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043 大義


 暗い通路に飛び降りると湿った地面に革靴が滑りそうになる。

 高さは二メートルほどで、暗く目を凝らしても先は見通せない。

 通路は一人通るのがやっとの幅で、濡れた壁を手探りで進む。

 後ろから二人分の足音が、水を跳ね上げて降り立った。


 直後、翠輝(すいき)が溢れて、すぐに暖色の光へと変わり、通路を照らし出す。

 

 白く細い腕がそのランプをオリバーへと差し出した。

 

「助かる」


 短く感謝を伝え、ランプを受け取る。

 オリバーの足元が照らされて、幾分歩くのが楽になった。

 通路は木の枠で一定間隔に補強されており、ところどころに釘が飛び出している。

 

 これは、明らかに「造られた」道だ。

 夜灯(やとう)の連中が秘密裏に使っている逃走路だと直感する。


 オリバーの胸がざわめいた。

 この先にどうかハルヴィンが居ないで欲しい。

 奥歯を強く噛み締める。

 

「ハルヴィンさんと、知り合いだったんですね」

 

 リリメルの問いに、オリバーは短く息を吐いた。

 この娘はどこまでわかっていて、ここまでついて来たのだろうか。

 そんなことが脳裏に浮かぶ。

 

「あぁ、ハルヴィンの宿はオレの実家のすぐそばでな、歳は離れてたが面倒見のいい人だった。昔から、世話になりっぱなしだ」


 掴みどころのない少女が少し間を置いて口を開く。

 

「それでは、今回のことは辛かったですね」

 

 リリメルが低く静かに発した声は、彼女なりの誠意なのかもしれない。

 濡れた地面がランプの光を受けて、鉱物のように艶めいた。

 

「ハルヴィンは教師になりたかったんだ。でも学術院の途中で父親が倒れて、長男だったハルヴィンが、他の兄弟を食わせるために学校を辞めて家業を継いだ。

 落ち着いた時にはとっくに十八を超えていたからな。夢を諦めざるを得なかった」


 ざわつきを押し込むように、唾を飲み込む。

 

 オリバーはランプの光を絶えず走らせ、小さな変化も見逃すまいと、暗い通路の先に目を凝らす。

 

 ときおり木片を踏んで鳴る軋んだ音が、誰かの足音にも聞こえ、その度にオリバーの歩みが速くなる。

 二人分の足音が水音を響かせながらついてくるが、オリバーに振り返る余裕はない。

 

 空気の流れない地下道は蒸し暑く、背中にじんわりと浮かんだ汗が服を体に(まと)わりつかせた。

 

 沈黙が長く続いたのち、オリバーの口が重たく開く。

 

「……もしかしたら、あの頃にはもう風聖(ふうせい)の戒律を恨んでいたのかもしれないな」


 どうして、自分は気付いてやれなかったのか、胸の奥に棘が刺さる。


(カーヴェインの時に、俺はあれほど後悔したのにな)


 ランプを握る手に爪が食い込んだ。

 痛みが罰のようにオリバーを責め立てる。

 

 リリメルもアドガードも何も言わなかった。


カラカラカラ

 

 沈黙の中、木同士がぶつかり合う高い音が狭い通路に響いた。

 

――反射的に走り出す。


 突き当たりの角を曲がると、薄闇の中に黒い羽織が二つ。

 背丈の低いほうが、振り返った。

 その瞬間、ランプの光が顔を照らしだす。

 

「――ハルヴィン!」

 

 叫ぶ声に応えるように、男は静かにフードを外した。

 けれど、その表情に見覚えのある温かさはない。

 

「違う」

 

 ハルヴィンの声は短く、鋭い。

 オリバーの息が詰まり、痛みが胸を刺した。

 

「なにを言ってるんだ?!こんなことをして、セラは、ミモナさんはどうするつもりなんだよ!」


 オリバーの声が狭い通路に何度も跳ね返る。

 ハルヴィンの口がゆっくりと開いた。


「私は夜灯(やとう)(アカツキ)。間違った世を正す、大義を掲げる者だ」

 

 ハルヴィン――いや、『暁』はまっすぐオリバーを見つめる。

 その瞳には、すでに迷いの一欠片もなかった。


 オリバーの顔に絶望と怒りが一度に押し寄せる。

 

「自分が、何を言っているのかわかってるのか!?」

 

 大股で詰め寄るオリバーの前に、鋭い金属の光が割り込んだ。

 霞夜(かや)(あかつき)の前に出て、長刀を構える。

 

「あかんよ、それ以上は近づかんといてなぁ」

 

 静かな声に、皮肉な笑みが混じる。

 オリバーは手の甲で刀身を払いながら吐き捨てた。

 

「その口調……鳥教徒(ちょうきょうと)か。その長刀じゃ、この狭い通路では役に立たねぇぞ」

 

「“元”やけどねぇ」


 霞夜(かや)がにやりと笑う。


 「だからこっちが本命」

 

 左手の中で、何かが黒く光った。

 床に落とされたそれを見た瞬間――


「引けッ!!」


 オリバーは叫び、リリメルとアドガードを角に押し込む。

 次の瞬間、閃光が通路を貫いた。

 光は一瞬で終息し、代わりに後ろから強い風が一箇所に向かう。

 出口が開かれた。

 

「待て!――待てよ、ハルヴィン!!」

 

 オリバーは眩む目を無理やり開いて跡を追った。

 その声は怒りから、次第に懇願へと変わっていく。

 

「なんでなんだよ……宿も、奥さんも、セラともちゃんとやってたじゃないか!」

 

 手探りで前へ進もうとするオリバー。

 リリメルもアドガードも閃光弾の影響でまだ動けずにいた。

 

 ハルヴィン――暁は梯子を登り、出口へと向かっていく。

 

「『大義』ってなんなんだよ!そんなもんが家族より大事なのか?!」

 

 その叫びに、(あかつき)が一瞬だけ手を止めた。

 薄明かりの中で、ゆっくりと振り返る――氷のように冷たい目だった。

 (あかつき)の指が真っ直ぐに、腰のエヴァンを指す。

 

「『風聖(ふうせい)の飼い犬』には、わからないさ」

 

 その言葉が刃のように胸を裂いた。

 オリバーは顔を歪め、叫ぶ。

 

「わかんねぇよ……!家族を捨ててまで、守らなきゃいけないもんがどこにあるんだよ!」

 

 (あかつき)は一度だけ鼻で笑い、再び上を向いた。

 息が詰まり、声が出ない。

 去り行くハルヴィンを捕まえることが自分の仕事だ。

 わかっているのに、足がピクリとも動かなかった。

 

 左手に握る小さな金属――それを足元に落とす。

 

「今度は本物やで。気ぃつけてな」

 

 金属が床を転がるが、オリバーは動かない。

 ただその小さな影を見つめた。

 

「……大義って、なんなんだよ」

 

 爆弾が光を放つ瞬間、アドガードがオリバーの首元に噛みつき、必死に後方へ引き倒す。

 

 爆音と同時に、翠輝(すいき)が爆炎を包み込むように走り、光と風と熱が、地下の通路をひと息に飲み込んだ。

 

 オリバーはただ背中にまとわりつく濡れた土の気持ち悪さに吐き気を覚えた。


 

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