047 長い夜の終わり
「ところで——」
短い沈黙の後、リリメルが試すように口を開く。
「ハルヴィンさんの宿に私たちを紹介したのは、何か思惑があったのですか?」
問いかけの調子は柔らかいが、視線だけが笑っていない。
オリバーは煙草を咥えたまま、肩をすくめた。
「たまたまだよ」
「なるほど、たまたま……と」
リリメルは口角を僅かに上げる。
再び沈黙が部屋を支配した。
だが、そこに気まずさはなく、ポーカーでもやっているような心地よい緊張が漂った。
やがてオリバーが唇の端を上げる。
「明日、余裕があれば——セラを連れずに農地に行ってみろ。面白い話が聞ける」
「では、その時はぜひオリバーさんもご一緒に」
リリメルがにっこりと笑い、オリバーもまた、薄く笑って応じる。
次第に緊張がほどけ、どちらからともなく笑い声がこぼれた。
探り合いの最中に生まれる、奇妙な共犯めいたおかしさだった。
その時、治療を受けていた男女の喉がかすかに鳴る。
やがて二人は苦しげに咳き込み、血を少し吐き出すと、薄く目を開いた。
リリメルは息をつき、肩の力が抜けていく。
いくらリリメルと言えど、死んだ人を生き返らせることは叶わない。
静かな空気の中、隣でオリバーが火をつけ損ねたタを咥えたまま、ただじっと、窓の外の光を見つめていた。
風衛兵が駆け付け、リリメルとオリバーが外へ出ると、遠くから子供たちの明るい笑い声が響く。
遠くの灯が風に揺れ、崩れた瓦礫の影がゆらりと伸びる。
その影からアドガードが、息を切らせて戻ってきた。
背中の子供たちは、泥と草の匂いが混じり、体中に疲れを滲ませている。
それでも、彼の背から飛び降りた子供たちは無邪気に笑い、両親の元へ駆け寄った。
泣き叫びながら駆け出した時とは別人のように、子供たちの頬には赤みがさしていた。
「お母さん!お父さん!聞いて!すっごく速く走ったんだよ!」
「建物の上をね!ぴょーんって!すごかったの!」
途切れ途切れの報告を聞きながら、両親の顔に安堵の色が広がっていく。
涙と笑顔が入り混じるその光景に、リリメルも胸の奥が温かくなった。
リリメルの横をイェルドが風衛兵に連行されていく。
そんな様子を視線で追いながら、玄関先に丸まったアドガードへと声をかけた。
「ずいぶん時間がかかりましたね」
アドガードは息を整えながら短く答える。
「犯人を追う方が、まだ楽だ」
ぶっきらぼうな言葉とは反対に、尻尾の先が小さく揺れている。
リリメルから小さく笑い声が漏れた。
睨みつけるアドガードからわざとらしく視線を外し、オリバーの背中を追う。
オリバーは風衛兵に細やかな指示を出している。
一通り指示し終えると、オリバーがリリメルたちのもとに戻ってきた。
「今日は助かった。あとは俺たちがやるからゆっくり休んでくれ」
穏やかな口調に軽く会釈する。
オリバーらしい敬意の表し方だとリリメルは思う。
オリバーや他の風衛兵に軽く頭を下げ、夜風の吹く通りを並んで歩いた。
宿の前に着くと、二人は靴や外套にこびりついた泥と埃を払い落とす。
まだまだ外は寒く、震えながら扉を開けると、中から温かな風が迎えてくれた。
長い夜が終わった。
――その晩、二人は言葉少なにベッドへ倒れ込む。
外では風が鳴り、遠くで鐘の音が二回、静かに響いていた。
翌日――。
リリメルが目を覚ましたのは、すっかり日が高く昇った昼下がりだった。
ぼんやりした視界に木漏れ日の光が揺れて、心地よい眠気がまだ体に残っている。
ベッドの上で、両腕をぐっと伸ばして大きく背伸びをする。
「ふぁぁ、よく寝ましたねぇ」
数回深呼吸をして、ようやく昨日の出来事を思い出した。
隣に寝ていたはずのアドガードの姿がない。
(散歩にでも行ったのでしょうか?)
欠伸を噛み殺しながらもう一度伸びをすると、昨日のオリバーの言葉が頭をよぎった。
――セラを連れずに農地へ行ってみるといい――
(あれはいったい、どういう意味だったのだろう?)
そんなことを考えながら、身支度を整えていると――。
部屋の扉が開く。
目が合った相手はアドガード。
次の瞬間、彼の表情が固まる。
「……っ!!」
扉が、鼓膜を震わせるほどの音を立てて閉まった。
「着替える時は鍵をかけろ!!!」
扉越しに怒鳴り声が響く。
(なぜ私が怒られているんでしょう……?)
理不尽に思いつつも、ここで言い返しても仕方がないので、「すみません」とだけ笑ってごまかした。
しばらくして着替えを終え、扉を開けると、案の定アドガードは腕を組んで不機嫌そうに立っている。
「すみません」
全く悪いと思ってはいないが、とりあえずもう一度、軽く頭を下げておいた。
「下にオリバーが来てるぞ」
「そうですか。それより、お腹空きましたね」
わざとらしく溜息をつくアドガード。
そんな溜息など気にしないリリメルは、軽やかな足取りで階段を下りていった。
「おはようございます」
玄関先、薄く煙を漂わせながら煙草をふかしていたオリバーに、リリメルが元気よく声をかける。
「よぉ、相変わらず元気だな、お嬢ちゃん」
オリバーは苦笑いして、煙草の火を消した。
「今日は風衛兵の制服じゃないんですね」
「非番だからな。……飯は食ったのか」
「いえ、先に食べてきてもいいですか」
その瞬間、オリバーの瞳にわずかに影が射した。
「今、セラが居ないから宿では食えねぇよ。……ご馳走する」
短く言い捨てるようにして歩き出す。
その背中は、どこか頼りなげに傾いて見えた。
路地を曲がると、昨日地下通路が落ちた辺りに、『進入禁止』と書かれた札が立っていた。
倒れた柵、焦げ跡、慌ただしさの余韻が街のあちこちに残っている。
それでも行き交う人々は、何事もなかったかのようにコーヒーを片手に、変わらぬ日常を過ごしていた。
街で起きた異変も居なくなった住民も、きっとこの街の人々には関係ない。
リリメルは、冷ややかな平穏をただ見つめていた。




