034 子供とアドガード
子供たちの表情を確かめて安心したのか、セラが立ち上がる。
今度はアドガードへと視線を移し、ほんの一瞬、不思議そうに首を傾げた。
すぐに穏やかな表情を取り戻し、深々と頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
アドガードは気づかれないように、大きく息を吐き出した。
表情には出すまいと短く「問題ない」とだけ口にしたが、密かに語尾が震えた。
「お兄ちゃん、ここで何してるの?」
無邪気な声とともに、小さな体がアドガードの膝に飛び込んできた。
両腕を広げる間もなく膝の上に頭を擦り付けられる。
少しくすぐったいが、子供の無垢な笑顔を見れば悪い気はしない。
「……人を待ってる」
アドガードは怖がらせないようにと、なるべく優しい声を心がける。
そもそもそんな気遣いなど子供たちは気にもしておらず、お構いなしに、集まってきては珍しそうに覗き込み、口々に問いかけてきた。
「お兄ちゃんのお友達も捕まったの?」
「違う、面会に来てる、たぶん」
曖昧な言葉に、子供たちはおかしそうに膝の上を転げる。
自分とは全然違う生き物のようなのに、何故か心地よい。
子供たちと会話のようなモノをしていると、昨日と同じく肩を落としていたリリメルが廊下の影から現れた。
暗い表情はアドガードと子供たちの光景に気が付くと、途端に満面の笑顔になる。
いったい何がそんなに嬉しいのか、揶揄われているような居心地の悪さを感じる。
「その子たち、どうしたんですか?」
数人の子供が嬉しそうに彼女に駆け寄る。
リリメルはしゃがんで視線を合わせ、丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは」
澄んだ声に釣られるように、子供たちも揃って大きな声で「こんにちは!」と返す。
その無邪気なやり取りにアドガードは肩をすくめて「『先生』の面会らしい」とだけ説明した。
ちょうど、鐘の音が響いて十三時を告げる。
ほどなくして、エントランスの扉が力強く開き、一人の教徒らしき男が慌ただしく入ってきた。
詰所の扉を手続きのために開けると、入れ替わりにセラが姿を現す。
彼女の後ろには一人の看守が付き従っている。
セラはリリメルとアドガードに軽く会釈をしてから、柔らかく声をかけた。
「さあ、先生に会えるよ。みんな、いい子にしてね」
「はーい!」
元気な返事が小さなエントランスに響き渡る。
「あの、私もご一緒してもいいですか?邪魔はしませんから」
突然のリリメルからの要望に、セラと看守は一瞬視線を交わし、黙り込む。
(どうしてこいつはこうも、なんでもかんでも頭を突っ込まずにはいられないんだろうな)
アドガードの口から小さく溜息が漏れる。
看守が「規則上は問題ありません」と答えると、セラはアドガードにしたのと同じように少し首を傾げ、リリメルの姿を見つめた。
しばし考えたのち「どうぞ」と短く頷く。
「一緒に行きましょう!」
アドガードは腕を引っ張られ、子供たちの後ろに並ばされる。
石造りの階段を上がると、左手には細長い窓、右手には五つの牢が並ぶ廊下が続いていた。
吐息の数から三人は収監されていると分かる。
一番手前の鉄格子で子供たちの足が止まり、一斉に声を張り上げた。
「せんせー!」
その元気な叫び声に応えるように、牢の奥から人影がゆっくりと動く。
鉄格子の向こう、一番奥の椅子に腰かけていたのは、白髪交じりの初老の男だった。
丸い細フレームの眼鏡がよく似合い、知的で落ち着いた雰囲気をまとっている。
彼は子供たちの姿を認めると、椅子からゆっくりと立ち上がり、柔らかな笑みを浮かべて歩み寄った。
「皆さん、お元気でしたか。私がいなくても、ちゃんと勉強していますか?」
穏やかなのによく通る声だ。
子供たちは一斉に元気な返事をする。
”先生”は一人一人に視線を合わせ、丁寧に言葉を交わしていく。
その姿はどう見ても牢の中の囚人ではなく、教壇に立つ教師の姿そのものだった。
――ジャラ
子供たちが楽しげに会話をする中、鉄格子に鎖が擦れる不気味な音が、アドガードの鼓膜をわずかに震わせた。
廊下の奥──暗がりの中央から、荒い呼吸音が聞こえる。
「はぁ……はぁ……」
空の牢のさらに奥、捕らわれている男が、両手で格子をつかみ、顔を無理やり隙間に押し出していた。
血走った目を大きく見開き、舌なめずりをしながら子供たちを物色するように見つめていた。
よだれが顎を伝って床に滴り落ちる、不快な響きにアドガードが睨みつける。
その姿はとても知性のある生き物には見えない。
「……チッ」
アドガードはすぐに一歩前に出て、子供たちを庇うように背中で覆い隠す。
耳に届くのは、人間には聞こえないほど小さな呟き。
「どけぇ……」
「邪魔だぁ……」
唸るようなその声は、格子の向こうから絶え間なく漏れていた。
背後に視線を走らせた次の瞬間。
「――アドガード・ウィキです」
いきなり名前を呼ばれ弾かれたように、リリメルに意識を向ける。
和やかだった空気が一変したことに気がつき、アドガードの胸に冷たいものが流れた。
(あぁ、もうすっかり慣れていると思ってたんだけどな)
自分を見る子供たちの目に恐怖と警戒が宿り、セラの後ろに隠れて震えている。
膝の上の温もりが、慣れているはずの心を抉っていく。
「皆さん、いけません」
穏やかでありながらも、空気を切り裂くようなハルヴィンの声。
「私のことを思い出してみてください。皆さんは、私を怖いと思われますか?」
子供たちは一瞬顔を見合わせ、それから小さく首を横に振る。
「ですが、私は罪を犯した身です。裁きが下れば、正式に犯罪者として刑務所に収監されるでしょう。それなのに、なぜあなた方は私を怖がらないのでしょうか?」
問いかけに、子供たちは口々に答えた。
「だって先生は優しいから」
「先生は先生だもん」
男はゆっくりと頷く。
「そうです。あなた方が私を怖がらないのは、私のことを知っているからです」
その落ち着いた響きは、動揺を断ち切るように子供たちの心に届く。
まるでここはどこかの教室で、鉄格子があることがおかしいような気持ちにすらさせた。
ハルヴィンが子供たちの顔を見渡すと、今度はリリメルへと真っ直ぐに向き合う。
「私はハルヴィン・マレルと申します。カルディナで小さな宿屋を営んでおりました」
彼は鉄格子から右手を差し出し、リリメルへ握手を求めた。
リリメルがその手を取り、しっかりと握手を交わすと、今度はアドガードへも手が伸びる。
貴方はここに居ていいと、言われているようなその掌にアドガードの胸がざわめいた。
恐る恐る、その手を握る。
ハルヴィンの手はアドガードより随分と小さいが、迷うアドガードの手を力強く握り返した。
少し冷たい掌がアドガードの熱を奪っていく。
次の瞬間、子供たちの顔に安心の色が広がり、一斉にアドガードの足元に駆け寄ってきた。
「ごめんね!」
「さっき怖がっちゃった!」
無邪気な謝罪の声が重なり、冷たい拘留所の廊下が陽だまりのように感じる。
アドガードはむしろやりにくそうに頭をかき、短く答えた。
「……気にしてない」
自分でも驚くほど不器用でぶっきらぼうな声になっていた。
耳の先がじんわりと熱を帯びる。
誰にも悟られまいと視線を逸らすと、暗闇の先にケダモノと目が合った。
アドガードの青い瞳に睨まれて小さく悲鳴を上げた男が牢の奥へと姿を消した。




