表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
34/59

033 待機


 翌朝

 

 「さぁ、行きましょう。今日こそはカーヴェインさんとお話ししなくては!」

 

 朝日を背に、リリメルは勢いよく宿の扉を押し開ける。

 

 その背中を追いながら、アドガードは欠伸をひとつ。

 昨夜は寝つきが悪く、浅い眠りのまま朝を迎えてしまった。

 まだハッキリしない意識のまま、仕方なくリリメルの後ろをのんびりと歩き出す。

 

 街はすでに目覚め、石畳の通りを職場や学校に急ぐ人々が行き交っていた。

 

 カフェの軒先からは、焙煎(ばいせん)された豆の香ばしい香りが漂う。

 アドガードはこの嗅ぎ慣れない匂いが、どうにも苦手だった。

 他にもコーヒーを出す店はいくらでもあるというのに、なぜかその店にだけ、朝から奇妙な列ができている。

 それどころか、特定のロゴが入ったカップを片手に歩く人々の多さに、アドガードは首を傾げた。


 (一体何を買ってるんだろうな)

 

 気が付けば道は白く変わり、拘留所の質素な建物が見えてきた。

 時刻は午前八時。

 ちょうど正面玄関を開けに、昨日と同じ受付の女性事務員が姿を現した。

 

 「また来たのか」と言いたげに眉をひそめる彼女をよそに、リリメルは大股で中へ踏み込み、待合室に真っ直ぐ進む。

 

 女性がカウンターへ戻ると同時に、リリメルはさっそく声をかけた。

 

「カーヴェインさんの面会にキャンセルがあれば教えてください。私はここで待たせてもらいます!」

 

 きっぱりとした口調に、受付嬢の顔があからさまに歪む。

 

「必ず予約が空くとは限りませんよ?」

「もちろん、わかってます!」

 

 リリメルの声には、有無を言わさない力が宿っていた。

 事務員は根負けしたように、小さな紙片を小窓から差し出した。

 

「――はい。キャンセル待ち票、一番です」

「ありがとうございます!」

 

 リリメルは紙を宝物のように握りしめ、ロビーの隅に置かれたソファへ腰を下ろす。

 その時、扉が再び開き、男が一人入ってくる。

 立ち襟と留金の代わりに、複雑な紐細工のボタンがある独特な服装をしている。

 袖からはみ出した腕は膨れ上がり、繊細な刺繍は男の厚みに耐えるように横に広がり形を変えていた。

 見るからに鳥聖(ちょうせい)の教徒だ。

 

 男は一切迷うことなく受付へと歩み寄り、看守に案内されると、そのまま奥へと姿を消した。

 

(カーヴェインのような科学者を鳥教徒(ちょうきょうと)も欲しがったりするんだな)


 妙に感心しながら、屈強な背中を見送ると、隣から紙のしなる音が小さく響く。

 リリメルが唇を引き結び、キャンセル票を握り直していた。


 力を込めて白くなったリリメルの指先に目が留まった。

 誰かがカーヴェインを連れ出してしまえば、この時間は空虚に終わる。

 そんな風に感じているのかもしれない。

 

 天井のシミを数えながら時間が経つのを待つ。

 拘留所の冷たく、音のない時間はそんなに悪くなかった。


 不意に紙の擦れる音がする。

 リリメルがいつの間にか小さな本を取り出し読み耽っていた。

 翡翠色の瞳が文字を追い、真剣な表情が浮かぶ。

 こんな顔もできるんだなと、妙に感心した。

 

 アドガードの視線は開かれたページへと進む。

 その本は図解と数字、それに説明文が載っている。

 内容はよくわからなかったが、暇つぶしに覗いていると、すぐにリリメルが気付き顔を上げた。

 

「アドガードさんもなにか読みますか?」

 

「いや、俺は字は読めない」

 

「言ってましたね……」

 

 リリメルは思い出したように呟くと、きまり悪そうに視線を天井へ逸らし、また本へと戻した。

 

 アドガードは昨夜の寝不足と、この空白の時間に、瞼が重くなる。

 空気中に漂う埃が光の粒のように煌めくさまを眺めながら、リリメルに問いかけた。

 

「寝ててもいいか?」

 

 リリメルは本から顔を上げ、アドガードの顔を覗き込んでから首を傾げる。

 

「いいですよ、膝を貸しましょうか?」

 

 なぜか得意げに微笑み、自分の膝を軽く叩いて促した。

 

「いらない」

 

 アドガードは短く答え、壁に背を預けてゆっくり目を閉じた。

 薄暗い待合室に流れる、少し冷たい空気に身を沈めていく。



 まどろみの中、遠くから高い声が近づいてくる。

 アドガードの瞼に光が差し、意識がゆっくりと持ち上がっていく。

 

「おっきいねぇ!」

「ほんとだぁ、ねてるみたい」

「なんで?」

「わかんない!」


 声の主はすぐ目の前にいた。

 

 座るアドガードの膝に掌を置いて、数人の子供が覗き込む。

 大きな瞳をきらきらさせながら、まるで珍しい動物でも見つけたかのように取り囲んでいる。

 

 アドガードが大きく伸びをすると、子供たちは「ぶつかる!」と笑いながら小さく悲鳴を上げ、四方に逃げ回った。

 それでもすぐに戻ってきて、今度は一斉に「おはよう!」と声をかけてくる。

 

 その明るさに、アドガードは思わず目を瞬いた。

 カナの入れ知恵が効いたのか、囚人服を着ていない彼はただの通行人にしか見えないらしい。

 

「……おはよう。お前たちはこんな所に何しに来たんだ?」

 

 努めて穏やかな声を作って問いかけると、子供たちは嬉しそうに顔を見合わせ、口々に答えた。

 

「先生に会いにきたの!」

「先生?」

 

 アドガードが眉を寄せる。

 

「ここにいるのか?」

 

 子供たちは互いに視線を交わし、やがて三つ編みのおさげを揺らした少女が一歩前へ出た。

 どうやら代表に選ばれたらしい。

 

「そうだよ。ずっと、わたしたちに勉強を教えてくれてた先生なの。でもね、捕まっちゃったの」

 

 声を震わせながら告げると、大きな瞳に涙がたまり、やがて雫が頬を伝った。

 それが合図のように、他の子供たちも一斉にしゃくりあげる。

 

「先生、いなくなっちゃうのやだぁ!」

 

 泣き声が重なり、待合室の空気は一瞬にして湿り気を帯びる。

 

「お、おい……泣くなよ!」

 

 アドガードはどう対応すべきか分からず、助けを求めて視線をさまよわせるが、隣にいたはずのリリメルの姿がない。

 キャンセルでも出たのかもしれないが、それなら自分にも声を掛けてから行けと文句を付けたくなった。

 小さな子供たちの泣き声がアドガードの焦りを色濃くする。

 両手が宙を彷徨い、助けを求めるように受付へ視線を送るものの、窓口の女性は、無情にも「我関せず」と窓を素早く閉めた。

 

「……はぁ」

 

 小さなため息が、喉の奥から漏れる。

 

 その時、事務所の扉が勢いよく開き、女性が一人飛び出してくる。

 慌てて子供たちに駆け寄った。

 

「どうしたの?」

 

 彼女を見つけるや否や、子供たちは一斉にその足元へ群がり「セラ――!」と抱きついた。

 

 セラは驚いた様子もなく、しゃがみ込んで子供たちと同じ目線になると、まとめて抱きしめて頭を撫でる。

 『先生』の知り合いだろうか、どちらにせよアドガードにとって助け舟であることに間違いはない。

 そっと胸を撫で下ろした。

 

「こんなところで泣いてたら、先生が心配になっちゃうよ。昨日約束したよね?笑顔でお話ししようって」

 

 その声は柔らかく、子供たちの心にすっと染み込む響きを持っていた。

 しゃくりあげていた小さな顔が、少しずつ落ち着いていく。

 

「先生に元気な笑顔、見せられる人!」

 

 セラが自ら手を挙げて見せると、子供たちは競うように「はーい!」と声を張り上げる。

 濡れていた瞳が一気に輝き出し、泣き声はいつのまにか笑い声に変わっていく。

 

 この無骨な待合室が、日向の学校のように見える。

 少し暖かくなった室内に再び子供たちの笑い声が響いた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ