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044 崩落


 閃光が視界を裂き、爆音が肺の奥を震わせた。

 

 灼けるような熱が押し寄せ、空気そのものが爆風で押しつぶされる。

 

 (もう、無理だ……)

 

 アドガードは咄嗟にオリバーに覆いかぶさり、目を強く閉じた。

 死の瞬間に備えた体は硬直し、来るはずの轟音を待つ。

 

 ——だが、痛みは訪れなかった。

 

 代わりに、熱風が静かに頬を撫でる。

 熱は遠ざかり、爆発音はまるで布越しに響いているように鈍い。

 

 おそるおそる目を開けると、翡翠色の光粒が空中を舞い、

 その中心にリリメルがいた。


 地面についた掌と足は泥で汚れ、指先に挟まれた小さな紙には法術陣(ほうじゅつじん)が記されている。

 吹き抜ける爆風が、金の髪を揺らし、花の香りが届いた。

 

「怪我はありませんか?」

 

 アドガードは言葉を失い、自分の身に起きた奇跡を見つめた。

 リリメルの背後では、崩れ落ちる粉塵の壁。

 彼女が発動した転送陣(てんそうじん)が、最後の瞬間に彼らをこの場所へ引き戻したのだ。

 

「アドガードさんが、トリヴァラで使った転送法術陣てんそうほうじゅつじんを持っていてくれて、助かりました」

 

 リリメルの頬はうっすらと汗に濡れている。

 それでも彼女は、息を整えるより先に二人の無事を確かめていた。

 

「助かった……」

 

 アドガードは息を荒げながらも、全身の力が抜けていくのを感じる。

 少し遅れて、呆然としたままのオリバーが我に返った。

 

「すまん。変なところ、見せちまったな」

 

 オリバーの顔にも声にも覇気はなく、頼りなく肩を落としている。

 

「無事で良かったです」

「しっかりしろよ」

 

 リリメルとアドガードの声が重なった。

 

 直後——ミシ、ミシ、と何かが軋む音が通路に響く。

 空気が一瞬で張り詰め、オリバーの瞳が鋭く光った。

 

「崩れる!走れ!!」

 

 叫ぶと同時に、背後から土煙と爆音が追いかけてくる。

 リリメルは咄嗟にランプをオリバーに投げ渡し、駆け出した。

 

 細い地下通路が、まるでドミノのように次々と崩れていく。

 瓦礫の破片が肩を掠め、土埃が喉を襲う。

 

 「乗れ!」

 

 アドガードが後ろ足で、リリメルの足を軽く払う。

 バランスを崩し、前のめりに転びかけたところを、掬い上げるようにアドガードの大きな背中が受け止める。

 

 リリメルを背に乗せたまま、アドガードはすぐにオリバーに追いつく。

 狭い通路を駆け抜けるたび、背後で木の柱が崩れ落ち地面が揺れる。

 

 後ろから迫る煙は、意思を持った獣のようにリリメルたちを追いかけて、喰らいつくように這い廻る。

 土埃に息が詰まりそうになったそのとき、暗闇の先に小さな光が瞬いた。

 

 オリバーとアドガードが順に出口から跳び出した。

 次の瞬間、背後で床が悲鳴を上げて崩れ落ちる。

 カウンターが支えを失い、リリメルたちの方へと崩れ落ちてきた。

 アドガードが足を踏み込み、崩れ落ちるカウンターを一蹴して、(かわ)した。

 

 天井すれすれの狭い空間で、彼は体を翻し反転した。

 瓦礫を避けながら、出入り口の扉を蹴り飛ばす。

 粉砕された扉の破片が、すぐ後ろにいたオリバーの頬を切り、白い制服に赤い染みが滲んだ。

 

 路上の小石を震わせながら、店の半分が地の底へと呑み込まれていく。

 舞い上がる粉塵の中、崩れ落ちた建物を振り返る。

 

 粉塵が次第に薄れ、ようやく夜気に触れた。

 肺に冷たい空気が一気に流れ込む。

 

 視界に広がるのは、騒然とした街の光景だった。

 地下通路が崩れた部分は地表ごと陥没し、石畳が裂けている。

 

 周辺の住民たちは寝巻き姿のまま外へ飛び出し、口々に「何事だ」「地震か?」とざわめいていた。

 その中へ、オリバーが真っ先に飛び込み、住民を押しとどめながら状況を説明する。

 

「落ち着いてくれ!地下が崩れた。周辺の住人は声を掛け合って避難してくれ」

 

 人々が動揺にざわめくなか、背後から場違いなほどのんびりした声がした。

 

「もふもふですねぇ」

 

 リリメルがアドガードの背中に顔をうずめ、ふかふかの毛に頬をすり寄せていた。

 

「やめろ!」

 

 アドガードが肩を震わせてリリメルを振り落とす。

 

「痛いですぅ」

 

 地面に尻もちをついたリリメルが涙目で訴えるが、アドガードは「そんな場合か!」と説教したい気持ちを視線に潜ませた。

 彼女は渋々立ち上がり、服の埃を払いながら辺りを見回した。

 オリバーは住民たちに短く指示を続けている。

 

「家に戻れない者は、風衛士団庁舎ふうえいしだんちょうしゃに避難してくれ!」

 

 事件を嗅ぎつけた数人の風衛兵(ふうえいへい)が、駆け寄ってくる。

 耳打ちされた報告に、オリバーの表情が鋭く引き締まる。

 

「そっちはオレが行く。避難誘導を頼む!」

 

 短く命じると、彼は足早にその場を離れた。


「行ってみましょうか?」

 

 騒然とする住民や風衛兵(ふうえいへい)のランプが、リリメルの影を揺らした。

 アドガードは短く息を吐き、耳を小さく揺らして立ち上がる。

 

(どうせ嫌がっても聞かないだろう)


 小さく溜息をついて、二人はオリバーを追いかける。

 

「どちらに行かれるんですか?」

 

 リリメルが問いかけると、オリバーは振り返って苦笑した。

 まるで『まだ着いてくる気か』とでも言いたげな、困ったような笑みだ。

 アドガードは密かにオリバーに同意する。

 

「まだ囚人が一人、捕まってない。そいつが、なかなか危険なやつなんだ」

「囚人?」

 

 アドガードがリリメルの方を見て、低く問い返す。

 

夜灯(やとう)が逃げる際、他の囚人の牢も開けたみたいですよ」

 

「子供ばかりを狙うやつでな。どこかの家にでも忍び込まれていたら、厄介だ」

 

 その言葉に、アドガードの耳がピクリと動いた。


 嫌な予感――数日前の記憶が蘇る。

 子供たちを眺めながら涎を垂らす気持ちの悪い音が脳裏をよぎった。

 

「……ハルヴィンの牢の横に収監されていたヤツか?」

 

 低く、押し殺すような声。

 オリバーが一瞬だけ目を細め、ため息まじりに答えた。

 

「あぁ、確かそうだったな」

 

 胸の奥にざわつくものを感じながら、アドガードは視線を逸らす。

 そのすぐ横で、オリバーが再び風衛兵(ふうえいへい)に呼び止められた。

 報告を受ける声が緊迫している。

 胸中がざわめいて待てそうにない。

 

「先に拘留所に行く」

 

 そう短く告げると、彼はすでに地面を蹴っていた。

 

「えっ、拘留所? なぜですか」

 

 リリメルの慌てた声を背に、月に向かって弾丸のように飛び上がる。

 風を切る音が、アドガードの姿を闇の向こうへ運んでいく。

 

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