046 確保完了
「見逃すと言え!言わねぇならガキを殺してオレも死ぬぞ!」
イェルドの声がヒステリックにこだました。
腕の中の少女の体が、遠くからでもわかるほど震えている。
「落ち着け、互いに最善の答えを探そうじゃないか」
「最善は今すぐ見逃すこと、最悪は全員ここでオレと死ぬことだ!」
イェルドは金切り声を上げ、オリバーを睨みつける。
そのたびにボーガンが大きく揺れ動き、カチカチと嫌な音を響かせた。
今にも暴発しそうだ。
オリバーとイェルドの問答を横目に、リリメルは室内の様子を静かに観察する。
男女が二人、腹部を深く刺されて倒れていた。
さらに反対側の奥には、縄で縛られたまま動けずにいる少年の姿があった。
外は遮るもののない田畑。
アドガードも不用意に動けず、泥にまみれたまま窓の方へと向けて、低く唸り声を漏らしている。
その様子を見たリリメルの瞳に、ふとひらめきが宿る。
彼女はそっと降下し、アドガードのすぐそばまで近づくと、小さな声で囁いた。
「もしかしたら、アドガードさんはあまり警戒されていないかもしれません」
そう言ってリリメルは、唇の前に指を立て、イェルドへと視線を向けた。
アドガードは息を飲み、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「私がしばらく引きつけます。その間に、裏手へ回れるか、試してください」
アドガードがわずかに頷くと、リリメルは羽音もなく再び空中へ舞い上がった。
イェルドの視線を慎重に追うアドガードは、すぐに確信する。
——確かに、男の注意はオリバーとリリメルの間を往復しており、こちらには一切向いていない。
リリメルが胸元の宝石に手をかけると、翡翠色の光が宝石と掌を繋げ、そこから弓と矢が姿を現した。
その瞬間、イェルドの視線は完全にリリメルへと吸い寄せられる。
リリメルの弓が翠輝を纏う。
アドガードは姿勢を低く保ちながら、草を踏み分ける音すら立てぬよう、獣らしく滑るように歩みを進める。
オリバーはその様子を目の端で捉え、わざと大げさな声を張り上げた。
「おいおい、リリメル教徒!人質がいるんだ、下手な真似はやめてくれ!」
その言葉に、リリメルもすぐに調子を合わせる。
わざとらしく口元を歪め、挑発するように弓を引き絞る。
「このまま時間をかけても、被害者が増えるだけですよ」
イェルドの額から汗が一筋、こめかみを伝って落ちる。
オリバーはその間に、エヴァンを掌に収まる小型のものへとすり替えた。
相手に悟られぬよう、ゆっくりと手の角度を変え、さらに言葉を重ねる。
「だからって……罪のない子供が傷つくところは、見たくないんだ!」
「子供には、当てませんからご安心を」
リリメルの静かな声に、イェルドの焦燥が頂点に達する。
「やめろっ!!」
耐えきれなくなったイェルドが、半狂乱でボーガンの引き金を絞った。
鈍い音とともに放たれた矢は、狙いも定まらずリリメルを大きく逸れて闇夜に消える。
同時に、重い弦が跳ねる強烈な反動が、素人の細い腕を無様に後ろへと突き飛ばした。
その一瞬の隙を、オリバーは見逃さない。
掌のエヴァンが閃光を放ち、弾丸がイェルドの右手の甲を正確に撃ち抜いた。
「ぐあっ!!」
悲鳴とともにイェルドの体が大きく仰け反り、腕を振り払った勢いで、少女が床に転げ落ちる。
同時に、別の窓を突き破ってアドガードが家の中へと飛び込んだ。
巨大な影が一瞬でイェルドにのしかかる。
床板が軋み、狼の爪が木を抉る。
イェルドが反射的に抵抗しようとするが、分厚い毛並みの下にある筋肉が岩のように動き、頭ごと床に押しつけられた。
牙をむき出し、唸り声をあげるアドガードの気迫は、子供を襲うような卑怯者の戦意を喪失させた。
鋭い牙の間から漏れる吐息がイェルドの顔に吹きかけられるたびに、涙と鼻水を垂らし体を震わせる。
その様子を見るとリリメルの弓が翠輝を纏い、霧散する。
オリバーも銃口を下げて、革ベルトの中へと片付けた。
二人は同時に大きく息を吐き、小屋へと歩みを進める。
「いい演技だったぞ」
オリバーの一言に、リリメルは頼りなく笑った。
瓦礫と血の匂いがまだ残る室内へ、二人はゆっくりと足を踏み入れた。
家の中では、イェルドの呻き声と、子供たちのすすり泣きが交じり合っていた。
リリメルはすぐに倒れている男女のもとへ駆け寄り、そっと脈を取る。
顔色を見て、まだかすかに息があるのを確認すると、胸元の宝石を撫でて回復法術の準備を整える。
オリバーは縛られていた子供を助け出し、その縄を使って今度はイェルドの手足を容赦なく縛りつけた。
逃げられないようにしっかりと結び目を固めると、そのまま男の背に腰を下ろす。
胸ポケットから煙草と手帳を取り出し、火をつけずに煙草を咥えながらページをめくる。
何かを書きつけると、それを破り取り、法術陣が描かれたページに重ねた。
小石ほどの宝珠をその上に置くと、翠輝が陣を走り、紙が鳥の形を成した。
オリバーが軽く息を吹くと、鳥はそのまま羽ばたいて窓の外へ飛び去る。
風衛兵用の連絡法術だ。
「そっちはどうだ?大丈夫そうか?」
オリバーがリリメルに声をかけたが、返ってきた表情は硬い。
「アドガードさん、子供たちを外へ連れ出せますか?」
リリメルの言葉に、アドガードは黙って頷き、二人の子供を順に背中へ乗せた。
「お母さん!お父さん!!」
泣き叫ぶ子供たちが落ちないように気を付けながら、アドガードはゆっくりと玄関を抜け、夜気の中へと消えていく。
静寂の戻った室内で、リリメルは二人の負傷者の上に法術陣を展開した。
翠輝が二人を包み込み、部屋に揺らめく影を作り出した。
しばらく、静寂が続く。
「アドガードに子供を任せても良かったのか?」
「問題ありません」
リリメルは膝の上で脈を取る手を止めずに、一切の迷いなく答えた。
「ずいぶん信頼してるんだな」
戒めるような声音。
リリメルは小さく息を吸い、オリバーに視線を移す。
火をつけていない煙草を指先で弄んでいる。
「オリバーさんこそ、心配なら止めていたのでは?」
微笑の奥に針を隠したように返した。
オリバーは眉をわずかに上げて、苦笑を零す。
「……その通りだ」
短い沈黙。
二人の間に漂う空気は、相手の手の内を明かしてやろうとする僅かな緊張感と、駆け引きを楽しむ気配が部屋を満たしていった。
視線がぶつかり、どちらからともなくわずかな笑みがこぼれる。




