前セラと書き直した帳簿だった。


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